六軒駅

  ワンマンの単行気動車に乗っている。 車両の後ろあたりに座っているから、 運転台の広い窓から視界に入ってくる風景は、 ゆっくりと遠くに遠くに吸い取られてゆく。 ホームの幅が広く、古い上屋がしっかりした無人の高茶屋駅をぐんぐんあとにすると、 大きな川を跨ぐトラス鉄橋に差しかかった。雲出川だという。 この川が砂洲をつくり、その上に香良洲(からす)町ができた。 この町の海岸の香良洲浦は、その季節になると潮干狩りなどの客で賑わうという。 晴れた空の下の単線のトラス鉄橋を、 カタタタン、カタタタンと気持ちよく音を立てながら爽快に渡り終えると、 少しカーブを挟んで、緑色のトラス鉄橋はどんどん遠退いていった。 まわりの田畑の風景はとめどなく流れていき、やがて六軒駅に到着。 冬の田んぼばかりに囲まれたところに停車したから、 下車するのに少し戸惑ったくらいだった。

上屋のない長いホームに立って。左手に線路内、右斜めにホーム脇の信号機室がある。信号機室は白いコンクリートの平屋の建物。 高茶屋・津方面を望む。

左に信号機室、右にトイレ。いずれも白いコンクリートの建物で無機質。トイレの入口の前にはブロック塀で作った壁が立てられている。 信号機室とトイレ。

ホームに二本足で立つJR東海様式の駅名標。

左手に線路内、右手に冬の田。上屋のないホームがまっすぐに伸びる。 再び高茶屋・津方面を望む。

  下車してから、簡易駅であることを思い出した。駅舎に凝ったものはなかった。 駅前と駅の右手には建物が集まっていたが、 ホームを津方面に歩いていくとまわりは休耕田が広がるばかりで、 冷たく乾いた風の通り道になっていた。 暖房の効いた列車に長く乗ってきたこともあって、なかなか気持ちが良い。
  津方面を望むと、造られたばかりの新しい盛り土が横たわっていて、 六軒駅構内に入るあたりをコンクリートの橋で跨いでいた。 この日はその盛り土で道路を造る工事をしていたから、 機械音が遠くからぱらぱらとやって来て、少し気になった。 ところで、この盛り土の道路は「国道23号中勢バイパス」の一部で、 このあたりの部分は2007年4月15日に供用が開始された。 今は1月下旬。共用に向けて工事の真っ最中ということになる。

ホームから陸屋根の簡易な駅舎を真横に見て。少し遠くに跨線橋が写っている。 振り返って。

長い椅子が幅いっぱいに設置された、少し横に長い簡単な待合所。線路内に面している部分が開方式になっている。 右手にあった上り線ホームの待合所。

高い倍率でやっと撮影。稜線にごく小さく白い風車が立ち並んでいる。 待合所の右手あたりからは青山高原の風車が見えた。

柵が緑色に塗られた屋根なしの跨線橋。 駅舎前から松阪・鳥羽方面を望む。 JR東海の典型的な簡易駅の様相を呈している。

建物があまり見当たらない風景のなか、二線が遠くで一線になっている。 跨線橋をくぐって、松阪・鳥羽方面を望む。

  1956年に起きた六軒事故のことは事前に知っていたのに、 このときはすっかり忘れていて、慰霊碑のことも忘れてしまっていた。 列車が信号を冒進し、安全側線で脱線、 脱線しなかった車両が本線上まで進んでしまい、 対向列車と衝突、42名が死亡する事故だったという。 上の写真はちょうど事故現場を眺めていることになり、 慰霊碑が踏切の右脇にあるのが写っていた。
  どんな事故でも、それに対して、 直接憤りと悲しみを抱いた人たちが減じてゆくということは、 未来において弔う人を、穏やかな気持ちにしてくれる。 それはほんとうに悲しんで憤ってきた人たちが、 もう悲しんだり憤ったりしなくてよくなるから。

途中までレールの周りがすっかりアスファルトで舗装された側線。 下り線ホーム左側のバラストを運ぶ側線。

階段のないほうから見た跨線橋。運転士から見える部分に「JR六軒」と書かれてある。 跨線橋を高茶屋・津方面に見て。

左に簡易駅舎、右手からこちら側に向かって自転車が並んでいる。 跨線橋に上って、駅前を見渡して。

床面積より広い陸屋根を持つ簡易駅舎。奥のほうには冬の田が広がる。 跨線橋から見た駅舎。

広がる休耕田の中まっすぐに伸びる線路とホーム。 六軒駅構内俯瞰。

上り線ホームの簡易な待合所とその後ろに広がる冬の田畑。 跨線橋から見た上り線ホームの待合所と広がる田畑。

だだっぴろい土色の田。 上り線ホームより向こうは広大な田畑が続く。 この向こうに近鉄山田線とJR東海名松線が走っている。

左手奥と右手奥に大きな建物があるきり、目立った建物のない風景の中、伸び続ける線路。 松阪・鳥羽方面を見て。

駅構内から見た駅舎の出入口。白い壁に長方形の間口が開いているだけ。 上り線ホームから見た駅舎。

  上り線ホームには簡単な待合所しかなく、 それ以外には、やはり、背後に冬の田がただただ広がるばかりであった。 こんな広々としたところにある駅に、独りでいるのはとても気持ちよかったが、 遮るものがないために、全体にみなぎってわたって来る風はしだいに とても冷たく感じられるようになった。 何かないかな、と思い、待合所の後ろに回ると、 待合所がアスファルトの舗装からすっかり隆起していたのを見つけた。 地震のせいか施工のせいなのか。 全体的に簡単な造りで完璧なように見えていただけに、意外だった。 そのことが引っかかったこともあって、 どうもこの上り線ホームが不自然に感じられていたが、 あとで航空写真を見てみると、 上り線ホームの田んぼ側にもう一線あったことがわかった。 自分で撮った跨線橋からの俯瞰写真を見てみてもわかる。 つまり、上り線ホームにある待合所裏の不自然に隆起したように見えたのは、 待合所の表側のホームの縁はかさ上げされているものの、 待合所の後ろ側のホームの縁は、かさ上げされていなかったため、 待合所を設けるときに、後ろ側だけ アスファルトが隆起したような施工になってしまったからだろう、と考えてみた。

ホームから駅舎内に向かうのに付けられた三方の数段の階段が特徴。 駅舎前。

  駅舎入口前には、おなじみの青いきっぷ回収箱があった。 ただ、この駅はスロープでホームのかさ上げ部分と駅舎内をつなぐことをせず、 階段で高さをつないでいたことが珍しく感じられた。 また、参宮線直通の列車が多いこともあってか、 1番線の案内には「松阪・伊勢市方面」と案内されてあり、 本線の駅名は案内されていなかった。

ホーム側の駅舎の間口を通して、外側の駅舎の間口を見て。 駅舎内を通してみた駅前。

両脇に木製の白い椅子が据え付けられた駅舎内。床はつるつるしたコンクリートのまま。 外から見た駅舎内のようす。

白い木製の長椅子の上には天井まで広がった薄い緑の掲示板が取り付けられてあった。 駅舎内右手。木製の白い長いすは建物に据付のものだった。

間口脇の外側の壁には黒い駅名表示が付けられている。 駅舎内左手と駅名表示。

簡易な駅舎内のため、時刻表、運賃表、避難所案内、ゴミ箱撤去のお知らせの貼り紙 以外のものは特に何もなく、ゴミも落書きもほとんどなかった。

アスファルトの敷地。奥に3件の古い民家。 駅前のようす。

  駅前の広いスペースの奥には住宅街への細い道への入口があり、 逆から来れば、唐突にできた停車場にやって来た、という感じがするのかもしれない。 駅のすぐ前だけは大きな菱形の石を敷き詰めてちょっと凝った風なところがあったが、 重いトラックが行き来したためか、ぼろぼろに成り果てていた。

床面積より広い陸屋根をつけた簡易な駅舎を斜めに見て。少し離れた所に成長した背の高い植木が一本植わっている。 六軒駅駅舎?

  駅舎前に不自然に植えられた一本の木は、 木造駅舎時代の駅庭の一部なのだろうか。 だとしたら、その木のあたりまで駅舎があったのだろう。

少しはなれて駅舎を。左手遠くに上り線の待合所、その右にずれて駅舎。手前は少し広めのアスファルトの敷地。 六軒駅駅舎?

牧場で使われるような柵がめぐらされた駅前。柵の向こうは広がる田。 駅舎を左手にして見た光景。牧歌的な柵が廻らされている。

跨線橋を斜めに見て。下り線ホーム沿いに自転車がずらりと並べられている。 駅舎左手にある跨線橋。

  跨線橋を右手にしながら駅前スペースの奥に進んでいくと、 バラストがいっぱいにこぼされてあり、 バラストを運ぶための貨車が側線に留置されてあった。 すぐ前には人家があり、こんなところで運搬作業がされたら さぞかしうるさいことだろうと思った。 このあたりに入り込む手前で舗装された路面は終わっており、 直前の舗装された地面には「出入口駐禁」と書かれてあった。 きっとトラックが出入りするのだろう。 そういえば駅舎前の路面はぼろぼろで穴ぼこだらけだった。

手前には広がるバラスト、奥のほうには貨車にバラストをトラックが運び込むための白いコンクリートのスロープが見える。 バラストを運搬する側線付近。

駅前のスペースを俯瞰して。駅の規模にしては駅前のアスファルトの敷地は広い。 振り返って駅前を。

手前に自転車の並び、アスファルトの敷地を挟んで、人家が一件写っている。 跨線橋前あたりから駅前を見て。 自転車はだいたい5,60台。

住宅街のごく一般的なアスファルトの道路に囲まれてある田、そのすぐ奥に住宅が並ぶ。 駅前のスペースから伸びていた住宅街への道を進んで。 右手では田んぼをつぶして新しい家々が立ち並ぶらしい。

  駅前のスペースを抜けて、少し住宅街へと入った。 駅の近くには左手に個人の美容院があったきり商店はなく、 至って普通の住宅街が始まっていた。 しかしこの道をまっすぐ500mほど歩くとT字路で伊勢街道に接続し、 そこが小津の集落になる。小津には一里塚跡や常夜灯、道標などがあり、 街道の名残が多いようだ。また右折して伊勢街道を南下すると六軒の集落に入り、 そのあたりから市場庄の集落までは街道沿いに作られた古い町並みを見ることができる。 そのため、伊勢街道の古い町並みを見に行くにあたっては、 もちろん六軒駅から歩くプランも考えられ、 そう考えると、この簡易な駅から旅をした人のことがふと想像される。 この駅は、ここから街道歩きをした人の記憶に、どんな風にしまわれているのだろう。 きっと街道を歩いた思い出の始まりとして、特に変わったところのないこの駅が登場するだろう。 この六軒駅も、これからも多くの旅人の第一歩を刻んで欲しいと思った。

  駅舎内で列車を待ったが、扉がないから風は吹き込み放題。 とても座ってはいられず、駅舎の中で風をよけるように立ったりしていた。 しかし、まったく効果がない。
  「またそれにしてもずいぶん曇ってきたぞ・・・。」
  ここに来たときから気にしていた空模様は、 だんだん集まって増えてきて雲ばかりになり、この先の旅程に不安をおぼえさせ始めた。 雲の少ないところまで行って、そこで降りようかとも考え始めた。

  ふとエンジン音が聞こえてきたので、ホームに出ると、 名古屋行きの快速みえが向かいのホームに停車した。 一体何があったのだろう、と、驚いて、そして慌てたが、 交換待ちとわかった後でも、なかなかその状況が納得できなかった。 というのは、交換待ちをするにあたって、 こんな近郊の駅に割と長く停車しているのに、 旅客扱いをしないことが異様な光景のように映ったからだった。 少し遅れて鳥羽行きの快速みえがこちらのホームに入ってきて、完全に停止した。 駅舎内から見える快速みえの窓の、アコーディオンのカーテンの隙間からは 窓枠に頬杖をついているスーツを着た男性の姿があった。 そういえば、あの六軒事故での2つの列車は、 事故直前に、交換待ちの駅が松阪駅から六軒駅に変更されていたのだった。 事故を知る人は、ここで交換待ちを経験するたびに思い出してしまうのかもしれない。

  快速みえが去り、普通鳥羽行きの着く時刻になる数分前、 列車が4分少々遅れているという放送があった。 この寒い中あと4分も足して待たないといけないのかと思ったと同時に、 無人駅に響く肉声を聞いて、隣の駅であり、大きな駅である松阪駅が近く感じられた。 松坂駅なら都会駅だから多少天気が悪くてもなんとかなるか。 温かい飲み物を手にしたり、そばでも食べたりして暖まることもできるだろう、と思い、 次の駅で降りることにした。

次に訪れた駅: 松阪駅

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