下井阪駅  - 桜の桜井線・和歌山線紀行 -

(和歌山線・しもいさか) 2007年4月

  下井阪駅に着くとほっとした。 実は打田駅ではかなり疲労が募っていて、 2つ目の跨線橋を上っているとき、その階段を呪ったほどだった。 こんな下車旅では跨線橋の階段が案外こたえることがある。
  しかしここ下井阪は後造りのためホームが一つで、もちろん階段もない。 あたりも畑が多く、広々としていて、それでのんびりした気持ちになったのだった。 しかし街が近い感じで、近くの道路はかなり自動車が通るし、 畑越しの遠くにはいろんな看板を出した大きな店舗の背面が見えた。 そのそばには国道24号があるのだろうと予想がついた。 薄曇になんとか目を凝らすと、 高いポールの色々な看板が、ぼんやり痩せた立ち木のように並んでいた。 賑やかな国道も、離れて見るとどこか別の世界のようだ。 また中身だけあって、外観はないという空間のようである。 ところで、あとで調べてみると、あの背面を見せている店舗のあるところは、 商業施設の集合地で、 スーパーマーケットやホームセンター、レストランなどが広い駐車場を取り巻いて 建っているところだった。
  もう打田に着いたときから、 南の龍門山系は標高の低い最初ヶ峰で終わり、家並みで見えなくなっていたのだが、 こうして改めて南方を望むと、その山系が完全に終わっていることが見て取れた。 こんなに開けている。奥にかすかに見えるのはもう貴志川や桃山の山だった。

駅名標と待合所を打田方面に見て。

ホームは岩出方面にまっすぐ伸びる。

ホーム柵越しに見た風景。

乗り場側から見た風景。あのあたりに国道24号が走っているはず。

国道沿いらしい高いポールの看板が立ち並んでいた。

打田方面を望む。

  ホームを岩出方に端まで歩くと、畑に選挙カーの声が渡ってきた。 相変わらず割れたスピーカーでやかましいことこの上なかったが、 声の主の遊説の旅の感覚がふと飛びついてきた。 あの人も長々と票田を渡り歩いてきたのだろう。 選挙というのも、またその地域を色濃く映しているもののようで、 よそへ来て選挙放送を見ると、別の地域にやってきたのだと実感せられる。 直江津のホテルのテレビで見たことを、少し思い出していた。
 灰色や緑の畑地が広がっているが、 こうして西に移動してみると雲が濃くなっていて、 薄暗いものになっていた。明日は崩れるようだ。春らしく、2日と晴天が続かない。

  ホーム乗り場側も畑だったが、駅に近いところだけ新しいアパートが建っていた。 あたりの畑地も様変わりするのだろうか。下兵庫のことを思い出す。 やはり駅に近いところは人気が予想されているようだ。
  ホームを歩いていると、ふっと、 こんな駅だって一度降りるかどうかもわからない駅だな、と思えた。
  屋根付きの待合所は、 そこだけホームの幅が広がっていて、広くなっていた。 椅子には敷物がしかれ、それに自動販売機まで併設されていて、 和歌山線の、ほかのホームだけの駅とは違っていた。 しかし券売機はいつもの650円までのもので、 小さい小屋でいつも雨風をしのいでいるようだ。
  スロープでホームから出たところはいきなり広い駐輪所で、 100数十台は駐まっていた。屋根なしである。 これでホームのやや格上の設備も納得しつつあったが、 しかし駐輪所脇に、とんだ落書きを見つけた。

ホームの隅に1979-12と彫られた石板が置いてあった。 ふつうプラットホームの基礎に彫ると思うのだが…。

駅名標。両方に矢印が入っている。

待合所の風景。

椅子には敷物がしいてあった。

名所案内と運賃表。 名所案内では紀伊東国国分寺跡と紀伊西国国分寺跡のそれぞれが案内されている。

ホーム出入口付近から見た国道方向の風景。

券売機。

下井阪駅。

例の落書き。

落書きその2

  「チカンや不審者に注意しましょう」と書いてある不審者のところを、 「駅長」とスプレーで書き換えてある…。 この一連の旅行記をお読みの方はもう察しがお付のことと思われるが、 この和歌山線はよろしくない乗車をする人が多くあって、 これはそのうちの一人が、ばれてしまい、 ひどい目にあって、こんな書き換えをしたのではないかと思った。 だって、でもなければ、落書きするに当たってこんな、駅長なんて言葉は出てこない。 で、その看板の裏側を見ると、今度は不審者のところを「ぼくたち」として、 「チカンやぼくたちに注意しましょう」と変えてある。
  ちょっとは考えているんだね、と笑った。 彼らの交信に、はめられた。それこそが彼らの狙いだったのだろう。 こうして取り上げられることもまた…。 こんな落書きこそが和歌山線への溜飲下げには妥当だと思わせているようでもあった。 しかし粉河駅で夜間電留していた221系に落書きしたりして、調子に乗り過ぎたりしないように。 落書きの問題について私が厳しく語る資格がない、 それは、しようとも思ったことのないことが、すでに問題であるから。

下井阪駅前駐輪所。

「桃源郷(紀ノ川堤防)まで徒歩20分」。

  沿道を自転車たちに出迎えられながら、二車線の道路へ出た。 すぐ近くに踏切があるため、いちいちいったん停止していて、 せわしないところだった。 道に出る前に、桃源郷まで徒歩20分という立て看板が出ていた。 これは紀ノ川の左岸に立って南に見渡せる、 満開の桃の果樹園をいうのだという。 打田駅のところでは最初ヶ峰からの眺めがいいらしいとか書いた、桃畑である。 このときも4月が始まってほどないころだったから、満開だったに違いない。 しかし、このときは桃源郷という名から感心されないことを想像していて、 違うだろうとは思いながら、自分に苦笑していた。 だけど、ああしてここに看板を置くということは、 下井阪駅から徒歩20分で来る人もいるのだろう。 というのも、混雑を避けるため、 公共の乗り物での来郷が勧められているからだった。
  二車線の道の右にとって歩くと、下井阪の交差点に出て、国道に出る。 左は山の方向はずだが、見て驚いた。和泉山脈がこれまでにない近さだ。 山肌のごつごつした襞まで判別ができる。 あの幅のある山地をなんとか越えると泉佐野のはずれに出る。

右折して、下井阪の交差点のほうへ少し歩いて。

戻ってきて。和泉山脈方向の風景。 道路に下井阪駅への案内板が出ていた。

道路から見た駅前の風景。

駐輪所を駅へ向かって。

左手が駐輪所の出入口、右手が駅への通路。

  駅へ戻っていく途中、60代くらいの夫婦が、 お互い丁寧な言葉遣いで会話しながら私の前を歩いていた。 券売機の前に着くと、ここで切符を買うんだね、と言って切符を買い、 そのひとの名前をさん付けでよんで、その人の分、として手渡した。 こういう二人もあるのだ、と実感する夫婦だった。 二人はホームに上がると、夫は、じゃあここで記念写真でも撮りましょうか、 と言い、妻を駅名標の近くに立たせて、写真を撮った。
  その人たちの、最初で最後の、この駅の利用を見たようだった。
  それが、自分ももうここですることのない乗車と重なったのだから、 不思議なものだった。あんなふうに思い出に、自然に駅が現れるようにしたいが、 駅そのものを目的にする見方を持ちはじめると、 いくら駅からどこかへ行っても、どこか自然には現れにくくなってしまう。 しかし、こうやってあの二人に出会って、 下車そのものが自然に回想に現れえることを感じられた。
  次は岩出駅。岩出市に行くのも初めてだ。 その街の人の姿に、駅からの旅は仮託したい。

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