帯解駅  - 桜の桜井線・和歌山線紀行 -

(桜井線・おびとけ) 2007年4月

  隣の京終駅と同じように、 この帯解という駅名もまた、何らかの直接的な意味を持っているようだ。
  おびとけ、とはいったいどんな意味なのだろうか…。

  この駅のすぐ近くにある帯解寺によると、 帯解の帯は、古くからの習慣として 妊娠5か月目の、初めの戌の日から巻き始める腹帯のことで、 帯解とは、これが無事解けることを、 つまり子供が無事生まれることを意味しているという。
  本尊として子安地蔵菩薩が祀られているこのお寺は、 安産・求子(ぐし)祈願の霊場としてよく知られているらしい。 毎年7月下旬の地蔵会式には夜店もたくさん出て多くの人で賑わうのだそうだ。
  おびとけ、とは妖艶な意味ではなかった…。

駅舎のあるホームの上屋の下にて。左手に駅舎の壁。 下り線(天理・高田・五条・和歌山方面)ホームにて。

ホームの上にある簡単な木造の待合所。 下り線ホームから見た上り線(奈良・京都・大阪・亀山方面)ホーム。

駅舎の妻面を見て。 跨線橋から見た駅舎。 屋根瓦が葺き直されたばかりできれいだった。

伸びゆく線路。 跨線橋から天理方面を望む。

左手に簡単な待合室、右手に線路内を挟んで駅舎。 上り線ホーム、開放式の待合所前にて。

線路内、駅舎。 上り線ホームから見た駅舎。

向かいのホームの上屋は駅舎の軒下のようになっている。 上り線ホームから見た下り線ホーム。 帯解駅のホームにレンガ積みがない。

緑の田畑の中を伸びてゆく線路。 代わって、下り線ホームから天理方面を望む。
ほんとうにのどか。

  一つ前に降り立った京終駅周辺にはマンションが建ち、 時刻も9時前だったためか自動車も狭い道を走り抜くのもしばしばで、 市街地の端ながらも少し活動的な雰囲気があった。 しかしここ帯解まで来ると、一転落ち着いて、 天理方面にはのどかともいえるほどの田畑が広がっていた。 よく広がる田畑の風景に、 さして古い概観でない集落がときおり織り込まれるのは、 桜井線のよくある車窓の一つだ。

ホームに建つ駅名標。 駅名標。背後には駐輪所が新しく整備されていたが、 春休みのため、ほとんど埋まっていなかった。

錆びた名所案内。 名所案内。5つとも寺社だ。 帯解寺へは徒歩5分。

左手に線路内、そしてホーム、その向こうには住宅の裏手が接している。 下り線ホームから奈良方面を望んで。

背の高い縦長の帯解寺の看板。 上り線ホームにある帯解寺の看板と名所案内。

イコカタッチのある無人の改札口。 ホームから見た改札口前。

イコカタッチとJスルーカード改札のある無人の改札口。 駅舎内から見た改札口。

白い壁、白い天井の駅舎内。 駅舎内の風景。ここも無人化されて久しい。

掲示物。 ワンマン運転の乗り降りの案内と、 最近あまり見なくなった少年非行の防止の看板。

窓が一列に並んでいる駅舎内。 出札口付近から見た駅舎内。 がらんとしていて椅子も十分にない。

  駅舎内に入ると、静かな道沿いの窓から光が差し込み、 あたりに古い家屋のあるのがわかった。 駅舎内の壁は多少改装されたため新しくなっているらしいが、 室内は少しも荒れておらず、古くさいながらも清潔で、 きっと誰かが掃き清めているのだろう。ただ椅子はかなり少ない方で、 左奥のスペースが遊んでいた。なんだか箱だけのようだが、 ホームから見えた葺き替えられたばかりの屋根瓦が、 この駅舎の先行きを保証していた。

白壁瓦屋根の駅舎。 帯解駅駅舎その1。

白壁瓦屋根の駅舎。 帯解駅駅舎その2。

白壁瓦屋根の駅舎。 帯解駅駅舎その3。

  駅舎の多様性を知らされる駅舎だった。 このあたりの木造駅舎には、 たいていその出入口の上に妻形の屋根があるのだが、 この駅舎にはなく、全体に庇が巡らされてあるだけだった。 くどくなく、すっきりしているように感じられた。 さきほども書いたように屋根瓦も葺き直されたてで、 側面には真新しい白木が見えていた。 この駅舎もこれから長い間使われるのだろう。 無人化された木造駅舎はやがて取り壊しになることがとても多いが、 和歌山線・桜井線の各駅では、今でもほとんどの木造駅舎が残り、 改装を受けながら現役で活躍している。 最近、木造駅舎が取り壊されたのは、田井ノ瀬駅で今はゲートのみになり、 一方北宇智駅では代わりに明るい木材を用いた小さな駅舎が建造された。

  私が駅を出ると、あとちょっとで私が乗ってきたのとは反対方向になる、 奈良行きの列車が着く時間になっていた。 奈良方面ホームを見ると、20人ほどの人たちが固まって待っていた。 地方交通線のこのような無人駅だから、時刻が9時を回った割には意外な人数に思った。 地元の人たちばかりの利用であった。

駅前のアスファルトの敷地と駅舎。駅舎の右手に架線柱。 駅舎を少し離れて見て。 背後は古い住宅地に入り込むかなり細い坂道だった。

背の高い緑の木と駅舎。 駐輪所入口あたりから見た駅舎。 素朴な感じの植え込みが、駅舎とよく合っていた。 常緑広葉樹のため、4月初めでも緑が見られてうれしかった。

左手に住宅の裏手、そして駅前の敷地、そして右手に駅舎入口。 駅前の風景。駅舎を右手に。

  駅を出ると、静かだった。自動車の音が聞こえてこない。 左から少し広めの道路が駅前まで来ているのだが、 それより先は自動車の通り抜けできない袋小路になっているため、 ここを通過する自動車はまったくなかったのだった。 商店を探す目で遠くまで見渡していると、 遠くの右手にローソンのようなものがちらっと視界に入り、 ああ、コンビニがあるんだ、と思ったが、違っていた。
  駅から出て突き当たりは石垣の上にある住宅地だったが、 その石垣に沿って駅舎との調和を考えて作られた植え込みがあり、 駅前広場が駅舎前の植え込みと、 この石垣前の植え込みとで挟まれるよう設計されていることを知って、驚いた。 もし石垣前の植え込みの横に自動車が二台も駐まっていなかったら、 この変わった駅前広場の全景を見ることができたようである。 植え込みの中には「駐車禁止」の看板が立てられてあったが、 駐めていてもなんだか問題なさそうである。 そのほか、立てられたばかりの大きな観光案内版や、昔からの啓発看板などが立てられ、 小さな町の駅前らしい感じだった。

三つの看板。 駅前辺りにある看板群。 右上に「親子で対話 明るい家庭」の啓発看板があった。 少年非行の防止の看板と同じ時代のものだろうか。

駅前の広い道。多少不規則な形をしているためか中央線はかかれていない。 上の看板群の辺りから、 駅舎と反対方向を向いて。 帯解寺の看板が大きくて目立っている。

住宅、郵便局、広い道路。 坂を登って。

  駅前から離れ、少し遠くに見えている緩い上り坂のT字路まで歩くことにした。 右手を見ながら、さっき視界に入ったはずのローソンを探しているが少しも見当たらない。 商店を求める心から来た幻影か、と思ったら、 どうも青色を使った毎日新聞の配達所とその看板、 そのすぐ近くにある帯解郵便局の看板などをまとめて ローソンがあると捉えてしまったらしかった。 郵便局の前では置物のように警察官が一人立って、警戒していた。

ガードレールのある歩道。左手には掘割の線路内。 T字路に向かって、歩道を歩いて。

空に突き出す細い跨線橋。 T字路に出て、左手を望む。

跨線橋の名前を表示したもの。 左手の道は今市跨線橋が桜井線を跨いでいた。

木々や草草や住宅に囲まれた単線を去ってゆく列車。 今市跨線橋から奈良方面に去りゆく105系を見送って。

木々や草草や住宅に囲まれた単線 今市跨線橋から奈良方面を見て。

七部咲きの帯解寺。 跨線橋右手から見た帯解寺境内。 ここの桜はまだ満開ではなかった。

明るい緑の草草が両脇に生えた細い農道。 跨線橋左手には細長い農道が下っていた。 農道の右側は斜面で、線路内に落ちている。

下り坂、その向こうに駅舎。 T字路にて。駅方向を見て。 右の道が今市跨線橋。左の細い道には2,3の商店が並んでいるのが見えた。

駅前の広いスペース、右手に駅舎。 駅前に戻って。

  駅周辺はおだやかな町だった。 背の高い建物が視界に入らず、自動車の出入りが少なく、 跨線橋を上り詰める坂は緩くて開放的で、そこからは軽い眺望、 桜の帯解寺、緑が茂り始めたばかりの地面を去りゆく2両編成の列車…。 画一的ではない、このような古くからの住宅街は気持ちが落ち着く。

  帯解駅から先は天理市。奈良盆地の別の街へと入ってゆく。 いよいよ古都のある奈良市とは別の街の風景を見られることになりそうだ。

次のページ : 櫟本駅