手原駅

(草津線・てはら) 2008年12月

  毛羽立ったコートを纏った女子学生が、罅割れた陽の光の差し込むドアーガラスに体を持たせかけ、ややうつむき加減にしている。その光で車内の暖房は見えるようで、むくみを如実に籠らせていた。汽車は平野の直線でしだいに速力を落としていく。ついに停まった、が、そこに駅はない。ほどなくして放送が入る。只今踏切の安全確認のため、列車が停車しました、踏切の安全確認が終わるまで…。しかしその少女は反応しない。満席の周りも、少しざわついただけだ。車窓からは精米所や駐車場が見えた。ある車がこんなところで止まった列車など気にも留めず、車に乗り込み、ドアを閉め、発進していく。

  汽車は五分ほどで動きはじめた。ほどなくして手原という駅に入る。
  混乱はなく、誰もいない新しい構内に電子的な囀りが響き、階段の下という日陰にしかなかった椅子に腰かけはじめたコートに杖の老人二人の世間話に森を添える。空気は冷えて、陽光は色だけで頼りなかった。

草津方面ホームにて。

 

そんなことはないと思うが、いきなり駅ができた感が。

 

 

かつての構内踏切跡。

この暗いところも手原駅の特徴となってしまった。

 

左:この向こうは外の世界。

エレベーターにて二階へ。

わかりにくいがこのエレベーターの横からは、

改札外の外への階段が見えるようになっており、 空間の取り方を味わえる造りになっていた。

 

 

草津方面を望む。工場がいくつも見えている。

改札口。

Jスルーカード改札機が健在。

替わって柘植方面ホーム。

 

 

 

レンガ積みは残っていなかった。

 

 

柘植方面を望む。淡々と直線が続いている。

この辺りからは駅裏の出入口がはっきり見えて、 やはり空間を意識しておもしろみをもたせた造りなのだろう。 ちなみに右手のホテルはこの辺ではかなり目立つ存在だけど、 中身はラブホテル。確かに駅裏しひと気も少なくてふさわしい感じだった。

 

  二階に上がったとき、何で今日はこんなんばっかり、と愚痴を放ちつつ裾の広いズボンの女人駅員が金属板を抱え駅務室に駆けこむように戻っていく。どうもさっき車が踏切から落ちたのを救助しに行っていたようだ。手原駅が近かったのだろう。となるとさっきまでここに留守しいたのか。改札を出るときに覗くと、もうその人は有人改札に就いていて、框のところに無札証明が3枚きれいに並べられていた。
 
  ギャラリーあり天井高く人のまったくいない今の時間ではもったいないくらい広く、かなり入れ込んだなと思ったが、その事情は後で知ることに。元から小さな駅だったらしいが、ともかく外に出てもエレベーターにエスカレーター、最近建立した石碑などで至れり尽くせりだった。人影は二人くらいしか見かけないけど。街衝もないということでやはり以前は村だったといえるものに近そうだった。ほどなくして気付いたが、こんなに整えられたのはかの有名な栗東市の役所の最寄りだからなのだ。といっても数キロ離れているけど。そう、栗東駅でなくここだった。

改札を出て。

左:ここはみどりの窓口ではないようだ。
右:この駅はエレベーターが多い。

貴生川・柘植方。遠く竜王の丘陵地が見える。

 

 

 

自動販売機もあり休憩できそう(閉鎖時間注意)。

 

左:一回り大きい駅舎だと思う。

 

駅前に出て。

 

やっぱりはじめに目に付くのはこれだろうか。 確かに東経136度はきりがいいけど。 石碑にはどこでも同じような駅の沿革と手孕伝説というものが あったことに触れられている程度で、たいしたことは書いてなかった。

駅前の片隅にしっとりと佇む清久寺。

手原駅駅舎その1.

 

その2.

とある通りに入って。

3.

栗東市商工会館。手原遺跡を示す石碑がある。 ここらはもともと官衛的なところであったという。

行き先表示部分が懐かしい感じ。

4.

駅へって感じ。

商工会館にはレトロな建物が多い。

階段降りてすぐのところに喫茶店があるのがよい!

最近はやりのブラックの資材で組まれている。

 

 

 

 

 

 

コンコース下部分にて。誰もたむろなどしておらずすっきりしていた。

お金かかりすぎに見えもしたり。もちろん栗東市役所の最寄駅であるゆえ要人視察の機会ありげで、しっかり整えておかねばという矜持もありそうで。

 

太陽光発電パネルも設置。

 

凄いきっちりしているというのが感想だ。

 

 

5.

 

公安がらみの人が自転車をチェックしていた。

6.

 

路側帯が印象的だ。

駅方。

 

 

 

  裏に出て何もないと思いきや国道1号と8号の立体分岐地だったと知る。何度も車で通ったが、まさかこんなふうにひっそりと背を向けてはいるも駅があるとは思わない。こうして目の当たりにすると通ったことがなくてもそう思うだろう。車では賑やかに思えた新しい追分もこうして徒歩で来ればあっけらかんとしていた。いつの時代も街道というのは意外にそんなものなのだろうか。賑やかだ、だったと思っていても実はそうでもなくて、今からみると荒野のように風化したものか貧弱なものとして立ち現れてくる、そういう。ときに、このジャンクションに名神のインターが絡みついてランプを形成、そう、駅に人がおらなかったとしてもおかしいことではなかった。そのうち街がないというのも、この手の理論で説明できるときがきそうだった。こういうわけで立地のポテンシャルは高く、経営的市政を動力にここが浮き名を流していたのを思い起こした。あのときの新幹線駅の一件は、空港のことと合わせても 商人として帰る地としてだけの江州らしいところのものだった。
  ギャラリーと老人。きっぷうりばというひらがな。そして似たように整った栗東駅を思い返したときの団体としての一体感。モニュメントはそのままに記念となるものとしてのものではなく、常に今をも語るものとして置かれたもので、冷え切った御影石は冬でも光を受けて照り輝いている。
  古への栗太にありけむ大樹なくも手原を靡く風は渡れり

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