坂田駅
(北陸本線・さかた) 2006年9月
夏の蒸し暑さが抜けて日差しの鋭さだけを残したような9月下旬、初めて坂田駅に下車した。この年は秋になるのが遅く、9月の半ばに差し掛かっても夏の要素がいくらか残ったままだった。坂田駅は無人駅であり、ホームは線路脇から鉄骨で支えられた簡単なもので、駅舎もなく改札小屋しかないが、すぐ近くに、大きな木のテーブルと丸太の椅子のある、ゆったりくつろげそうな「近江母の郷コミュニティハウス」があり、駅がそんなだけに贅沢に思えるものだった。
下り線ホームに降りたのは自分を含めて3人で、まだ列車が停車中で狭いホームに圧迫感があるうちに、次々と改札小屋に入って行った。しかしスーツ姿の眼鏡を掛けた50代くらいの人は、小屋の中の時刻表を見るそぶりを見せつつ、そこにとどまって下車客の動向をちろちろ盗み見ていて、変な気分にさせられたので、私は足をいっさい止めず地下道を通って、向かいの上り線ホームへ入ってしまった。
上り線ホームから米原・京都方面を望む。
同じホームから長浜・敦賀方面。
駅名標。
この駅というのはどちらのホームも、下車してから白い石膏ボードのような安っぽい壁に沿って歩いていくと、突然、壁が狭い間口をあけていて白い物置のようなものがあり、そこが出口になっているという駅だ。小屋のような空間だから駅員がいると思うも、覗けばただただ自動入場記録機が虚しく立っているという、初めて下車するとけっこう驚く駅である。
小屋の中は本当に改札機器しかなく、籠入れ花や掲示物などもない。時刻表もないのは不思議だった。集金設備ばかりで、ちょっといやなところだ。
改札小屋の中の様子。筐体がステンレス製の自動入場記録機、きっぷ・運賃収受箱、体を反らせたようなICOCAタッチ、クリーム色で頭でっかちのJスルーカード専用改札機の4点が設置されてあった。
改札小屋を出て振り返って。
改札小屋を出て。
坂を下りきったところから、改札小屋を見上げて。駅の顔。
上りホームから小屋を出ると、細い下り坂になっていた。コミュニティハウスの裏手にあたり、陰りがちで湿っぽい。例の小屋と考え合わせても何か陰湿だ。坂を下っていくと、レールよりも少しばかり下に下りることになり、疑いも晴れて駅前となった。
そうやって駅から出切ったところに観光案内図並の大きさの列車時刻表があったり、コミュニティハウスとは別の、24時間利用できる無人の簡易な待合室があるのは、駅の機能が駅からはみ出したというより、青空駅舎、といえるようなものかもしれない。
ほかに、隣のホームに行く地下道や、最近建てられた感じのゆっくりくつろげるように造られた新しいコミュニティハウスなども駅前に集められているのは、小さな駅ながらも、周りにサービス施設を集め、降り立った人のことを考えてくれている気にさせてくれるような、建物たちの賑わいだった。
駅のすぐ前の様子。
駅の前では、町の中年女性の方が、公衆の大きなごみ箱からごみの詰まった重たい袋を取り出して新しい袋に替えたり、両待合室内の拭き掃除などをせっせとされていた。近くの駐輪所には、何台もの自転車がとめられてあり、それらの持ち主こそ、この坂田駅の利用者なのだろうけれど、サイクリング用に貸し出す橙色の自転車が幾台かあるらしく、そのうちの2台が、屋根の下から外へ出されて、整備されている最中のようだった。
ささいな駅で、ろくに駅舎もない駅員無配置の駅だが、ただそれで終わりではなくて、こんな駅もさまざまな人が携わって成り立っているのだと知った。
待合室の近くから駅前を見て。
待合室の玄関。
待合室の中のようす。木製の長椅子の後ろの壁の向こうにあるスペースがトイレになっている。
24時間利用可とさたれ簡易待合室の中には、トイレ、飲料と新聞の販売機、木製の長椅子がある。列車まで時間があっても、新聞があれば待ち時間を有意義に過ごせそうだ。待合室の入口に「新聞の自動販売機を設置しました。ご利用ください。」と書いた紙が貼っあったから、コミュニティハウス以外でのかなりの力の入れように、ちょっと不思議な気はした。
券売機は、待合室向かいのコミュニティハウス入口の軒下にあるが、券売機のすぐ右横には事務室に通じている小さな窓口があり、何らかのときの対応や防犯を図っているらしかった。発券されるのは近距離きっぷで、買ってみると券面に丸の中に「ム」と書かれた記号が印字されている。うっかり機器に通し忘れたときのことも考慮してだろうか、いやただ単に「無人駅だから」という理由からかな、と考えたりした。
坂田駅の駅舎の代わりとなるはずのコミュニティハウスの中に入る。中には明るい色の木でできた広いテーブルがあり、その周りには丸太を加工して作られた椅子が並べられてやはり駅というより交流施設だった。飲料販売機もあるから、長く歩いた後に休むのに良さそうだ。
券売機。クリーム色の鉄板の囲いの中にある。
待合室の向かいの入口からコミュニティハウス内を見て。
反対側から見たようす。手前のテーブルのみ喫煙席に指定されている。
この「近江母の郷コミュニティハウス」は1995年に建てられたもので、近江町商工会の事務所を兼ねていたのだという。というのも、近江町は2005年1月に米原 (まいはら) 町と合併して米原市になったのだ。ここで近江町と聞いて思い出されるのは、この北陸本線で最も北陸らしい一つである金沢にある近江町市場。それも元は近江商人の始めたことだといわれているから、どちらも同じ近江の国に関係しているという点で、関連性があるのだった。
ここが北陸本線というのなら、列車よ、旅よ、金沢まで連れて行っておくれ。
駅前広場のロータリーは整備したてのようで、まだ新しかった。縁石の角がまだ鋭くて、コンクリートの色が新しい。奥の方では近江鉄道の新型バスが何度もハンドルを切り返して方向転換していたが、そのほかには駐車も人通りもなくて、青空の下に広がるすっきり整備された新しい転回場は、都市近郊の息苦しい雰囲気とは違って爽やかでさえあった。
駅前ロータリーの様子。
山内一豊とその妻千代の石像。
ここ旧近江町は、山内一豊の妻千代の出身地だということで、二人並んだ白い石像が植え込みに設置されていた。この二人はNHK大河ドラマ「功名が辻」の主人公であるため、 つつじの植え込みの中に立っている塔には宣伝の垂れ幕が掛かり、駅前にはしきりに幟がはためいている。今は誰も来ていないが…。
コミュニティハウス全景。
コミュニティハウス前から、長浜駅方面に延びる細い街道を望む。
コミュニティハウスとサイロの縦坑の上に載っている小さな家のようなもの。
地下通路の入口。左隣が24時間利用可能な待合室。
駅裏にあたる、下りホームへは地下道を通った。その入口に赤色灯が設置され、「長浜・敦賀方面へはこの地下道をご利用ください」というプレートがかかっているが、「長浜・敦賀」の部分が大きめの赤い字になっているので、下り列車が来ると赤色灯が光って知らせるのかなと、少しの間思ってしまった。さすがにそこまで気を利かせてくれるわけはない。防犯用である。しかし地下道内に落書きなどはまったくなかった。
地下通路内のようす。両脇の壁がクリーム色のペンキで塗られているため光が反射し、明るい。
地下道を出て。坂の先に見えているのは下り線の改札小屋。
地下道を出ると、駅裏に出たことにもなった。畑沿いの農道が走っている。この地下道は駅利用でない人たちにも使われるということだが、するとますますこの駅はこの駅で完結していない、駅構内以外のいろいろな設備で成り立っている駅だった。
裏手は深々とした緑の野菜畑が一面に広がり、高いサイロ、はるか向こうにはビニールハウスも見えて、気持ちの良い風景が広がっていた。湖北の平野だ。
緑の畑。
改札小屋の前から近江町農協のサイロを眺めて。暗い赤色の屋根はレンガを連想させ、伝統的なサイロの建築をも連想させそうだ。
改札小屋の前から見下ろした畑の風景。
改札小屋の中の自動入場記録機とJスルーカード専用改札機。
この中にも例の4点セットが設置されていた。
向かいの上り線ホームの改札小屋のようす。
長浜・敦賀方面の風景。
京都・米原方面の風景。列車が来ると「れっしゃにちゅうい」という文字が光る装置がホームの屋根の下に取り付けられていた。
下り線ホームの駅名標。
坂田駅は取り立てられることもない無人駅ながら降りてみるとさまざまな駅構外の施設と人々に支えられて成り立っている駅であった。下りホームで待って、二つ先の長浜駅に向かう。直流化で変わる前の長浜駅はどんなものか、見に行こう。
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