月ヶ瀬口駅

(関西本線・つきがせぐち) 2008年12月

  我、月ヶ瀬口なる駅に着きぬ。汽車疾く去れり。広き静やかなる構内をのみを我が眼前に残しぬ。消えいだしべかりぬる霧、再び我が頭上を覆いてことに疎ましかりけり。かつて訪なひし夜の闇よりおぼつかなく、悪意地ぞと覚へる。「ここにて晴れいださざらばこそ帰りつらめ」と云ふも、すべなきに、侘びしく口惜しかる心地せり。されども、しだいに陽の差して、霧ちぎれ消えいだし、まばゆきほどになりぬ。そう晴れたのだ。そしてあざやかな全山がその一端を現わしはじめた。

 

要衝に見える。

 

風流な駅名。

 

 

 

国道165号、大和街道。これも盛り土だが、この辺の元々の地形はどんなだったのだろう。 すでに築堤のような地形があったんだろうか。

 

笠置、木津方を望む。ここから見る駅構内が一番立派に見えた。

ぽつんと佇む灰皿。

左上の建物は京都府 相楽東部広域連合立 笠置中学校。 ここも笠置町かと思いきや、南山城村で、笠置にあった本校が移転したのだそうだ。 ということはみんな関西本線で通学しているんだ。

延長の痕跡。

この辺に踏切があれば…。

 

亀山方面ホームから見た駅舎。

伊賀上野方を望む。

よく見ると私製踏切が。

 

 

 

もうすぐで三重県。

  このあいだ丹波を通ったときのことを思い出していて、さすがに、今度ばかりは見切りつけてやろうと思った。霧はもう苦手でしかたない。自分の近所なら、おもしろがるか、いいベールだと、女人が思う長い髪のように、思うかもしれない。ともかくそういうわけで観紅は続行となったのだけど、ここは後造り風でありながら、大掛かりな盛り土上ゆえに おもしろみがあり、俯瞰も利いて、よもを山に囲われるも少しもうっとおしくない。この区間では、そういう最も気持ちのよいところだった。ああ、これが伊賀丘陵で、その端緒に就いたのかしら。まだらに色づいてもいて、季節を捕まえた感じもさせてくれる。山里を見下ろすここ大築堤に、後年の造りなのに長いのりばを用意しているところなどは、蒸気機関車でも、単行の気動車でもに似合うというものだった。ことに、一両の紫の列車がガアガア音を立てて入ってくるのも、それはそれで哀愁があった。そう、近郊内にしてこの関西本線ほど、汽車時代の名残がこれほど残っているところはそうもないのだった。

  笠置を出ると危うげに河畔を走り、木津川の淀みが思いのほか近かった。古びた水力発電所や 廃墟になり果てたホテルが、向こう岸に溶け込むように聳立し、迫り来る山もあいまって独特幽濛で、いつも気持ちを捉えられる。なによりも、走っているところが川に添う森の端のただ中なので、いかにも保線に苦労しそうだった。

  木々の覆いを抜けて明るくなり、頭上に細い人道橋の架かる掘割を、暗い車内の大窓から見上げ、月ヶ瀬口、この構内にいると来た方にはもう人道橋が架かっているが、遠望すると、今通ってきた木々の切り通しの雰囲気が掴める。
  そこでなく、府県の境がここを伊賀方に出てすぐのところにあるという。
  いずれもこのあたりが境と知らなければそうと思えない何げなく通過してしまう地帯で、言われてみれば、
 「ここは県境の駅の類型にはまるということか。なるほど汎くは、確かにそんな感じがするなあ。駅舎が簡素というのもまた。」
  というほどのものだった。
  境の駅というのは跨りでもしない限り、常に2つはあるはずなのに、なぜか1方だけが、その空気を色濃く纏っていることが多く、それならそれは、ここだった。
  配置はよく知られていても、そのそれぞれのうちに、京都府と三重県がこうしてわずかな形で接しているなんて、意識している人は少なさそうだ。私とて、関西本線が通りたればこそ。誰の土地でもなかったという謎めいた童仙房という地がこの近くにあるように、この周辺は境として揺れていたふしもあるのであろうか。

大きな屋根。

木津方面ホームにて。

 

周辺はけっこう住宅が多いところ。

 

 

山を削ってまで昔ながらの住宅があるのはわけがあるのだろうか。

端の方は白線のみ。それにしてもまた道路にありそうな街灯だ。 この駅には似合ってる。

谷かかるようにある駅。このような薄い谷底平野がこのあたりにはたくさんある。

  プラットホームのずっと下の道や、丘を蛇のように登る車道を望み、自動車の響きののどかにしてくるのを耳にしながら、斜面にへばりつくような村落を眺め下ろし終えて、レンガタイルで飾った駅舎に向かったが、おじいさんがストーブ焚いてウトウトと小説を読んでいる始末で、もう、何にも言うことはなかった。客は扉もない明け透けなスペースしかないから、山の冷えびえとした空気はどうしようもなく、いわゆる情緒というのもないが、こんな境なのに開放感があって、簡素な造りにみえるも駅務室には相当きちんとした応接セットを備え、そこで駅守りを、していらしっているのだから。ただ、食べ物の気配はなく、あくまで茶を飲むにとどめるという淡泊な装いだった。

木津方を望んで。

回廊。

トイレ。きれいに清掃されていた。にしても国鉄風だ。

険しい地形でもある。

中にパンフレット棚があるけど立入禁止だという。 外に出すことになってるのを出さなかっただけなんだろうか。

いちおう改札口。

出札口。7時から15時と短命。

なさそうだなのに椅子があった。

 

学校が近いので定期の申し込みも多いのだろう。

 

  前 夕べに来たときは気づかなかったが、切り通し脇の高台に学校があり、具合が悪かったのか生徒がただ一人、とぼとぼ坂を上っていた。誰もいない通学路は新鮮だけど、裏街道であろうか。学生にひた隠しにされているもう一つの青春のようでもあった。
  あの時分には裏道はこたえるけど、私もいま一つそんな道を想像しながら、この朝の安定した陽の光の中、駅から下りてく散歩を、してみようか。月の寒梅を掲げた店はやはり閉まっていた。いずれにせよシーズンはあとふた月程だ。

月ヶ瀬口駅駅舎その1.

昔の電話ボックスだ。

 

 

 

 

坂の途中だが一応この駅のロータリーに当たる。。 バスが転回する。

駅前商店。

 

フェンスなしの自由さ。

 

笠置中学校。

脇道。

木津方。

 

高速道や新幹線の上によくこんな橋が架かっている。

ここを右に行っても下へおりられる。

その2.

バス転回場を過ぎて。

 

何か重要な分岐の匂い。でもそうでもなかった。

東海自然歩道として歩かれているらしい。 この辺はおもしろい道も多いしウォーキングはもよさそうだ。 月ヶ瀬まではさすがに載ってなかった。

信楽や伊賀などにはゴルフ場か非常に多い。

至月ヶ瀬。すぐ府道753に出る。右手の道は国道165号の裏道で、 どうにかこうにか大河原まで出られるみたい。

 

府道753に出て。今山隧道と新今山隧道。

 

 

中央奥、新今山隧道。その奥に高台の家が見える。 築堤は自然の尾根をかなり利用している可能性が高そうだ。

この谷を流れる川の通水路。

ここを登っても駅へ行ける。

 

元に戻って。

  天然の丘のようでもある、自然な感じの築堤に、端正な石積みのポータルが開いている。入れば精緻にレンガが積んであり、ふと、もしや高所から下りてくる線があり、ここに旧線でもあったのかと思った。が、そんなことはなく、造築時に月ヶ瀬側と断絶しないよう造っただけのものなのだった。そういうわけで煤煙とは無縁で、その赤茶色は生の感触があった。坑門には月ヶ瀬口駅と掲げてあるし、くぐったら駅なのかと思えもして、周辺でもおもしろい一角。ほか暗渠もレンガ造りで、明治のものはちょこちょこありそうだった。ところでこの旧来のはさすがに狭いらしくて すぐ横に思いきって広げた新しいのができていた。その京都府道753号は8km南にいってやっと奈良県の月ヶ瀬に至る。しかしなんで遠い月ヶ瀬にあやかったのか、そうしないとするとどんな駅名になったのだろうかと、地図を見ると、このあたりはウワノと出ていて唸る。殿田や今山なら可能性はあったかもしれない。直接見えないしほとんど感じられもしないけど駅の北側は最近の宅地と学校が地図に記されていることからして、開業時この辺はほとんど何もなかったらしい。それで見込みのある月ヶ瀬を出してきた、なんて、歩きながら考える。むろん単純にお金の話や策謀かもしれない。 でも。 こんな山の中通されてもなんて言わず、笠置でもそうだったが かすりもしなかった遠くの村もここを最寄りと決めて、できたときはきっと祝ったのだと、思えてきてならなかった。そうはいうものの、やはりここの地の名をつけてもやりたいものだけど、もうそれはいいのだろう。このあたりは月ヶ瀬口として定着していよう。駅の名の影やかくまで大きからん。今では自動車が快く大堰堤の下を、するりするりと一台二台抜けていくさま、こんな山村にも企図したという100年来の交通というものを感じる。ところで1本目のやつは、開削工法なのだろうか、そういう分析に向かうことになるのであろうか、新しい一歩を踏み出すときのように、晴れはじめた霧というのはあまりにまばゆく、くまなく照らすので、どうもきまりが悪いよ。人を隠す夜、ここで月を見たことを思い返しつつ、詠める。

  弓張りの月の瀬はつやあわれなるこころはしかとはてなくに

  日の光も強くなって、午後に近寄った。あの校舎にいまあるかもしれない装いの病や物憂さは、私に就いてはもう遙か昔に吹き飛ばされ、けっきょく放恣な想像だけが残ったのだから、それがどれほど白く焼き出されようとも、姿というものを隠すことなく、仕事着の人々もしているように、そのネガを心の冷暗室に保存して、今度は街の、伊賀上野に赴こうではないか。

 

 

反対側坑口。

普通のトンネルとちょっと違う気がする。

旧道トンネルには築堤と同じ角度で支えがつけられていた。

旧トンネルは歩行者用に。

 

 

前回夜来たときぼんやり光ってたのはこれだ。 夢絃峡というとろこに一軒宿の鶴乃家という旅館があり そこが出しいてるものらしい。しかしなぜこんなところにぽつんと。

府道753と国道165号の合流点。

大和街道。

 

登りながら曲がる道脇にはこういうデッドゾーンが多い。

こっちからでも駅へ行けると思う。

なんというかこのあたりは駅前文化がなかった。

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