栃原駅 - 伊勢地方への旅─冬編 その2 -

(紀勢本線・とちはら)

  掘割を抜けて坂を下り、栃原駅に着いた。もう日が暮れた後だった。 列車から降りてホームを歩き、出口に向かうのはみんな家へ帰る人々だった。 明かりの灯った上屋の下では車掌が集札をしていたが、 私と、私のすぐ前にいる背の高く体のごつい年取ったおじいさんは 駅の出口から離れたところから歩いてきたものだから、 車掌はほかの人の集札をしつつこちらのほうへ歩き、時間の短縮を図った。 しかし、そのごついおじいさんが集札される番になったとき、 車掌のそのような苦労を台無しにする、なんともおかしな光景が繰り広げられてしまった。 車掌はいつものように、そのおじいさんに気軽な感じで乗車券を求めた。 するとそのおじいさんは手袋をはずし、コートの深いポケットの中をしばらくごそごそやって、 とりあえず掴み出したLOTO6のマークシートとパンフレットをいったん車掌に渡して、 さらにポケットの中を探り続けた。 車掌もきっぷを探しているのだろう、と思っている。 しかし次に掴み出したのは使ったようなチリ紙などの塊で、 それをまた車掌に持たせながらまだ何かを探し続けるものだから、 車掌が半ばおかしそうに、しかし半ば相当な焦りを感じながら、
 「えっ、えっ (何なのこれ…?) 、どちらから!?」
と尋ねると、 そのおじいさんは凄みのある低い声で駅名を告げ、400円ぐらい払うことになった。 乗ってきた列車には整理券の出る装置はついていなかった。 やはり乗車券を失くしたのだろうか。

夕暮れ空に浮かぶ緑色の堂々たる無蓋跨線橋。 駅舎前から跨線橋を。佐奈方向を見て。

伸びゆく二線と両脇の新しい感じの上屋のないホーム。遠くにあるそれほど高くない山々がまるで伸び行く線路を阻んでいるようだ。 跨線橋にて。川添・紀伊長島方面を望む。海へ向かう方向だ。

濃いこげ茶の土色の田んぼといくつかの田舎らしい大きな家と遠くに茶畑、山。 上の写真右後ろには宮野の集落が広がる。広い茶畑があった。

左手に家々が立ち並び、右手に砂利敷きの無機的なスペース。背景に低い里山の尾根。 跨線橋の下り線側からの風景。 上の写真とは反対方向になる、駅の前側にあたる。 こちら側に国道42号が走っている。

駅舎からホームに延びてきた短い上屋の下に蛍光灯が何本か灯っている。 駅舎には明かりが灯ったばかりのようだった。

上屋の下から見た駅舎前の雰囲気。新しい駅舎の壁は薄い黄色とくすんだ濃い色で配色され、ホームには黄色の点字ブロックがしっかり設置されている。 駅舎前にて。

無量山千福寺、丹生大師、大師湯の三つを案内した名所案内。駅舎のホームのある側の壁に取り付けられている。 名所案内。3つとも4km先の案内になる。

JR東海様式のホームに立てられた駅名標。 駅名標。

一人がけの青い椅子が八つ並んだ開放式の簡単な待合所。 駅舎前から見た上り線ホームの待合所。 佐奈駅と同様、簡素な造りだ。

開墾された山の谷。薄茶の枯れ草で覆われている。 上り線ホーム待合所の脇からは「大台茶産地」の大きな表示が見える。 茶葉の生産が盛んなようだ。

ホームの端から見える、こちら側に向かって広がるような形の敷地。 上り線ホームから佐奈・多気方面を見て。 側線がかつてあったような形をしている。

再び駅舎前の上屋の下から。 駅舎前にて。尾鷲が案内されていて印象的だった。

  駅舎内は変わった造りになっていた。 ホームから駅舎内に入るとコンクリートの短い通路になっており、 すぐに外へつながっているのだが、 通路に入ってすぐに、ふと右脇を見るとステンレスの間口が開いていて、 そこをくぐった先に待合所がしつらえてあるのであった。 このような造りは風雪を防ぐような感じなので雪国の造りのように思えたが、 室内は六面とも、じかのコンクリートのため、雪国には向かなさそうだ。 しかし、室内は音を立てればこもるぐらいの密な空間で、 窓も密閉され、風が一切入ってこないためか、寒さは外よりずっとましだった。

駅舎内かせ外へ出る短い通路。左の壁に時刻表と運賃表が掲げられている。 駅舎内にて。

青い一人がけの椅子の並ぶ居室内。 待合室内その1。

壁のカーブした部分には大きな明り取り窓が設けられている。 待合室内その2。 「みんなのために」の傘立てがあったが、中は箒と塵取りが入っていた。

ホーム側にも二つの縦型の窓。 右側の窓は変わった縦開きの窓。急行列車の窓を連想させる。

ステンレスの間口から見た駅舎内の通路。時刻表が見えている。 出入口のようす。

  駅舎から出ると、もう空の明るさはわずかで濃い群青色だったが、 今しがた下車したばかりの10人ぐらいの女子高校生たちが 何かを待つような感じで立っていたし、 三重交通の新しいバスも駅前で待機していたから、すこし賑やかな感じだった。
 「みんなうちへ帰っていくんだな…。」
待っている高校生たちはバスに乗って帰るのかな、と思っていながら見ていたが、 バスに乗ったのは結局1人で、まだ駅前に高校生が立っている中、 バスは駅前広場で素早く転回し駅から離れていった。 案外経営は厳しいのかなと思った。 待っている高校生は、みな直接お迎えがあるのだ。 バスが離れていく直前ごろから、ライトを灯した自家用車が次々と駅前に入ってきて、 一人高校生を乗せては駅前から出て行ったのであった。 そのお迎えのラッシュはまさにあっという間で、 数分後には駅前に一人男子高校生が残るだけとなったが、 やがて到着した一台の軽自動車とともに、その子も駅から消えていった。

  そうして駅前には、私以外誰もいなくなった。 日はとっぷりと暮れた。ひどく心細くなった。 脇に小さくて古いタクシー事務所があった。 中を覗くと、誰もいないのにストーブが焚かれていて、ヤカンがぐつぐつ鳴っていた。 「なんと暖かそうな!」。 そうか、何かまずいことがあれば…ここからタクシーを飛ばしてもらえる…

  いつもならこれから駅前の集落を見て回るのだが、 この暗さではどうしようもなかった。 それに、都市から離れた山あいの駅の夜には、やはり怖さや不安を感じ始めた。
─ 誰が来て、何が起こるのかを知らない ─ ということ。
もしそういう事情が実際にあるなら、 地元の人はそれを把握しているはずだが、私のような者は何も知らない。 いや、もしかすると地元の人でも夜の駅の実態を知る人は少ないのではないか。 そう考えると、よけいに怖くなってきてしまった。 駅は公共の場所で、誰のものでもなく、誰がいつ来ても許される。 宿泊施設に居ると安心なのは、それは実際に夜の安全が保障されるということだけでなく、 私という一個人だけが、室料さえ払えば指定された空間に居続ける権利を得られる ということからも来ていると感じた。

民家に囲まれたような広いアスファルトの敷地。駅前に出てくる細道が、家と家の間に見えている。 駅前広場のようす。絞り開放で明るいが実際は…

上と同じ位置から取った写真。 もうすっかり夕闇の暗さだった。

モダンなデザインの新しいコンクリート造りの駅舎。 栃原駅駅舎。

  駅舎は随分とがっちりした新しいコンクリート造りで、 三角屋根と両脇のカーブした壁が特徴的な駅舎だった。 この色の組み合わせは、JR東海の最近建てられた駅舎に多いとは思う。 しかし、無人駅がもっと簡単な駅舎に変わっていく中、 こうしたがっちりした駅舎ができるのはうれしい。 駅のすぐ脇に広い公園と、軒下に長いすまであるログハウス風のトイレがあったが、 暗くてよくわからなかった。

駐車場スペースとログハウス風のトイレ、丸太で組んだ案内板。遠くに取り囲むような山々。 駅右手の公園。

鼠色の波板とアルミサッシの引き戸の簡単な建物。 寿タクシーの事務所。

  駅の時刻表で次の列車がここに来てからわずか17分後のものだと知っても、 とにかくそれに乗ってしまおう、と思った。 この暗さではこれ以上ここにいても仕方ないし、 その次の多気方面行きは1時間7分後だったから。 真夏ならその列車に乗る頃でも外は十分明るいのだが、 このときは真冬の1月だった。
 駅前にいると、襟巻きをしてコートを着込んだおじさんがふと現れ、 駅舎をくぐり、跨線橋を渡っていった。 もうすぐ来るんだな、と思った。 私は後を追うように、少し急いで跨線橋を上った。 しかし時計を見ると少し遅れが出ているようで、 運良くあと数分、駅にいられることになった。 それでもこの駅には20分ちょっとしかいなかったことになるのだが、 20分を切るのと切らないのとではかなり感覚が違ってきて、 20分以下だとかなりせわしなく感じる。

  跨線橋に立っていると、やがて山の深い方向からライトを灯した列車が姿を現した。 あわてて階段を下りた。 ホームへ静かに滑り込んでくる、この2両編成のキハ40系は街へと向かう列車だ。 列車に乗り込んだときは、「これでなんとか帰ることができる。 暗闇の駅に一時間以上も取り残されたらもうどうしようかと…。」 そう思いながら安堵を味わったが、 乗り込んだ列車は機械音を止めてどっしりと停車し、まったく動き出す気配がなかった。 「なんだろう……あ、交換待ちだ…。」。 すぐに対向列車がぐんぐんエンジン音を立てながらやって来た。 こちらの列車のエンジンも掛かり始める。 すると駅はうそのように華やかさに包まれた。 対向列車のドアが開いた。学生たちの声が静かな車内にまで響いてきた。

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