新改駅

(土讃線・しんがい) 2008年1月

新改駅に停車する列車 新改駅に着いて。

  繁藤駅、標高およそ340m, トンネルで山腹をうねるように縫って縫って6km, 新改駅。 標高約200m. こうして土讃線は高知平野まで標高を下げてゆく。穂岐山トンネルから始まるこの一連のうねる線形は、山腹を使って基本的に谷そのものを遠巻きにすることから来ているらしい。

新改駅へ

  豊永から乗った列車は、峡谷を這い進んでいるにもかかわらず、そこそこ客もいて、車内はなぜかのんびりしている。よく暖房が効き、外には植林に冬枯れが流れている。角茂谷という気になる名前の駅を出て窓を見ていると、だいぶ深い谷を走っているようだった。繁藤に着く。吉野川水系を辿るのも、もうここが最後。以後川上はあさっての方向に向かい、とある深山にてついえてしまうようだ。繁藤を出て、いよいよ次なのか、と構えた。でも、あ、トンネルばかりだ。きょとんとして無言で黒い車窓をやり過ごす。だいぶたってからとある明かり区間にて車窓を見ると、ずっと下方に平地があるのがちらっと見え、とんでもないところを走っているようだった。やがてトンネルが短く続くようになり、山中の平場に、ぽろりと出る。「ここか…」。

  引上線にいったん入り運転台を変え、新改駅へと入線するが、このときはもう私はどきどきしていた。窓越しにホームがゆっくり流れ、本物の新改駅が目の前に現れる。列車は停止し放送が入る。数分間ここで停車する、トイレの方は降りてご利用ください、とのことだった。私は下車客として早速降りようとすると、運転士は、あ、降りられます? ちょっと待ってくださいね、と言ったが、地元の人なら考えて間を空けてから降りようとするんだけどという戸惑いと流儀を知らせるかのような様態がきびきび出ていた。そうして運転士は急いで元の運転台に移動し、ドアを開けた。切符は見ないのか、と思いながら、ひとりぽつんとホームに降りると、ほどなくして60過ぎくらいの女性が下りてきて、トイレってどこにあります? と訊く。何せ私はこの念願の駅に今はじめて降りたばっかりだったので、そう問われて楽しく困惑したが、一緒になって右往左往すると、駅舎の裏手に扉がついており、そこだった。ここです、というと、ありがとう、と言って入っていく。私が初めてなのをその人はこの一連で知ったようだった。
  しばらく考える。この人にとって、この駅なんてただ後退して入るだけの駅なんだな…。誰かをここのいつもの利用者と思うのも、たやすいらしい。そうやって先入観を持とうとしない新鮮な頭のあり方が欲しくなった。
  その女の人が列車に乗ると、ほどなくして、列車はひとりエンジンを高鳴らせて行ってしまった。独りになったと実感すると同時に、寂しくなった。お迎えは1時間後である。しかしこっちの線に入るのを忘れて本線伝いにそのまま行ってしまいそうだ。目の前は苔の擁壁で、林が迫っている。ホームもこれだけで、駅前にも林がある。

新改駅ホーム 列車が行ってしまったホーム。

水色のきっぷ箱のある駅舎出入口 駅舎は静かに口を開けている。

  ところで豊永では曇っていたのに目当てのここに来たら日が差していた。帰らなくてよかったなと思う。冬季の四国山地なんて曇り続きなのだろうけど、こうしてだいぶ太平洋側に出たことで変わったようだ。やはり海が近くなっているんだな。
  よし、とりあえずレールの突き当りまで行ってみよう。これはもはや儀式だ。歩いているホームもやがて途切れ、錆びたレールの脇を歩く。落ち葉や枯草本を折り踏み、足元ではひたすらぱきぱき、がさがさと音が鳴っていた。終端までは案外距離があるようだ。ところが、歩けば歩くほど、何か妙というか、どうも変な気分になってきて、突如、エンドレールの少し手前で踵をすばやく返した。もっとも、終端そのものは高く植物に侵され、接触は難しいもののようだった。それにしてもおかしいな、ここは山の中腹で自然に囲まれたいいところのはずなんだが…。そう考え直す。

遠くから駅の方を見た風景。ホームは結構長い。

レールの終わりの方。

終端の様子。

新改駅のほぼ全長。

この地点まででさえ列車の入ることは少ないだろう。

駅には信号機室か電気施設のようなものがあった。 入口の石の土台が浮いている。

トイレは駅舎の一角にあつらえてあり、非常に小さい。

  駅舎の中を見ても、戸惑った。
  明らかに誰かが装飾しているのだが、なぜかいっさい手入れをしていないところがある。生け花が飾られ、時計が整えられ、来訪者用ノートがある。しかし、背中合わせになった造りの、奇妙なほど大がかりな長椅子は埃まみれに端へ押しやられ、その上には浸水で汚れきった気持ち悪い座布団が並べてあった。椅子は鉄道側の所有物ゆえ大きく変えられないのかもしれないが、座ることは不可能であった。ここまで汚損したなら、廃棄しても差し障りないと思うのだが、それがきちんと並べてある。建物の内装は白く、爽やかだが、やはり全体として古さに襲われたものだった。

駅舎内にて。

ホーム出入口の風景。こまごまと掲示物が貼ってあるが、 事務的なものを感じた。 ここ独自の掲示物としては、 ここで10分以上停車する列車などを挙げたものがあった。

右が例の長椅子。

大事な一角。

定期的に点検されているようだ。

避難場所や代行バス乗り場の案内図。

  ノートの入っている虫食いだらけの木箱の上に、判子の入ったチェックシートがあった。それを見ると仮名を使っていて、ふっと地の人の影が消えて、駅舎が宙に浮く。ノートを開くと、いっせいにあらゆる人々の手の筋肉が踊りだし、肉体を感じた。目くるめく多様な筆跡、積み上げてきたものの違い、理解の違い、苦々しさ、傲然、皮肉、耽美。あまりに怖く、すぐ閉じて箱に戻した。読んだら元通りにせよ、と管理者は厳命する。
  ともかくあんなに人が訪れたとは到底思えなかったが、ごみ箱を覗くと、駄菓子の外装が目立っていて、私の知らないいつかに、誰かが確かにやって来ているようだ。わずか1日だったり、1本の違いだったりするが、そこには私の影響のない時間のあったことを知る。

  しかし駅ノートに記録された時間累積を信じられなかった。
  私の訪れている時間はここにおいてほんの一部でしかないはずだが、私のいる時間はもっと長いものだったり、私である以上ほぼすべてと感じられてくる。駅に自分を代入して、駅ノートの時間累積を信じる手掛かりを得ているはずなのに、逆に不信になったり、疑惑を感じるのはなぜだろう。けれども駅ノートは突きつけている。私そのものを込めたここの時間累積がこれなのだと。改めて自分の街を見下ろしたときのような、戸惑っているが信じなければならないものを、見た感じだった。私はここでどんな踊りを踊っているだろう? 苦々しさ、傲然、皮肉、耽美…。

  駅前は細道が横から上って来ていて、ここで終わりのようだった。エンドレールの方向に向かって無理に歩いてみたが、曖昧になり、山林だった。近くに朽ちた小屋がある。鉄道関係かと近づいてみたが、農具小屋のようだった。こうして間近で見ているうちに、風が渡ってきて、あたりを鳴らした。気味悪いと思って引き返す。駅前まで戻るのが長く感じられた。
  駅のすぐ前には閉鎖された木造家があるが、しっかり鎧戸を回し、とくに不気味ではなかった。その向かいにある駅舎も概観はそんな廃れておらず、白のまたもや瀟洒なものだった。駅務室を覗こうしたが、うまい具合にカーテンが掛かっていて見えない。ここはスイッチバックの駅だが、駅舎からすると、昔はたくさん駅員がいて、というような感じは受けない。

新改駅駅舎。

玄関口。ちょっと階段が変則的だ。 脇に塩化カルシウムの袋詰めが置いてあり、 何気ない凍結の日が想われる。

坂道にあるためこんな写り方。

森の中にある白い一軒家? 壁にはまた苔が這い始めている。

駅前の建物。これもよく写真で見た。

ここだけ見ると駅のあるかつては往来があった旧道にも見えそうだ。

舗装の途切れたところから駅の方を見て。

例の小屋。これはなぜか気持ち悪かった。

駅前の道をエンドレール側に進んだ様子。

駅構内にて。駅名標。 矢印はそのままにレールの終わっている方向をさしている。

信号所方の風景。

少し雑然としたところもあった。 ホームの行き止まりの方にはレールが置いてあったりもした。

  ちょっと歩いて、X型のポイントのある平場を見に行こう。ホームを高知方に歩き続けたが、駅前の道を歩いていっても入り込むことができるようだ。ホームがついえてもあたりに禍々しい立入禁止の立て札はなく、それどころかポイントを見下ろすような、道のついたいい土手さえある。登って見渡すと、やはりここは阿波池田方からトンネルを出てすぐある平場で、その坑口が見えていた。この信号所を南風が通過していくんだな。ぜひとも引上線の終端も見たかったが、線路内の近くを通らないといけないし、見通し不良だったのでやめた。それに列車内からの方がよく見えるはずだと思った。
  この土手の上やポイントは、駅と違いやや気持ちの良いところで、背後には谷を経て遠くの山並みが見渡せた。あちこち伐採の痕があり、林業が盛んだ。谷のところはとくに大規模にやっているようで、赤土が良く見え、こうしている間でもチェンソーの音が聞こえてくる。なんだ、明るいところかもしれない。

信号の方に進んで。この辺はホームは後から延長したところなのだろう。

線路と反対側から見た山。

線路側の山手の様子。木の電柱があり、電気が通っているのがわかる。 樹木がツタ類にすっかり絡まれていた。

振り返ってみる新改駅構内。ここをゆっくり列車が進入していく。

信号機が見えた。もうそろそろだ。

特に立て札もなく、素直にスロープが付く。

ポイントにて。

左奥が引上線、右が本線。

駅の方。本線上に坑口が見える。

信号所らしい設備だ。

ポイント融雪機。フックの近くに黒い跡があり、 闇夜の中、保線員が来るのを想像した。

土手から見える風景。かなりの山奥に居ることがわかる。

下方の風景。伐採場だろう。

  ところでホームのポイント側に程近いところでは、線路を挟んで、郵便受けがあり、奥の方に家屋があった。北宇智のことを思い出す。何度渡っていってみようと思ったかしれないが、結局やめた。感じからすると、不在か、もう住んでない感じだった。駅のそばだといってもさすがにここまで奥まったところとなると、鉄道が好きでもかなり覚悟がないと住めなさそうだ。普通列車でも通過するものがあるが、それでも目の前の駅に迎えの列車が来るのだから、こんなところではそのありがたさもひとしおだろうか。逆に、減便や廃止は、身につまされるほどのものかもしれない。やはり生活と結びつくと、好きで来ていることの小ささが浮き上がる、とはいうものの、この建物は転轍手など関係者のものだったものなのだろうか?

山手にある人家の入口。

あれが家屋?

郵便物は届くのだろうか。奥にはごみが散乱していた。

この家人が見るであろう駅の風景。

  駅設備としてはもうなさそうなので、駅前の道を下りていった。急カーブの続く下り坂で、途中脇の立て看板によると、時間雨量20ミリにて通行止めにするという。ということはここに列車が来ても、駅に行き着けないという場合があるのかもしれない。そういえば駅舎前に雨量計測器があったが、鉄道の規制値はいかほどだろう。

駅前の道を下りよう。

かなり急カーブだ。今後こんなのが幾度か続く。 左の道を上ると信号所。

信号所への道。左にホームが見えている。

駅前の道の続き。ミラーの横に街灯があり、 昼間なのにほっとした。

ときおり見える峰の風景。中央部が痩せて岩だけになっていた。

時間雨量20ミリ、連続雨量100ミリでこれより先は通行止めとのこと。 この看板は駅から出てきた人に向けてあった。 市道エビ谷コヲボウ谷線分岐まで、というのもすごい。

  途中、ヘアピンカーブに出た。鬱蒼と木が茂り、暗い。そこでは中央部が苔むした枝道を派生した。やめとけばいいのに、そっちを進む。昼でも薄暗く湿っぽく、やはり気味が悪くなり、引き返した。集落への道はさきほどの伐採地を通るので、多少は、賑やかな感じだった。

ヘアピンカーブにて。立ち位置後ろに道が出ていた。

その枝道の様子。

さらに進んで。率直に言って気持ちの良い道ではない。

さっきのヘアピンカーブのほうを向いて。

集落へと至る道。

ようやく開けてきた。信号所の土手から見えた伐採地のそばを通る。

振り返って。さきほどの急カーブの方向。

これが駅への道…。

  駅への道を取る。坂を上っていくと白い駅舎と木造屋が見えて、写真からすると、朝な朝な、ふもとの人が集っておはようを交わす声が聞こえたり、平気でずんずんこの坂道を歩いてくる昔風の老人や田舎気質の人が見えたり、木造屋商店が現役で山中ながらとくに列車の来るころは明るい声など聞こえてきて、駅前に来た感慨のあったころの情景などが差し込んでくるが、このときばかりは、なぜか、何かに逃れたい一心だった。はやく駅に入って、駅前の道から退きたい。いいとは思わなかったのだった。

ようやく駅に近づいてくる。 毎日この風景を見て駅に来る人がいるのだろうけど。

近くに新しい車庫のようなものがあった。用途は何だろう。

車庫のある敷地からは駅前の木造家の片側が見えた。

木造家の様子。

 

 

  さっと駅舎内に入った。何度見ても座布団の染みが気になる。でもあの長椅子だけはごついながらも洒落ていて、きっと元はいいもののはずだから、なんとか復活させられないかな、そうしたらこの中の雰囲気もましになる、しないならしないで何も言わずに、廃棄、などと、ここを明るくする術を考えたりした。人心地を感じようと生け花を凝視してみた。でもどうにも、いちいちいろんなものがここではひっかかる。菊の花であった。
  でも駅舎にいるからとりあえず安心していて、ここはこういう駅。ほかの人もそんなこと言ってないし、何ともない、と考えた。駅ノートの累積に寄りかかろうとした。でもそれにはなぜかこの世のものとは思われないところがあった。いったい実態や現実というのはどこにあるのだろう!
  そうやってあまり得心行かぬながらも駅舎内で待っていると、駅の前らへんで誰かが歩く音がする。次の列車に乗りに誰かが来たんだ、と思い、期待して駅舎から顔を出した。でも誰もいない。この駅に着いたときから気づいていたが、ここは風がときおりしたたかに吹くので、風が落ち葉を鳴らしただけのようだ。ふーん。それからしばらくして、また足音がする。落ち葉だと思うが、今度はどうも巧みで、人の歩く音にしか聞こえず、顔を出してみた。しかしやはり誰もいない。おかしいな。落ち葉の動く音があんなに歩く音に似るか? と不思議そうに考え込んだ。ふと、なんとなしに見ると駅舎内に鏡がついてある。なんでこんなとこにあるんだ、となぜか苛立った。また鳴った。落ち葉、落ち葉。気にしない。しかし細やかな音がして人の気配を感じ、こんどこそ違わないと外へ出たが、いなかった。こんなことが何度か続き、私はじつにほとほと疲れた。どうにもこうにも、人の気配がしてならないのだ。不快な怪訝さをもって、気分転換もかねて、駅前を少し偵察した。すると駅前の廃家屋の側面のところで、その建物が2階建だとわかった。駅前に顔を出しているのは2階部分だけだったのだった。そしてその2階部分は窓ガラスが入っていて、古い居室が温存されているかのようだった。これかなと思った。駅に戻りつつあったときに逃げたくなった元は。この部分がどうも人を感じさせる。いもしないのに。この建物はもう撤去してもいいのではないかな。屋根も傾いているし、倒潰を待つばかりだろう。その近くに新しいめの車庫があった。そこを使って人のまっとうな活動が行われていることを期待した。この車庫こそが今にもっとも近いこの辺の実態の一つだとしたい。

  駅舎内にて落ち葉に惑わされながらも列車を待とうとするが、中にはもう居るのはやめて、ホームに出た。駅舎の脇にバケツに水がたまり、少し流れていた。なまじ人を呼んでいるようであった。
  撮った写真はとあるスイッチバック駅のスナップ写真みたいになっているけれども、写っていることと体験は違うようだった。この駅をひとことで言うなら、どういうわけか、薄気味悪い駅であった。いつも利用している方には私はどうしようもないが、でも中の様子からするとその人たちもここでこんな意味なく長く待ったりしないのだろう。装飾があり手入れされていて、ありがたく感じる駅のはずだけれど、普段使う人のいる風景が乏しく、駅の足元が見定められなかった。集落の人を想おうとしても、古い足場しかなく、幻になってしまった。といってもこの駅に降りたら、迎えの車でさっさと帰るか、二輪で坂を転げて消えてしまう、ここまで登ってきたらすぐに列車に乗る、それできっと十分だろう。
  するとここはことさらに座って待つよう手入れしたりするより、駅があるから使っているという、さっぱりした用い方にまさにふさわしいところにある駅だと思え始める。そうすると実態としては真実に近くもあり、別の方向から駅のありがたみが人に感じられているのが、わかりかけた。
  ここは掃除しに来るにも面倒なところで、山が近いから清掃はかなり厄介そうだ。そうなるとここを手入れしている人は、よほど手間が掛かっているだろう。
  麓を感じられる掲示物は平山小学校の入った地図に代行バス乗り場が簡便に無言で記されてあるものくらいだった。明文化されない共有もおぼろげで、暗く感じた。この山を下りたところにある、平山地区の施設の紹介や案内があればいいな。

  時刻が近づいたころ、列車は定刻どおりらしくゆっくりこっちの線に入ってくる。正直ほっとした。入ると、列車内は子供が好きそうな感じに改装されていて、じっさい休日のため、乗車を楽しみにきたのだろう、父親が小さい子を連れて乗っていた。子は、あ、バックするぅ、と父に言うと、父も優しげに同調した。また、小型のカメラのグリップを握り締めながら私が乗って来たのを睨むように見つめる歳20初めぐらいの本来なら柔和そうな顔の男も乗っていた。先に堪能してきたので怨まれたのだろうか。けれど改めて思う、占有に意気尖らせての交感は脆いのだと。彼は土佐北川駅に着くやいなやフリー切符をせわしげに提示してドアから走り出し、消えていった。対抗列車が来るまでの時間が短いのだった。
  新改信号所を出た列車はトンネルを抜けては、木漏れ日の明かり区間を抜ける。どの駅に着いても、車内も休日の雰囲気のままだった。自分の予定によると、次は大田口駅という駅に降りることになっている。

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