下石野駅
(三木鉄道・しもいしの) 2007年5月
瑞々しい葉影に長い階段のあるホームへの道のりは、見えない美嚢川の流れの想像を自然と育んだ。ホームが盛り土にあり、美嚢川は、その同じくらい高い堤防で見えなかったからだった。
お隣の宗佐から県道を歩き丘を越えてここ下石野にやってきたのだが、さっき上下の坂で越えた丘を、三木線は堀割で抜いているから、ホームに立つとやはりいつしかその方向を凝視していた。あそこを歩くと労なく宗佐に行きつけるというのは、トンネルであった場合よりも不思議だった。この峠越えは自動車は坂のまま易々と踏み越えるようなものだった。そういうささいな峠越えだけに、鉄道がどんなところでもなるべく平行移動が必要だと悠然と要求しているようで、またその性質ゆえにこの路線では唯一、工事らしい工事がなされたところであることから、鉄道の優越というものを受け取ることができた。トンネルだったら、薄い堀割のようにあってもなくてもよさそうに思えるものではなく、当然必要なものだったのだと思え、するとこんなところでは反って弱点が際立ったりするのだろう。不思議の秘密はこんなところかもしれなかった。
ホームにいると、ここは丘が近いから、少し緑が多い雰囲気だ。そして美嚢川流域の気持ちよい平野が、長々と始まるのを見渡せる。播州平野の旅は、ここからだ。
三木方面。
典型的な公園。
時計には児童用と書かれていて、小学生がここを使うのだろうか。
三木へ。
遥かなる播州平野(美嚢川流域)
厄神方面に見たホーム。
こういう駅もなかなかきらいでない。
厄神方面を望む。切り通しにパイプがそのサイズのトラス橋にて何本か渡されている。
階段を下りての風景。
川の近いことがわかる。
ガード下手前左に行くと駅への階段。
たいして高い盛り土でないのだった。
こんな規模でも橋梁とされるもので、下石野橋梁と名付けられていた。
2004年5月に塗り直したという。
下石野駅。
駅を離れて。
ではまた播州平野を歩き、次の石野駅へ向かおう。この下石野駅は来るまでに迷ったから宗佐から30分も掛かり、その道を取り戻してからはさっさと歩き通した。その分を取り戻すよう、下石野駅からはゆっくり歩いた。
石野駅へ。こんなところを歩く。
途中、遮断機なしの踏切前にて。
播州平野といっても、ここは美嚢川の谷底平野なのだが、十分広く、左遠くには芝の堤防が続いている。顔を見せない美嚢川を想像する旅でもあった。まっすぐに伸びる細い舗装農道を歩いていく。畑の黄緑色が初夏の陽射しを反射していて、暑苦しい空気だった。長袖を捲くった。
道のすぐ脇で農夫がつんざくようなエンジン音を響かせて草を刈っていた。石が飛んできたらどうしようかと不安になったが、二人は気にしていられるかという感じだった。このすべてが彼らの所有物であるように、怪訝にもした。畑は私有地なんだから、農道なんて、玄関までの通路みたいなものか。そしてまた、国包に行くまでに見つけた例のあの目の変形が、意識された。
ちっとも列車の走らない架線のない線路と、堤防の間の平野を歩いていると、ふと、
「こんなことして何になるのかな」。
名もなき平野、名もなき道。抽象的に、線路と堤防があり、初夏というものだけが、あった。でも、こんなふうにして歩いたことは、あやまたず思い出になる。確かに生きていたという思い出作り、それだけだ。死ぬ前に、この小さいことを思いだそう。三木鉄道など、どうでもよい。この1シーンだけを思い出す。
一途に生を謳歌する夏の始まり出す五月。きわどく妖しい陽気のなか、平野の真っただ中にいると、生きているような、生きていないような、それで結局やっぱり、鉄道に縋って、自分の今の位置を確定するためのごとく、次の駅を探していた。
だって、こんなどこやともわからないようなところを、何のお共もなく歩いていくのは、心細いではないか。
そう自分に耽って歩いていたら、次の石野駅がまたもや見つからない。線路に近寄って先の方を見渡すと貨車みたいなものがあって駅のように見え、あれか、と思ったのだがどうも違う、それでまさかと振り返ると、なんとまたすでに駅を通りすぎていた。またか。しかも石野駅は駅舎のある駅なのに、なんで見つからなかったんだと、憤慨しながら県道に遠回りに出た。
道を歩いて、駅を見つけるのがこんなにも容易ならざることだとは思わなかった。裏手を歩いていたこともあるが、県道を歩いていても、三木線の駅は、想像が難しいかもしれないがそんなふうに見つかりにくいものばかりなのだった。
駅があると錯覚した風景。
通りすぎていた石野駅。
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