若狭有田駅

(小浜線・わかさありた) 2007年6月

 

  四十くらいのパート帰りらしき女の人が、
 「でもしかたないでしょ。…だから…うん…いや、だからそれはわかってるけど」
と電話片手に椅子に腰をおろし、ビニールに入った買い物を横に置いた。
 「厭だっていっても、そうするしかないし。」
 ホームだけの駅で、そこにある狭い待合室でのことだった。
 「何って、だから老人ホームに。そう。」

  急に一人もいなくなった。有田というだけあって、山向こうまで水田が広がっている。見えない川に沿ってできた平野なので、横長の風景であった。鉄路もこの地形に沿っているというわけだ。山々を見やると、ところどころ禿げていた。待合室は暗く、元からある据え付け椅子のほか、水色の私設のぼろぼろの長椅子が置いてある。だれか一人の有力者がそれを置いたにもかかわらず、異議なくそのままにされていることから、
  こんな駅でも積極的に使おうとするその設置者の意思が、ここを利用しているすべての人の意思を代表しているかのようであった。
  清掃の表彰状がある。
  椅子を置いても、表彰されても、ここは山手の県道から袋のように入ったところで、駅舎はない。けれども、夢幻のそれが浮かび上がるようであった。よし駅舎があれば、清掃も利用もいたくはかばかしいに違いないのだが、ただの石の土台、それを掃き清めるのは、それがどれほど無力に感ぜられるものであっても、精一杯のことに思われて、欲望を抑え今を見つめ日々の暮らしを越えて行くことにあるはずの平安というものを感じさせた。

駅出入口の様子。

ホームから見た駅前。

こちらはトイレの建物。

 

上中・小浜方。

 

大鳥羽・三方方面を望む。

標高340.0m. 緩やかなる谷底平野。

 

妙な敷地が空いている。

 

嵩上げ前はこういう水色の柵だった。

上中方面を望む。県境の山塊が見えている。

 

 

 

このように鉄路や街道は山側に寄っている。

 

ホームを嵩上げしたため、待合室の床がかなり低くなった。 柵も複雑でおもしろい。

 

町内の有線電話。有線放送が聴ける。

地酒は濱小町のようだ。

 

昭和56年と平成4年のもの。

三方方の敷地。ホームだけの駅にしてはけっこう広い。

上中側。これから何か工事をする感じだった。

  付近は田舎風の家が佇んでいる。同じことを繰り返し、ずっとこのまま変わってほしくない、と思っていても、家は持ちこたえられず、怪しい蠢動を宿している家が、このどこかにあるらしい。

県道へ。

わざわざJRマークを掲出する案内板。

交通量が多かった。

上中、小浜方面。

若狭有田駅。

  若狭有田、あなたのわざわざ若さありというのは、そこに若さがないからなのでしょうか。欲を捨て、日々同じく過ごし、それはときに老いたもののようです。有田というだけあって、夏の水田の緑の若々しいですね。どれほど老いても、いつまでも爽やかな表情を湛えているかのようです。緑の老人は、どこへ行っても、この地若さの出身ということになるのでしょう。
  駅舎という家なき、若狭有田。遠くに連れ去られえる場に、はじめから家がないのは、とどまることを許されず、若きものとして規定され、それらゆえに、永遠の旅人のようでもあり、まるで放浪が運命のようだ。
  群がる緑に目を泳がされつつ、ここを離れ去った。

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