大河原駅
(関西本線・おおかわら) 2006年8月
次にどこかの駅にふらっと行くときには、関西本線の笠置から柘植のどこかにしようと思っていた。渓谷のそばを慎重に走り抜け、河原を眺めるようにして走り、深い山の緑を丹念に縫うように走って、やがて開けゆく田畑の中を走る、そんな山の自然いっぱいの関西本線、笠置から柘植の区間は好きだった。そういう思いの中、8月上旬に初めて大河原駅に下車したのだった。じつは笠置駅で降りるつもりでいたが、ホームに多くの人のいるのが車窓から見えたため、こことなった。でも交換駅のため賑わっていただけで、二列車が引き裂かれるように互い違いに発車すると、また静かな駅に戻ったのであろう。
大河原駅で降りたのは私を含めて二人だけで、もう一人は18,9歳ぐらいのお嬢さんだった。その人を先にするようにして、二人で跨線橋の階段を上っていると、列車は出発して緑の中へ進んでゆくのが見えて、駅は再び寂しくなっていくようであった。階段を下りて駅舎の中に入ると、もう窓口のシャッターは下ろされ、業務はすでに終了したようであった。
さて、このお嬢さんは、これからこんな山の中の道を歩いて帰るのだろうか、と思いながら駅舎から出て行くその人をいぶかしげに見送っていると、それまで意識して見てもいなかった、駅の近くに駐められてあった自動車にさっと乗り込んで、あっという間に山間の国道を消えていった。お迎えがあったのだと知って、やはりこの親御さんも子どもの帰り道が心配なのだなと思った。そういうところだった。
駅舎出口にて。
大河原駅駅舎。
国道163号線と駅舎。
駅舎前の様子。
駅出てすぐに横断歩道があるが、道路を見通しても先には歩道がなかった。しかも横断歩道を渡っても人家がすぐに迫っていて、路肩の余裕もなく、駅から歩き出そうと思って交通量が意外にあって、すっかり孤島に取り残される。
もう駅へ戻りたくなったころ、走行車の流れの途切れるのを待っていたが、なかなか切れなかったのでとうとう信号のボタンを押した。背中を人家の塀に沿わせ信号を待っていると青になったがそのときはにもう車の流れはなくなっていた。渡ろうとしたら、駅の裏から一台の軽トラックが坂をおりて、国道に入り、ぐっと加速して、信号を突っきっていった。これはついさっき駅の窓口の業務を終えたであろう人の車ではないか! 車のドアを閉める音がしてから、坂を下って信号を通過して走っていくまでの時間はとても短かったため、かなり急いでいる感じではあった。
ふと、田舎の爺が軽トラで家路を急ぎ、家に着いたとたん見たいテレビ番組のチャンネルを急いで回す光景がひらめいたりしたが、それよりも、この辺の運転法がこんなものなのかもしれなかった。
小さい駅庭の横に駐輪は二三台あるだけで、屋根がないために、自転車のサドルにはスーパーの袋が被せられたものもあった。さっき軽トラが出てきたところにたくさん駐められるのだろうけど、この一角だけ見ると、一台一台きっちり監視している市街駅を思い起こして、ここがとても気楽なところに思えた。
左:駅舎すぐ前の庭と駐輪スペース。
右:「JR関西本線にどんどん乗ろう」の看板。方向幕は大河原になっていて、パンタグラフも付いている。電化するようだ。
駅舎は真っ平らな屋根で、入口はぽっかり大口を開けている、箱舟調だった。戸がない。戸があるべき雰囲気なのにそれがなくて、何とも違和感があった。また、間口の上には、毛筆のかなり崩し字で「大河原駅」と書された木の板が掛けてあるが、板の色が濃く、墨が薄くなっていて、なかなか読み取れない。こんなものはやく棄てたらいいのにと思うほどのだが、こうまでなっても残してあるということは、開業当初の貴重なものなのかな、なんて思った。
駅舎内の様子その1
駅舎内の様子その2
駅舎の中に入ると深く暗かった。駅構内は横から山が被さるように迫っているため、お昼の長い夏だというのに、日がもう隠れていて、光が差さないのだった。そもそもここ南山城村・大河原は、深い山あいに位置し、年を通じて日暮れも早そうだった。たとい午前中でもこの待合室の中まで明るい光が差し込んでくることはあるのだろうかとも思った。
駅舎内の床は、煤けた薄紅色の六角形のタイル石が敷き詰められ、なんとも古い感じがした。壁は白で、それに沿うように焦げ茶の長椅子を左にも右にも設置していて多くの人が座れそうだが、その椅子の上の、駅舎の中の最も暗い一角には人権啓発のポスターや指名手配犯の顔写真を並べたポスターなどがあり、あまり居続けたくない雰囲気で、実際に椅子に腰を長く下ろしたいとはこのときは思わなかった。
指名手配犯のポスターをこのようなところで見ると、初めのうちは、こんな所にまで現れないだろうに、と思うのだが、では、なぜここに貼ってあるんだろう、と思うに至ると、こんなところにこそ、ふと、姿を現すものなのかもしれないと思えて、いやあな気持ちに包まれた。窓口が開いていて業務が行われていたら、雰囲気はもう少しましだったろうに。あんな爺でも…ということは枯れ木の山の賑わいか…。こんな山手では、人が商っているのは、切符売りというなんだか堅いものでも十分賑やかしになりそうで、貴重らしい存在と浮かんだが、やはり意地悪因業爺だろうと思った。しかし別棟のくみとりトイレの中は掃除されたばかりらしく、濡れていた。この点ではまずまずごくろうさまといいたい。
駅舎内から改札口を見る。
乗車券類入れ。やけに大きい。
改札口を下り線ホームから見て。ちょうど改札口から国道の信号機が見えている。
奥に写っている、庇を支えた壁のある建物がトイレ。
駅舎に取り付けられている駅名標。
トイレ。マンホールの周りの一部をレンガで囲ってあり、変に洒落ている。
駅名標と信号機室。
信号機室と表示したプレート。「新疋田駅」の水色の表示のフォントと似ている。
その下のプレートによると、この信号機室は昭和51年(1976年)の3月にできたとあった。
このころにCTC化されたことになる。
下り線ホームの端から月ヶ瀬口駅方面を望む。信号機の近くに、信号を冒進した時のための安全側線が見える。
嵩上げされていないホームの端から、笠置駅方面に大河原駅構内を望む。
駅舎前から跨線橋の階段を見て。
人なんかひっとりもいない駅構内は、広く、今にも暗い緑の山に襲われんとしている。 跨線橋の山側の柱は固めた山肌に突っ込ませてるぐらいだ。架線もなく、中線も取られてなく、ホームは低く、けれども非常に長く、端から俯瞰していると汽車時代の名残そのものだった。よく考えれば、関西本線のこの山越えの区間は、まことに汽車時代の古き良き車窓や駅構造を持っていた。しかし佇んでいると、妙に寂しくなってくる。しかも道向こうをあまり見えないが広い川が流れていて、それだからかここを大河原という。別にここでなくても当てはまりそうな地名だけに、特定されない空漠とした寂しさがあった。
跨線橋にて。
木津川を眺めて。「菅公」のホーロー看板が物置脇に置かれている。左中ほどに見えている橋は大河原大橋。
木津川。右に進んでゆくと沈潜橋である「恋路橋」がある。
ホームからはさして見えないが、跨線橋からはその広き河原のある川たる、木津川がとてもよく見えた。ゆうゆうと流れており、沈潜橋もある川遊びやキャンプのできそうなところだ。
いっぽう山迫る線路の行く先を眺めると、広かった停車場が突然にくびれて単線になり、緑の中をもぐっていくのがわかる。列車が自分を乗せ、駅を出て、その緑の中に入っていくと、列車の中の自分たちは、列車一つだけで守られているように思われて、列車が頼りになる存在のように思われる。
構内には引き込まれる長い貨物側線がはっきりと見て取れた。今は枕木が砂に埋もれてしまい、レールが細々と見えるだけだが、この関西本線を貨物列車が走っていた時代には、この側線に貨車が入り、道路とつながっているスペースで荷の上げ下ろしをしたことだろう。この路線のほかの駅の貨物側線を見たのちにわかったことだが、長大なホームを有するこの大河原駅は、その貨物側線も、ほかの駅と比べて相当に長いものであった。
大河原があるだけあって、川砂利なんかを運んだのかもしれない。
跨線橋から月ヶ瀬口駅方面を望む。
跨線橋から笠置方面を望む。
上り線の待合室。
洗面所だとしたら、汽車時代の名残だろう。跨線橋の階段を下りた所にある。
上り線ホームの駅名標。
笠置方面を望む。
山側のホームに降りて、よしいちばん笠置側の端まで行ってみようと山肌に沿ってホームを歩きはじめたが、駅からはどんどん離れ、驚くほど長く、こんな端の方を歩いているのは何だかおかしいとさえ思えてきて途中で引き返してしまった。しかしそうして歩くことで、今は使われないこわいほど長大なホームを実感できた。
先まで歩かず。
下り線ホームの終端のようす。
上り線ホームの笠置側から駅構内を見渡して。
V字屋根の大河原駅舎。上屋兼用の節約造り。
上り線ホームから軒下の佇まい。
上り線ホームの月ヶ瀬口側終端。
上り線ホームから見た信号機室。
大河原駅の駅をあまりいいように感じなかったかもしれないが、訪れてからしばらくたって、この駅のことを思い出すと、ふと、深い山々に囲まれた木津川の豊かな流れが目に浮かぶようになり、駅に気を取られていたのがよくなかったのだなと思い返した。駅のすぐ近くに、こんなにも落ち着く川の流れが横たわり、水遊びにはもってこいの沈潜橋が歩いてほどないところにある。
にもかかわらず観光客のための設備やポスターもなく、大掛かりな改装もされず、
あくまで地元の人たちが必要な際に利用する駅だったが、それだけに、ここに帰省し、この駅に降り立ったとき、変わることなく流れ続けている木津川を見て、ああ帰ってきたんだな、とおもわず感慨にふけってしまう人たちのことを、想像してしまった。
私が改札口前の薄暗い屋根の下に佇んでいると、突然、駅構内に寂しい警報音が適切な音量で鳴り渡った。列車が来る。この駅とも、もうお別れである。列車が来たら上り下りかまわず乗ろうと思っていたのだった。「今度この駅に降り立つのは、いつになるだろう…」。しかし警報によって知らされた別れは急な別れのように感じられ、また、乗り遅れたくない気持ちも強かったため、心がとてもせき、今来るのが上り下りどちらの列車なのかがわからなくなった。それを確認しようと、急いで跨線橋の階段を上った。駆け上がって見渡すと、月ヶ瀬口駅側の信号が青になっていたため、今来るのは上り列車だということがわかった。そうしているうちに、紫色の2両の気動車がホームに入ってきた。そそくさと階段を上り線ホームへおりて、入線したばかりの列車にとりあえず乗り込んだ。車窓から駅を見て、次の駅で降りるか、次の次の駅で降りるかを決めようと思った。
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