関山駅
(信越本線・せきやま) 2009年9月
眠れなかったせいでどんよりした私を、二本木の草生した本線の折り返し地点を見せながら、列車はさらに登坂する。しかし電車では訳ないことだった。二十パーミルないのだもの。乗客も少なくない。山高帽かぶった40代くらいのヤッケを羽織りそうな古風な身なりのハイカーが独り腰を浮かして座っている。北国民家がときおり線路に押し寄せていて、また家々は連坦しており、人のあまり住んでいないというところではなかった。水路や川の近いのが視界に入り、やがてまだ低いけれども原っぱといえるところに上り詰めると、列車はそれからそのまま走った。水田で、高原のようではなかった。 せっかく乗った朝一番の列車を隣駅で降りる。放送は、人がまとまって降りるところはまだまだ先だというぞんざいな抑揚だったし、降りた私に、もったいないねと言った気がした。 事実もったいなかった。朝一番で捕まえた列車を、「すぐ逃がしてやる」 のがひどく自らを象徴しているのではないかいう思いを振り払うが、石塊の近年の跨道橋がそれを許してくれない。 プラットホーム一つが曇り空で涼やかな空気に浮いている。
妙高方。
アスファルトが赤茶色のなのでここはまだ雪国の新潟。
安造りっぽい。
二本木、新井、直江津方。
なんかいい加減な敷地があり気になった。
上屋は1両分のみ。
でもホームが長々としているのが見られてよい。
2階コンコースという手もあったかな。
ウォータースライダー。
妙高方に見た乗り場主要部の様子。
単線なんだ。
これだけの機構で水路を渡れるのね。
直江津方面乗り場だけは、
このように延長されてある。
左手は元スイッチバックへ行くルートだそうだ。
軌条に渡したベルトコンベヤーのような流雪機構を物珍しげに観たあとは、階段をよじ登る。周りは片掘割で、特に風景はなかった。新しい感じなのは、元はここもスイッチバックで、移転してきたからということだったが、そういう事情はあらかじめ知っていないと今はもうわからないものになっていた。しかしそんな施設があるなんてさすが関山とは似つかわしい。 そして高原らしいところに、この曇天と爽やかな風が似合っている。それはかつて幾度となく連れ立って向かった高原がたいてい曇りだったかもしれない。それにそのころは天気のことなんてろくに考えたことがなかった。独りでなかったとは、そういうことなんだ。
こういうデッドスペースに緑が盛んなのも雪国らしかった。
雪捨て場になってそう。
最近できた道?
窓口は710-1800.
開いた…。
左手には灯油の保管庫らしきがある。
待合室内にて。窓口の相手いるときしか利用できない仕組み。
東日本には多い。
左:荷物置き場?
右:以前はショップか案内所があったようだ。
内部で車寄せを兼ねている。
駅舎内のスキーのポスターや、荷物置き場を見ても、このあたりの立地ではまだイメージしづらいなと、漫然とした頭で外に出て、目が覚めた。とうとう長野に出た。ついに出たか、と思うじゃないか。余裕のある丘陵地形に、そば屋、乳製品を売る店、そしてこのペンションを模した駅舎は、みんな同じ感想を持ってくれるそうな出遭いだった。けれど極度には観光地過ぎず、これが普段の装いのようにも見えるのがよかった。しかしそれってそのまま長野の特徴だ。 駅舎は部分二階で、宿直(とのい)でもしてるのかと思ってしまう。早朝の、車の停まっていない広々とした気持ちいい転回場で、満足げに煙草を吸っている中年御仁がある。これもよくある光景で、仕事前の一服であった。しかしの人は再び軽トラックに乗って、走り去った。だからよけいに今のこの気持ちよさを毎度味わいつくしに来ているとみえた。
関山駅駅舎その1.
妙高山の登山口だった。
その2.
3.
4.
5.
意識されたおしゃれ。
6.
妙高高原駅方。リゾートの雰囲気。
その7.
手前にはバイクとかかれたスペースが。
地元の人用かもしれないが、高原を乗り回しに来た幾つもの単車の姿が思い浮かんだ。
やがて駅員も窓口のシャッターを開け、みんなそろそろ朝の出向く時間になるので、集まった数人とともに何気なくこの駅を発つことになってしまった。しかし大きな喜びを享け損なったわけではなく、いつでも、駅なんてそんなもんだよといえる感情が湧いてきて、離れすさる窓辺から見送った。そしてのころには、見上げる擁壁の上の転回場もせわしくなっていた。
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