鳥取駅
(山陰本線・とっとり) 2008年10月
これから延々と、めくってみれば砂地という場所に立っていそうな街の一つのあるらしい雰囲気の岩美駅の構内から、さあいよいよ本丸、鳥取市街へ赴こう、と銀面の列車に乗ったら、内装が木目とカーテンのホテル調なのに、ふだん着の装いの方ばかりで、なんか贅沢だなと和んだのも束の間、動き出すや、床下のエンジンのやかましいの、窓ががたぴしいうだので、そういうこの乗り物のしようのなさがいじらしく、またほほえましかった。
すぐ大岩駅に着く。こうして駅間も短くなり、鳥取の街に近づいていくんだなと誰しも思うさ。たしかに大岩は、海に流れる川の堆積による、よくある田地で街はなさげだった。けれども郊外にはこんな駅があるものだと片付けて、車窓から大岩を見送ったのだった。
それで、そこからがおかしかった。いつまでたっても、鳥取に着く気配がしないのだ。私はこのとき進行方向を背にして、知らないおばさんと向かい合わせに座っていた。デッキでは立ち客もおり、混んでいるようで、こうなるのも仕方ない。はじめ立ってようかと思ったのだが、どの人も相席を避けてばかりなのが非合理に思えて、むりやり座ったのだった。けれど、知らん人と黙って向き合い続けるのは気まずいので、苦しげに首をひねって外の景色を見ていたのだが、さすがにもうそろそろ街の片鱗が現れるだろう、と、さらに体全体を、推進方向によじって疲れたことがいったい何度あっただろう。およそ、およそ県都に着くという雰囲気がまったくしてこないのだ。いつまでも山間を縫っているし、挙句の果てに、なんか、峠越えまでしている。これは、もしかして乗り間違えたのではないか。ふと、足腰や背がふわりと宙に浮いた。思わず、堂々と周りの人々の顔を窺う。先のおばさんはなにやら顔が歪んでしわくちゃで、怒っているようにさえ見えたが、その人の無意識な表情が、ただそういう顔なだけだった。明るめの洋服を着た四十くらいの人も、隣席の人と軽やかにおしゃべりしているだけで、ほかの周りの会話を耳に拾い上げても、これからその人の行く先についての情報などは得られず。しまいには独りで、岩美駅から因美線て入れたっけかな、などと頓狂なことを考える始末で、「でもそれならそれで気楽でおもしろい、むしろこのまま市街に入ると気分が急に持ち上がっていやだよ。」 ま、ともかくこの周りの風景からどのようにして県都に入るかをしっかり見届けようじゃないか。それが薬になる。そう心を決めて車窓を凝視した。
するとどうだろう、里山らしきところからころりと市街の端らしいところに出て、画一的な風景が見下ろすようになった。「なんだ、出るときはこんなふうにきちんと出るのか。 それにしても高架で出るとは準備がいい。それにしても意外なことは起こらないものだな。」 列車は存外 ゆっくり走っている。まだ風景は県都というにはほど遠いので、実は鳥取市街は山あいの小町だった、という衝撃を期待するも、あれよあれよと中小ビルが並びだして、やがて玄関にふさわしい装いに変わりつつあるなと思ったそのとき、「ご乗車ありがとうございました。まもなく終点、鳥取です。乗り換えの御案内をいたします。スーパーはくと、京都行きは…」 やはり着いてしまうのか。肚をくくるしかない。なあんだ、ちゃっかり都市になっているではないか。
高所の喧しさに銀面列車は吸い込まれていく。鮮やかに映っていたおとなしやかな、けれどもはれのビルの群れが錆汚れた硝子越しに収まる。その硝子面は横長の格子で、鳥取に初めて訪れた者の心のフレーミングをなんとかして妨げんとする。そう戸惑わされているうちに私はほかの客らとともに吐き出され、排煙の匂いと、気動車のけたたましいエンジン音に晒される。乗り換えの者らは古い赤帯のエスカレーターにくねるような列を繋ぐ。遠くにそば屋が湯気を流し、紺藍ののれんに知らない中年の人の頭が動いていて、その傍らの鉄骨柱はちぐはぐに黄緑色だった。
ここが名にし聞き及ぶ県都鳥取か。ぱっと見、これは新幹線がいつ来てもおかしくないと思った。というのも、最近はやりのちょっとした高架駅でなくて、もっと前から、てこ入れして大規模に据えたものだった。ただ、先見の明あったところにあるように、形態としては最新にもかかわらず、わりとだいぶくたびれているといういでたち。しかしそれが三線スラブの赤っぽさや、さまざまな色の取り合わせなどで、躍動感があって、街に溶け込みそうな感じで、コンクリートで人を疲れさせることが少なかった。端にある昔の昇降機は荷物用なのだろう。たぶん官立風に改札外に繋がっているんだろうな。
だいたい特急も普通も、鳥取で運転系統が分かたれるので、中線やほかののりばに編成の横たわっているのがしばしば、構内の大きさもこのことを考えてのことだったのかな。プラットホームから裏も表も街を俯瞰したけども、旧市街らしさは見えず、さっぱりした概観。でも別の都市には見えない個性も兼ね備えている様相で、海風と砂丘の想像もあるから、多くの人に、わりと好かれそうな街に捉えられた。
1・2番線ホームにて。
隣3・4番線ホーム。この時点でかなりの規模であることがわかる。
岩美方。
ここから見る街並みもよい。
この駅は上りホーム、下りホームと別れておらず入り乱れている。
因美線のせいもあるかもしれないけど。
県都だなと思う。
一昔前の意匠を見られてうれしい。
階段やエスカレーターの下り口がときどきぽっかりと口をあける。
乗り場案内の看板が単刀直入。
はまかぜ、スーパーいなば、スーパーはくと、スーパーまつかぜ、と
密かに特急の要衝となっている。今じゃどれもステンレス車だけど。
後になってしつらえられたエスカレーター。
おそらく乗務員の詰所。それとも物置小屋?
階段は御影石風を使用。
その名も砂丘そば。
売店とそば屋は隣にもあった。
こちら1・2番線ホームの売店。おみやげあり。
特急は1番線に入るとおもいきやそうとも限らないらしい。
水場と待合室。
昇降機。今の高架駅にも密かにあるのだろうか。
一般の人は乗れない。
電荷の暁にはあの鉄柱に架線が…。
端っこには秘密の階段があった。
たぶん乗務員の職場へと通じる階段。
浜坂行きワンマンカー。
3・4番線ホーム。だいたい隣のホームのうり二つだが、
端に二線あるのが特徴、かつ、
やや人が少なくさびしい。
さっきのとはまた違うデザイン。
70年代。
こう見るとさっぱりしすぎている。
因美線の列車が来るんだなと思う。
若狭鉄道の列車。
遠足だろうか。
米子方を望む。
ワンマン列車には今となっては広すぎる構内だった。
中二階コンコースへ。
こちら、1・2番線ホーム下りたところ。駅裏方を見て。
かなり広い。
このようなデッドスペースもあるが整列・集合などにはよさそう。
3・4番線ホーム上り口界隈。
もっぱら待合所コーナーという位置づけ。
1・2番線方。あちらはやや狭く特に何もない。対称な造りではなく、
こちら3・4番線側の方がちょっと広いのだ。
空調、テレビ完備の待合室。テレビはNHKでなく山陰中央テレビで松江も同じだった。
待合室を右手にして岩美方。都市的な感じもあり。
この改札へのエスカレーターの下り口が動線を延ばしている。
向こう側を見通して。
利用者の多い駅だとあのへんに店が入ったりすると思う。
広い中二階に、建設当初の意気込みと豪気を感じ取りつつ、最後の大階段を下りると銀のラッチで幾人かの駅員が目を光らせている。この人らも鳥取県民なのだろうな。
団体客も余裕をもって整列できそうなコンコースは色々の広告が灯って、高架なのに懐かしげな民衆らしさだった。露店を展き、宝飾具を売っているのもまた。このときは観光客はほとんど見えなかったが、歓迎の吊り下げもあり、定番の旅先であることに、ちょっとほっとする。
この駅はスーパーもあるステーションデパート「シャミネ」を併設していて、何やかやと便利そうだ。松江のもそうだけど、わりあい利用されているようで、照明や字体が古風なものの顔色がよさげ。この駅のコンコースは二階まで吹き抜けていて、喫茶店など階上の店舗も見上げられる。松江や米子、出雲市などにも降りたけど、ぜんたいとして、旅客の利用する屋内では、鳥取駅は、山陰一の見映えと立派さだ。
改札前改札内コンコース。
大きな駅だこと。乗り場はころころ変わるのでここで確認を。
精算所。
改札を出て。鳥取しゃんしゃん傘踊りの傘が飾られている。
高架駅なのにけっこう威厳のある駅で意外だった。
みどりの窓口。容量がちょっと足りない。
今となっては懐かしい光景となってしまった。
改札前改札外コンコース。右手駅前。
奥駅前右改札。この駅は蛍光灯でなく水銀灯照明のみ。
露店商。
駅前出口は英会話イーオンが目印になった。
右奥が駅舎横丁。
こちらはシャミネ通り。
Kiosk,おみやげ市場前。
駅前出口。
鳥取駅構内は飲食店が少なくない。
駅裏方。コインロッカーなどはこちら。
味のある味の街の看板灯。
駅前方。
荷物運送もまだやっているのだろうか。
コンコースに戻って。
駅舎横丁はグリーンストリートと名付けられていた。
コンコース方。たぶん元は飲食店のみだったのだろう。
おもしろいなと思う。
駅前出口。
コンコースへ。コンビニっていう横出し看板、無理してる。
駅裏方。
みどりの窓口前にて。
入ってみたくなる喫茶店。
駅弁屋。
南口(裏口)。
南口から入ったときの光景。
南口脇の回廊。官立風。
枯山水を配するところ。こういうビルはよく見かけるな。
コンコース方。
左手南口。
右手駅前。
国鉄時代の案内板。
北口(表口)。
駅前北エリア。南エリアでなく、顔になるのはこちらかな。
ちっょと心もとない。
南エリア。たいてい北エリアよりも人が多い。
鳥取駅駅舎その1.
外はもうどことなく肌寒いものの、まだ日中の元気よさが根を張っているという、秋のまだ浅い夕暮れで、出張に来た人らも同僚と談笑しながら駅に向かってくる。ビジネスホテルが屋号を高々と掲げているし、鳥取ならまだ近畿圏からほど近く、急に、出張の似合う街に捉えられはじめた。遠すぎてもだめだし、またその地の固有色に乏し過ぎても。
鳥取ループバス乗り場ではちらりほらり、砂丘帰りの女性が見られた。もっと多いかと思って来てみたけど、この時期は少ないのだろうか。それとも砂丘に訪れる人自体が少なくなったのか。何の装り気もない昔のバスを待つ県民らが揃えた太い足で観光客の影を踏む。
街中には行けなかったが、駅やその周囲を見るからに、早くに機能が完成されてしまって、その後 改造のしようがなく若返りが難しそうに思えた。烈しいカンテラに射られつつ自転車が桁下を高速でくぐるのを、閑散としてきれいな同心円広場から見るにつけて。ここの自転車は飛ばし過ぎ。二回当たるかと思った。
こちら側には緑の空間が広がる。
地下道入り口がある。
その2.
3.
こちらバスターミナルへの入口。
それにしても県都の駅の近くにこれだけ緑がうっそうとしているのも珍しい。
でもホームレスの溜まり場になっているらしい。
シャミネ入口。
こちらバスの通り道にある100円循環バス乗りば。
鳥取バスターミナルビル。
かなり駅っぽくなっている。
いわばプラットホーム。
こちら隣の乗り場。
もうだいぶ鳥取駅の端に来た。
京阪バスに似てる。
湖山方。
鳥取大丸。
バス入口交差点付近にて。
ここを進むと100円バスのりばとバスターミナル。
こちらサブの駅前交差点。
先ほどの交差点を地下道入口窓から見て。
その4.
鳥取駅前交差点。
とても歩いてみたくなる街だ。今日はもう行かれないが。
この辺になると駅舎前はレンタカー乗り場となる。
その西隣にタクシー乗り場。
その5.
浜辺のようなデザイン。
北エリアにて。
この年代はレンガ意匠がよく用いられていんだな。
観光案内所。
あんまやコンビニのあったグリーンストリート入口。
なんか雑然としたものを想像させるが。
今後バスとの争いも激化するのだろう。
ブロンズの広場。
催し物などがありそう。広かったかつての駅構内が偲ばれる。
こちら駐輪場。高架下を使うにはちょうどよさそう。
ここが裏手との通り道。
替わって駅舎南口を出ての光景。
端っこがなにかおもしろそう。
DRINKCORNERのロゴが古い!
ここはコインパーキングエリア。
コーヒー屋やそば屋がある。隠れ家的だ。
が、味の街からアクセスするのだろう。
鳥取駅駅舎その5.
一般車の乗降は裏口の方がしやすそうだった。
鳥取駅は木々茂る公園が好きなんだなと思う。
いかにもロータリー。
裏から見ても 寒天かういろうが長々と横たわっていて、やはり新幹線と思うだけですまなくて、なぜかこんなところに山陽の雰囲気が転がっているではないか。山陰って明るかったんだ。特に鳥取は高速バスや特急で播磨、姫路を介しての表側と結びついていてなおさらそのように思われた。
こっち側も石敷きや街路樹でおしゃれに仕上がっていて、またもやビジネスホテルを見つけるに、一人旅の女性がふいにそこへ吸い込まれていく幻影を覚える。夕照の砂丘を観賞し、よそ向き仕立てのループバスで鳥取駅へ。暗くならないうちに投宿、そして明日は松江や宍道まで…。やはり但馬海岸からここまで出てくると、それまでの風景と別れさせるような鎧や餘部を経て、いよいよ本物の山陰がはじまる空気に包みこまれるので、きょうここで帰るのが、私はどうにも惜しくなってきた。けれども最後にせめても見知らぬ都市にまみえることができて、夕映えの広がっていくように浅くはあるも、仄かに温かく、しだいに心ゆく心地が沁みてゆくようだった。
全体が大きすぎてレンガの飾りがほとんど目立たない。
いかにも駅構内跡地という趣き。
何らかの慰霊碑。
ここを左に入ると先ほどの駅前駐輪所脇に出てくる。
山陰といえばスーパーホテルか。
鳥取駅駅舎その6.
7.
木々に囲まれたビル。駅周辺はちょっと樹木が多めとなっている。
8.
9.
この辺りは市民の憩いの場となっているようだった。
湖山方に歩いて。
鳥取環境大学のバス。
10.
南方角。
11.
さて、どうやって帰ろうか。この裏手に神姫バスが姫路まで2300円、最終は18時50分発とあるのが目に留まって、一瞬、これで楽しんで帰ろうかと黙考。けれども予定通り普通列車に落ち着いた。
窓口は夕刻が深まるにつれて盛況になり、熟年で連れ合っての観光もあれば、離れて住む家族の元へこれから訪れるつもりらしい人もいた。夏になったらやはり砂の丘を目当てにすごい人出になるのかな。そうであればよいな、と思う。裏表のない、明快で若々しい風光を望む人が多いように。若い男性の係りは慣れていて、客めんどうな切符の手続きも、笑顔で快活に捌いていた。
プラットホームに上がると、同じ朱色の米子行きと浜坂行きが待っている。やがて互いに離ればなれの運命だが、むしろそのことによって、私の帰る方向にも、この山陰の空気をできるだけ遠くまで送りとどけておくれ。
米子行きのドア口はセーラー服姿の押し鮨。そんなの一顧だにせず、いや、むしろ却って旅情高まるだろうか、私ももっと西へ、とねがうけど、山陰は長大だ。大味に駆けるより、じっくり予定を組んでからがいいに違いないと、お堅く浜坂行きに収まった。中に入って、こちらも高校生ばかりとわかる。気動車に腰かけながらも最新の音楽プレーヤーを提げているのを見て、どこの家庭も変わらないように思えた。そして距離感を失った。壁の透明板越しに、まだ緑と空色の残る橙光で鮮やかな県都が滑っていく。色というものを失わぬようにするのは、困難なことのようだった。
最後のページ : 但馬の虚しき漁火