大杉駅
(土讃線・おおすぎ) 2008年1月
トンネルを抜け、ややカーブしながら山峡の大杉駅に近づきつつあるとき、こうやってこの町の代表駅大杉に収まっていくのだな、と思い耽った。帰省のとき、ここで座席から重い腰を上げる人がいる。やっとこさとりあえず大杉まで帰ってきた…。
大杉という名前は、妙に誇らしげだった。日本一の杉の巨木が自慢だ。そのことはホームにあるえらく太い標柱からわかったが、字ががくがくしている。町の子が書いたんだな。
ここは堂々、特急列車が停まるが、設備はそこらへんの駅と変わらない、というより小さくさえあった。ホームが一つだけだ。
ホームから見える風景というのも特に何かあるわけでなく、相変わらずの渓谷地だった。しかし駅前は広くとってあり、対岸の国道の信号も見えて、町らしい感じがあり、独りで納得した。ただ、この手狭なところにあって旧貨物ホームや積み出しの敷地があり、規模がなかったわけではないようだ。構内踏切に近づいたとき、駅舎の横にある傷んだ建物が乗務員関係の建物だともわかった。なんだ、立派な駅だ。しかし今はどんな風に使われているのだろう。とくにここ始発の列車もない。
まずあの太い標柱に目を奪われる。
乗ってきた高知行きの列車。
高知方には変な側線があった。
土佐山田・高知方面を望む。
阿波池田方。
貨物用らしきホームと積まれたレール。
ホームは砂利で埋められていた。向こうに駅前が見える。
高知方に見た上り列車乗り場。ワンマン運転のため、
相変わらずミラーが活躍している。
ホームの待合室の中のごみ箱には、チリと書かれてあった。豊永駅でのことも考え合わせると、どうやらこのあたりでは可燃ごみのことをチリと呼ぶらしい。発見をしたと思ったが、やっぱりここは違うところなんだなと思え、とたんに四国山地の影に覆われるようだった。
チリ紙交換とは言うものの、私はというと、ごみの範囲でチリと単独で言われれば、せいぜい玄関や床に上がった細かい砂のようなものしか浮かばなかったのだった。
待合室の様子。
待合室に乗り場案内が掲げられている。
名所案内。これも中学生が作った。
山側は庭のようになっている。
上り列車乗り場から阿波池田方面を望む。
ホームから見た駅舎。
隣の建物は鉄道関係の建物だとわかる。
ホームから見た町の片鱗のはじまり。
警報機。
ホーム全景。
駅舎側の警報機。
あぶない・とまれ、と表示されるようになっていた。
駅舎出入口。
さて駅舎に入ろうと扉の前に立つと引き戸が抽象的な杉の模様になっていて、やっぱり地名の形象を込めるんだと、期待が薄れた。だが中に入ると、狭いものの、杉の香りが漂い、光が差し込み、とにかく新しくてきれいで、ちょっと感嘆の声が漏れた。いい杉をたくさん使った贅沢な駅舎で、ひとまず来訪者をこの杉自慢で溺れさせるつもりのようだ。狭いのは通路になってるからで、片方ずつにお店そして待合室とある。でもこの通路がもっとも明るく、木の美しさがもっともよくわかった。少し後になって気づいたが、通路に面して、ささやかな出札口もあった。すべてを備えてしまった駅かのように一瞬思えた。
駅舎内の風景。右手待合室。
入ってきた引き戸前の風景。通路にも長椅子を設けて待合スペースをあつらえてある。
ここが明るいのは天井から採光できるからだった。
お店。雑貨や食品を売っていた。
お盆にマグカップが置いてある。まさか喫茶も。
期待して、待合室に入る。そこでちょっと首をひねる。なんだかプレイルームのような雰囲気となっているではないか。子供の作った賑やかな掲示物が貼られる一方、かなりのコミックが揃えられていた。全体に三角屋根が低く、屋根裏のようで、遊び盛りの子のアジトのようだ。
じつはこの駅は全体には小ぶりな駅舎で、間口の高さや通路なども造りが小さい。そのため、待合室に入るときもそうだったが、移動にはちょっと冒険心をくすぐられるような感じだった。
意外とかなりのところまでここの子が建造に協力したのが窺えわれた。百載一偶のチャンスを大杉に…。待合室にそう掛かっていた。だいぶ張り込んだようだった。
待合室内の風景。なお写真はやや余裕があるように写っている。
三角屋根の影響を受けていることがわかる。
設置面の鋭角の部分は、板を張って空間を消していた。
漫画コーナー。最高の主婦、女の感動、愛情物語、BeLoveなど…。
これが大杉の趣味なのか。
待合室に入って右手の一角。駅舎らしく断熱材は入っていないようだ。
良心傘立て。引き戸が杉模様の桟になっているから影がこんななっている。
駅前の風景。
駅前は駅のためだけに架橋してあり、さすが大杉駅と思うことにした。そして駅舎を見る。珍しいのは、朱色だということだった。そして山の斜面に「大杉」と描いた植栽が駅舎の横に来るようにしてあり、かなり凝りようだ。町いちばんの駅には、これぐらいは、といわれているようだった。三角を二つ置いた建物にしたのは夫婦杉を模したといい、デザインの方法としては二見浦駅を思い起こす案外障りのないものとなっていた。とまレール大杉、の字は、これもまた少しがくがくしてある。そういう名前をここにつけたようだった。
この辺にしてはゆったりスペースがとってあった。
駅舎横の鉄道関係の建物。便所ぐらしか目だっていなかった。
駅左手にある旧貨物扱いらしき用地。現在は駐車場と駐輪所になっている。
その近くから見た川べりの家々の様子。
大杉駅駅舎。
こんなふうに橋を渡ったところにある。
橋にて。
穴内川の川下の風景。
橋から弱い風に吹かれながらぼんやり川を見る。深い川床に柱を何本も刺して家が建っている。年中納涼床だ。へばりつくようなあばらやもあった。床面積を増やすことも考えて、この辺では、地下と合わせると三階建てや四階建ても珍しくないようだ。川沿いではないタクシー会社の並びも当然のように三階建てになっている。
国道はさあここからと商店を連ねるわけでもなく、擁壁を友としていた。
温泉街のようにも見える。
道路より下は二階分くらいしつらえてあり、合わせて四階分ある。
全体の高さとしては六階分くらいある。
川上の様子。川はしずしずと流れる。
駅前の信号。
日本一の大杉1kmと出ていた。歩いていけるが歩道はどうだろう。
徳島県側。高知自動車道のLED情報板が出ている。
ここから左側の山をトンネルで越えると吉野川の谷に出て、
大豊ICに出る。昨日の高速バスは夜中にあそこに停まったわけだ。
橋の先にある大杉駅。左の赤い建物のせいか、
駅舎は溶け込んでいる。
駅へ。
山間にある特急の停まる代表駅だから降りたいと思っていた大杉駅にもとうとう来て、これで大豊町の顔と合わせることも終わった。あとはほとんど帰途を辿るだけになってしまった。もうこれで終わったとばかりに駅へと戻ったが、やはり待合室は少し居にくかった。駅としては公的さは潜め内向的な、ほとんどこの町と、学生のためだけの駅という感じかもしれない。しかし逆に大豊出身となる少年少女が大事にされていることや、翻って、彼らの思いやりのあるところをたしかに想わせた。私はそこから抜け出して、ホームの待合室のあたりで待った。ホームに入るときに振り返ると、いくつかの顔が待合室から覗いていた。
大杉と描いた植え込みを眺める。そのあたりはきれいな庭園のようになっていて山道が始まっていたのだが、当然レールを越えざるを得ず、慣れない私はためらって、結局行かなかった。
店にも入らなかった。列車が来るのでゆっくり選ぶ時間がなかったのもあるが、買うものがなかなか決まらず、入ったのにそのままは出ることはできないと思ったこともあった。
もし今度ここに来ることがあったとしたら、あの庭園に行き、そして満を持して造られた駅舎で、よそからきた者としての臆する気持ちをあまり持たず、この駅に込められた気持ちを享受したい。
それで駅舎には三人ほど待っていたのが、もう上りが来るというのに誰も来ない。変だなと思ったら、踏切が鳴って、列車が到着しかけてから、小さい男子中学生が走ってきた。のんびりしたもんだと思う。
長い乗車となる列車に、とうとう乗った。まだ15時だが、もう帰途につかないといけないのだった。次ぎ降りるのはずっと先だ。しばしは木々に隠されながらも、ぼーっと車窓を眺めた。そういえばこういう乗車をしばらくしていない。でも今こうしているのは、いろんな駅に降りた今日一日の充足心に支えられたものだった。
土讃線を上る帰り道
今朝いちばんに降り立った土佐岩原に着いた。あのときは朝の暗さだったからあんなふうに感じたのかもしれないと思い、改めて日が差して明るい岩原を覗いたが、思いのほか、感じは変わらないものだった。山仕事で生計を立てる時代も終わり、山手の厳しい集落は今残っている人が無事過ごせればよいなと、ぼうっとしながら思う。ついに岩原も出てしまい、列車はいっそう帰途を走る。トンネルに入った。長いトンネルで、こうやって駅間距離が長くなると、長時間乗車だと感じられた。ようやっと大歩危に転げ出た。もうとっくに徳島県だ。川がずっと近くなっていて、低くくなったようだった。山肌より、川が主役の風景に変わっていた。有名なところだが、駅辺りの川はおとなしく、石くればかりだった。また川下りの季節でないため、観光案内の看板も、そっけない顔をしている。
ここからは川の風景を見せながら、列車は快走する。車掌は中間の乗務員室に居たが、次の停車駅の案内を終えると、開けた窓からの風を受けながら、じっと風景を見続けていた。
小歩危に着く。名の通りか駅前も駅も大歩危より小さい感じで、きれいな対称となっていた。車掌は集札をするのだが、ここで降りる人は居なかったようだ。列車を発車させ、急いで乗務員室に戻る。「次は、あわかわぐち、あわかわぐちです」。その言い方は、あわ、と、かわぐち、それぞれにイントネーションをつけず、あわかわぐち、で一つだった。さも、あわ川、という川があるかのように。車掌は目を気持ちよさそうにして一連の大歩危渓谷の風景を眺め続ける。
祖谷口の案内が出され、ぐちのつく駅が二度続いた。そのため彼独特らしい、ぐちを深く読む言い方が、耳に残った。まだ川沿いながら三縄まで来てようやく風景が落ち着いてきたと思ったら、次が乗り換えの阿波池田だった。駅に着く直前になって、乗り換えの案内がなされる。じっと耳を澄ます。聞くと、隣のホームにわずか2分での乗り継ぎになっていて、お急ぎください、という。
大杉から1時間17分、阿波池田に着いた。しかし実際はたいして感慨にふける間もなく、数人で跨線橋を急いでわたり、改札のあるホームにばらっと展開し、とりあえずそこにある列車に乗り込んだが、塗装が旧急行色で、目を疑った。
入るとデッキになっている。客室はクロスシートになっていて、窓が広い。こんな列車走っていたっけ。恐る恐る座席に着き、発車を待った。案の定、わずかな時間で発車。とにかく乗り心地がよい。そして車窓がとてもせつなかった。車輪のリズムが風景に色づけされて、自然と楽曲が紡がれた。
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