相可駅 - 伊勢地方への旅─冬編 その2 -

(紀勢本線・おうか) 2007年1月

  相可駅に近づくころ、車窓を覗いていると、 線路に寄り添う新しい道路を、自動車が次々と走り去ったり、 田畑を混えながらも新築アパートや戸建、事業所のあるのが見えたりして、 多少活気があるような雰囲気だった。 しかし近づいてくる駅は、広い平地に、小さな四角い駅舎がぽつんとあるだけだった。
  とある見知らぬ街に着いたという感じ。
  降りようと思い、前のほうに移動した。 ワンマンカーで前の扉しか開かなかった。 しかもドアは乗客がボタンを押して開ける方式だった。 ふと脇を見ると、ひとりのおばさんが運賃箱を通り過ぎて、ドアの直前に立っている。 どうなるのだろうか、と思う暇もなく列車は完全停止し、 運転士はさあ改札をしようと車内を振り返った、 そのとき、プシューッとドアの開く音が車内に鳴り響いたものだから、 運転士は本気で驚いて、 ドアの方に身を乗り出し、おばさんが降りようとするのを見つけて、
 「お客さん、乗車券を…お客さん、乗車券…。」
くぐもった紳士的な地声でありながら、血相変えて運賃箱越しに胴体と手を伸ばし、 そのおばさんから、なんとしてでも切符をもらおうとした。
やがておばさんはあきれ果てたように振り返り、
 「そこです。」
と、ひとこと。 すでに運賃箱のふちに金額式の乗車券が置かれてあったのであった。
 「は、ありがとうございます…。」
運転士は急にしょげたようにトーンを落とした。 しかし、そのトーンの低さは自分を慌てさせた恨みのようだった。 ワンマン運転に慣れてくると、いちいち改札を受けるのが面倒になってくるらしい。 しかしそこに列車のワンマン化と駅の無人化に対する利用者の怨みが 無いともいえなさそうだった。

  ホームに降り立つと、そこがちょうど貨車駅舎の出入口だった。 ホームに膨らんだモスバーガーの紙袋落ちていて、冷たい風にときおり転がされていた。 街が近いんだなと思った。

階段を両手に広げる黄色の桁と緑の柵の跨線橋。 駅舎前にて。

窓枠の下あたりに黄色と黄緑のラインの入った貨車を転用した待合室。 貨車駅だった。

二線分の線路内と長い両ホーム。左手のホームの脇には四角い建物。 多気方面を望む。

跨線橋から駅舎と線路内を見下ろして。ずっと左のほうには新しいアパートや戸建が並んでいるが、あいだに空き地が多い。 ご覧とおり、下り線がはがされている。 右手は見事なまでの貨物側線跡。

フェンスで囲まれた階段降り口。 下り線ホームへは入ることができないようにフェンスがしてある。 下り線ホームには1968-10と刻印されてあった。

  この相可駅では、下り線がはがされたため、 下り線のホームは使用されていないが、ホームは撤去されずそのままだった。 それなのに跨線橋が使われているのは、 駅の裏と表を結ぶ自由通路として利用されているからで、 私が跨線橋にいたときも、これから塾に行くような格好の男の子が、 この橋を渡って、駅の裏から表へと出て行くのを見た。 佐奈駅は両ホームとも使われているが、 自由通路として使われているところも見かけたから、 改札のない駅の跨線橋が、意外にも裏表の行き来に使われているのだと知った。 階段を使わなくてすむ踏切が少し離れたところにあるのに、 わざわざ跨線橋を使うのだから、行き来する場所としては、 跨線橋のある駅直近が便利だということなのだろう。
  この相可駅の裏には、多気ニュータウン・相可台が造成され、 その向こうにはそれは新しく付け替えられた国道42号が走り、 国道を軸にニュータウンとシャープの多気工場が対を成している。 にもかかわらず駅舎が貨車駅だから、あまり利用者はないのかと思った。

左手に土の線路跡、右手にバラストの敷かれた二線分の線路内。遠くには低い山が立ちはだかっている。 佐奈・三瀬谷・紀伊長島方面。
山越えを前にして、金色のレールが伸びる。 左手には側線跡がはっきり残っている。

階段の無いほうから跨線橋を見て。黄色に塗られた桁が鮮やかだ。 この駅の跨線橋の側面は緑色ではなく、黄色に塗られていた。

白い波板が壁に貼られた、妻面に入り口のあるトイレ。屋根は瓦葺で、作りは木造。 跨線橋への階段の下付近にあるトイレ。

  ここのトイレの財産標は大正11年12月となっていた。 木造駅舎時代からのものらしい。中も改装されず、そのままらしかった。 駅に来た人は、手洗い場として出入口左手の水場を使っていた。


ホームに立つ駅名標。

新しいコンクリートの土台に一文字ずつ正方形の看板で「多気ニュータウン・相可台」と表示されている。 ホーム端、佐奈寄りから見える多気ニュータウン・相可台。

両脇に据付のベンチのある駅舎内。壁とベンチはねずみに色に塗られている。 駅舎内のようす、その1。
落書きが多かった。

反対側。クリーム色に塗られた天井と壁の駅舎内。緑色の掲示板、とび色の扉。 駅舎内のようす、その2。
右手に改札口。あの扉は何なのだろうか。

プラスティックプレートの警告板。 差別的な落書きへの警告。

  駅舎内は荒れている方だった。結構ぞんざいに扱われているらしい。 また、座席と壁に塗られたねずみ色のペンキと、エンジ色の床はなんとも暗かった。 しかし貨車にわざわざサッシの窓を入れてあり、妙なところに凝るなあと思っていた。

広場の向こうに道路が横切っている。その向こうに二階建ての病院の建物。 駅舎から出て。駅のすぐ前はアスファルトのスペースが広い。

駅を出た右にも広いスペースが広がっている。 駅舎から出て右手の風景。右下に写っている階段が駅舎への入り口。

大きな屋根のついた貨車駅。白地に黄色と黄緑のラインが入る。 相可駅駅舎。貨車駅。

駅舎とヤシの木のある庭、そして小さな木造のトイレ。 駅の右側には木造駅舎時代からの庭とトイレが残されている。

右折ラインのある道路。 駅の前を横切る道路を多気方面に望む。駅から出て右手の光景。

  駅前の広いスペースの向こうには二車線の道路が走っていたが、 駅敷地内に自販機も置かれず、小さな街の郊外のような雰囲気で、さばさばしていた。 時刻表によると、次に新宮行きの列車が来るのは1時間7分後だった。 この駅で1時間以上待つのか…。この日はまだお昼を食べていなかったので、 ここで何か買って食べようと思い、駅から歩いて、店を探すことにした。
  駅前を横切る道路の左右を眺めると、店がありそうなのは左。 さっそく歩き出すと、大きな店がいくつかあるようで、街が始まるらしかった。 「コメリ」という名前の量販店らしい看板が見えたが、 近づいてみると、それは日曜大工のチェーン店だった。

自動車の通り代わりとある道路。脇には住宅、大きな店。 駅前の道路を左に歩いて。

  それでも、その先はなんだか賑やかな感じで、大工店の少し先に、 「Freshly グッディ」という大きな看板を発見。 しかし、この看板だけでは何の店なのかわからなかった。 とうとう店の前まで来たが、建物の概観も私がよく知っているような、スーパーそのもの、 といったものではなく、かなりきれいな建物で、何の店なのか少し考えたぐらいだった。 とにかく入ってみようと、中へ入った。 すると、たくさんの果物が出迎えてくれ、中はとても活気のあるスーパーだった。 見知らぬ土地のスーパーはとても新鮮に感じる。 ここはとにかく魚介類が豊富で、 自分の住んでいるところのスーパーでは見たことのない、種類の多さだった。 これが海岸から遠くない街のスーパーなのだろうか。 夕方前なので、割と人も多く、学校帰りの中高生もちらほら見られた。 私は飲み物と2つのパンを買ったが、レジちょうど交代の時間だったらしく、 なんだかあわただしかった。

平屋の新しい建物。 スーパーマーケット「Freshly グッディ」。 向かいに郵便局もあった。

  買い物を終え駅へ戻ると、駅前には荒っぽい感じの高校生がたむろしていた。 待ち時間はあと43分もあった。とにかくこの強く冷たい風をよけようと思い、 駅舎内に入って長いすに座ってお茶を飲むと、ほっと一息つけた。 風がよけられるだけで、随分と違うものだ。 貨車駅でも雨風をしのげるのだから、あるのとないのとではかなり違う。

  座ってパンを食べていると、 駅前で待っている高校生が座るために入って来るようだったので、 ホームへと出て、駅舎から離れたところに立った。 ホームはほとんどが日陰になり、やたら冷たかった。 彼らの声を聞いていると、やはり駅舎に入ってきたんだな、とわかったが、 しばらく駅舎の出入り口を見ていると、なんと自転車を駅舎内に通して、 ホームまで持ってきて、ウィリーをして楽しそうに遊び始めたではないか。 佐奈から多気へ向かうときの車内で、 このあたりの高校の生徒の荒っぽさはすでに知っていたのだが、 こんなこともするんだ…と思った。 と、そのとき、その高校生はホームに立つ私の姿を見たらしく、
 「人居んの? えっ、人居んの?」
と突然慌て出した。私が跨線橋を使って、向こう側へ渡った、と思い込んでいたらしい。 それもそのはず、地元の人しか使わないような駅に、 列車の来る40分前に来て待ち続ける人がいるとは考えないものだから。 結局彼らは、自転車をすっこめて、駅舎内で談笑し始めた。 この一件では、結局「遊び盛りなんだな」ぐらいにしか思わなかったが、 栃原からの帰りの車内では、高校生がこれよりすごいことを車内でやらかしていた。 でも、まったく知らない地域の車内の実態を知るのはおもしろくなくはない。 それに、高校生だから仕方ないかと思ったりもする。 しかしときには、通報する必要のある場合もあるらしい。

  ホームに立って、お茶を飲みながらパンを食べ終わると、 何もすることなく日陰に立つだけになった。 あとは風が舞い込んでくるばかりでとても寒い。 信号機室の陰に入ってなんとか風をよけようとしたが、まったく効果がなかった。 駅舎に集まり始めている高校生たちも列車を待っているようで、 かなり退屈らしいようすだが、ときおり外へ出たりしてるから、 風のことなんか気にしていないようだ。 しだいに、すべてがどうしようもないぐらい冷え切りはじめた。 冬独特の夕方だった。 夕日が低くて油じみていて、じんわり冷たい風が襲ってくる。 貨物側線の枯れ草はすべてを忘れたかのように風のなすがままだ。 もう時計を見るのがいやになって、あと何分かも考えず、 ただ、列車の来る時間に早くならないかな、と念じた。 そのころ、ホームにしだいに人が増えてきた。 少し離れたところから眺めていると、やはり高校生が多かった。 これはもうそろそろ来るころだな、と思ったが、なかなか来ない。 それから20分弱で、ようやく踏み切り音が聞こえ、列車が到着した。 駅舎前に近づき、あらためて待っている人たちを見ると、一般の人も割と多く待っていた。 さっき見てからこのときまでの間にやって来たようだ。 一般の人たちは、高校生とは違って、駅でなるべく長く待たないように計算してやってくる。 しかし学生にとっては、こんな待ち時間が、意外に印象に残る思い出になってくる。

  列車の運転台から降りた車掌は、ひたすら集札していた。 車内に入ると暖かく感じたが、体はすぐには温まりそうになかった。 列車は出た。隣の佐奈を過ぎたころ、急にあたりが暗くなり始めた。 日暮れだ。日帰りの予定だが、まだ時間があると思い逆方向の列車に乗っている。 しかしこのままでは栃原につくころにはもう日が暮れている。 不安に思っている中、列車は掘割を通り、山の中に分け入っていく。 なるべく早く着いてほしいなと思った。

次に訪れた駅 : 栃原駅