EUC-JP to UTF-8 和歌山線・妙寺駅

妙寺駅

(和歌山線・みょうじ) 2007年2月

  大和二見駅を出てから、いくつもの駅が過ぎて行った。 ホームのみの駅が多かった。今度もまた駅に着きそうだ。 さてどんな駅だろろうか。いつものように窓から外を覗き込んだ。 すると、無人の駅舎の改札口が色とりどりで、 ほかの駅とは違って一風変わった駅であることが確信された。 「下車するならここだ」。大和二見駅から36分、妙寺駅に降り立った。

上屋下からまっすぐに伸びるホームとレールを望む。線路内を挟んだ向こうに島式ホーム。 1番線の風景。 大谷・粉河・和歌山方面を望んで。

遠くで二股に分かれてこちらに向かってくる線路。中線が撤去されているため、二線間の幅か広い。 中飯降・橋本・五条方面を望む。跨線橋にて。

地面が緑色に整備された遊具のたくさんあるプレイランドと遠くにどっしり構える山々。 雨引山(477m)。この山の斜面をよく見てみると…。

ひたすら開墾された山の斜面。 なんと斜面のほとんどが果樹園。

  跨線橋に上がると、細やかで柔らかい起伏に富んだ山の斜面が南に見え広がり、 冬の風を受けながらそんな山々を眺めていると、たいへん気持ちが良かった。 北宇智駅周辺と同様に、このあたりにも明け方に雪が少しだけ降ったらしく、 山の斜面の一部が白くなっていた。山を眺めていると、しばらくして、 斜面のほとんどが果樹園になっていることに気づいた。 これだけの開墾をするのに、いったいどれだけの年月がかかったことだろう。 さらにじっくり見てみると、道がうねりにうねりながら山を這っていて、 ところどころ農家が点在している。 これだけの坂道を毎日使うとなれば、もう自転車はとても使い物にならない。
  ところで、この山塊は、紀伊山地の端に当たるもので、 見えている山から先は海が見えるまでずっと、1000m級の山々が続く。 こうしてまっすぐ見ている先にあるはずの海までは、どれぐらい距離があるのだろうか。 直線の先には串本があり、その距離およそ95km。 串本は、この地点から直線距離で最も遠いところにある、和歌山の海岸の町だ。
  反対、北側には和泉山地が、地味ながら脈々と低くとおっている。こうしてこのあたりは明るい里山に広く挟まれていて、山がかえってここを開放的にするようだった。

駅舎のある片面ホームと島式ホームを見下ろして。門型架線柱が架線を吊るしている。 大谷・粉河・和歌山方面を望む。跨線橋上にて。

枯れ草の広場と遠くに住宅、そしてそれほど高くはない山脈。 階段を下りて、2・3番線ホームに立って。 2番線から和泉山脈を望む。和泉山脈は大阪府と和歌山県の境になっている。

V字型の屋根を持つ木造の白い待合所。 2・3番線ホーム。
左手が旧2番線で、右手が旧3番線・現2番線。 ちょっと唐突な電化という趣がある。

こげ茶色の据付ベンチのある待合所。 待合所のようす。落書きで溢れていた。 昭和27年(1952年)3月建造。

線路脇には山のような枯れ草の山と田んぼ。すぐ向こうには少し高い位置に住宅が並ぶ。 現2番線から橋本・五条方向を見て。膨大な量の枯れ草。

  駅構内の裏側は空き地になっていて、縁辺は住宅地を載せた擁壁がなぞっている。レールの曲線を想わせるような擁壁のカーブの具合からすると、鉄道用地だったかのようだった。今その空き地には厖大な枯れ草が積まれている。昔は何だったのかな。
  島式ホームもなんだか廃じみていて、待合所はずたぼろで落書きだらけだった。昔は中線も使われたのだろうけど、今はその乗り場にはフェンスがしてある。何かと、昔は、昔は、と口をついて出るような光景があった。
  一方駅舎のあるほうのホームは色とりどりで、駅舎出入口の赤い框、緑の看板、青色の入った駅名標、椿の花と木…。なにかと風景のくすみがちな冬に下車するのにぴったりだった。明るさと荒廃の入り混じる和歌山線らしくあり、冬の似合う駅だった。

旧2番のりばに沿って立てられた伸びゆく白いフェンス。 旧2番線から橋本・五条方面を見て。右手に駅舎。

屋根瓦の白い駅舎をホーム側から見て。 旧2番線から見た駅舎のようす。

ホームの上屋がないところの風景。 駅舎の隣にあるトイレと駅名標・名所案内。 真冬でも鮮やかな花と緑を見せてくれる椿の植木がうれしい。

薄い緑色と白色を基調としたトイレ入口付近。 トイレ。手洗い場が露天になっている。 なんとなく海水浴場の雰囲気。

六項目案内された名所案内板。 名所案内。丹生都比売(にうつひめ)神社は世界遺産。

国鉄サイズの駅名標。 駅名標。別の場所のものはボコボコにひどい仕打ちを受けていた。

長くて白い立て札。 「なくそう差別 みんな一つの輪になって」
かつらぎ町婦人同和運動実践連絡会末広会。

框が赤色に塗られた改札口。右上に三谷坂を宣伝する緑色の看板。 駅舎改札口。

券売機、路線図のある駅舎内。出口から外を見通して。 外への出口の、赤い框が印象に残る。

シャッターで閉じられた出札口。改札口上部には時刻表が掲示されている。 改札口・旧出札口。

白い壁の駅舎内。3人がひとりひとり掛けられるいすが二つ。 待合室のようす。右手に改札口。

  駅舎に入った。明らかに無人化されており、もう出札口のシャッターが開けられることはないようだ。駅舎の中は荒れ放題で、落書きがたいへん多く、消されたものでも、薄い白いペンキの下からは落書きがしっかり覗いていた。また、どういうわけか大量の弁当が廃棄されていて、近寄ると悪臭があった。ちょっと待ちたくない感じだ。

駅前広場の一部と、そこからまっすぐに伸びる道の両脇に立つ民家。広場からまっすぐに伸びる道はすぐに国道と交差している。 駅舎から出て。

  駅から出た。そして駅前の風景を見た瞬間、すぐ近くに海水浴場があると思った。 この雰囲気からすると、駅前の道を進んで行けば海水浴場がある。本当にそう思った。 しかし、しきりに頭に地図を描き出し、海水浴場や海辺を探しても、 そんなものは少しも見つからない。 ここはどう考えても、大きな山地にはさまれた紀ノ川の流れる土地だった。 私が海水浴場を想起したのは、 駅前通りを示す簡素な門、色鮮やかな古い駅舎、薄緑の床の露天になった洗面台、 そして、とても冬の日とは思えないほどのぎらぎら射る太陽と、 どぎつい快晴があったからだった。 海水浴で疲れたあの日、こんな強い日差しの中、 あんな門をくぐって駅まで戻らなかっただろうか。 今は真冬である。私は、烈日の暑さをすっかり取ってしまった風景の中にいるため、 まるで思い出の写真に浸っているかのように感じた。 また、こうして冷たい風に当たりながら、射つづける太陽を見ていると、 やがて風は涼しく感じられ、冬にも夏があり、 山にも海があるのではないだろうかと思うようになった。 海のような山があり、冬に居ても夏のものがたくさん見つかるから。

赤い柱に緑の三角屋根の駅舎。駅舎出入口のある屋根瓦は葺き替えたてで、残りの3分の2の屋根は瓦ではない赤い屋根になっている。赤い屋根の軒屋根は緑色で、全体的に明るい色使いの駅舎。 妙寺駅駅舎その1。

  振り返って駅舎を見た。「やった! 思ったとおりだ」。とてもデザインが良いと感じた。さまざまな色が使われているのに、けばけばしくなく、その配色で何を表したいかすぐわかり、明るい楽しい雰囲気になっている。この配色はずはり、神社。この駅が最寄となる世界遺産の丹生都比売神社を意識してのデザインなのだろう。しかし建造されたときからこのような色だったわけではなく、初めは和歌山線のほかの木造駅舎と同じようなものとなっていた。駅舎はかように塗り替えられ、また半分にされることもなく、旧駅務室は伊都観光センター「妙寺駅マルシェ」として利用され、喫茶店を営んでいる。このときちょうどお昼過ぎだったので、何か食べよう、と楽しみにしながら思い扉まで近づいたら休みだった。中は車両の座席などが使われているというのに…。

いくつかのちょうちん、黄色地に青い字の看板、観葉植物の並べられた店の前。 妙寺駅マルシェ。休み…(日曜)。

駅前広場は十分なスペースをとってあり、バスが入ることも可能。 駅舎を左手にして駅前広場を望む。

滑らかの曲線を描く縁石を持つ車一台分の幅の道。左手には時計と椅子と机のあるスペース。 上の写真から、少し歩いて。近年整備されたようだ。

地面が緑色の、たくさん遊具のあるスペース。 児童のための遊び場。

  駅前のきれいに整備された公園は、やはり元鉄道用地だったのだろう。駅裏側の枯れ草だらけの敷地も合わせると、妙寺駅構内は線内でもかなり広かったことになる。農産物の輸送でもしていたのかもしれない。フルーツの町かつらき町、というステンレスの看板が見当たり、今この町では観光客を観光農園で呼び込んでいるようだ。自動車で来るのがほとんどかなのだろうけど、この遊び場は鉄道で来た子供連れのために造られたかのようでもあった。お昼は列車が1時間に1本なので、待ち時間ができたときはちょうどいいだろう。緑の地面に工夫を凝らした遊具がいくつも並んでいて楽しそうだ。しかしそんな愉快な場所も、背後にひどい廃墟が接していた。壊れて朽ちていくもの中に、新生しようとするものがある、というような混淆が、この駅ではときどき見られた。そんなふうに包まれた園地で、いたって平然と遊ぶ子供の姿が思い浮かぶ。居もしないのに。公園はそれだけ未来を担っているのかもしれなかった。

複雑に起伏している山肌を持つ、どっしりと座った山。 遊び場から山を望む。

二階建てのコンクリートの小ぶりな建物。コンクリートは汚れ、窓はなく、落書きがされ、廃墟となっている。 しかし遊び場のすぐ近くには2つの廃墟があった。 1つ目。

畳や土壁がぐちゃぐちゃになっている。 2つ目。跨線橋から見えた民家の廃墟の中のようす。

駅前の敷地と赤い屋根の駅舎。 遊び場から駅舎を見て。

駅前の敷地の中でも宴席に囲まれテーブルと椅子のあるスペースから見た、駅舎前の風景。左奥に民家、右奥に車のUターンスペース。 駅舎を右手にして駅前広場を望む。

Uターンスペースは単なるアスファルトの敷地となっている。ロータリーも白い表示の案内もない。 遊び場のある方とは反対側の(駅舎から出て右手にある方の)駅前広場より。 自動販売機のあるところは商店になっていた。

駅舎と、その横に伸びている花壇。 駅前の商店から見た駅舎。 花壇のブロックや大きな観光案内版が観光地らしかった。

駅舎。 妙寺駅駅舎その2。

とがった部分が少し多い山脈と駅舎の入口部分。 和泉山脈と駅舎入口。

  駅前からそろそろ出よう。駅から出て初めに目に付くゲートに掲げられた看板は、清酒の宣伝をしているのだとすぐにわかるが、いちばん大きな最初の字は何と書いてあるのか、はじめわからなかった。しかしどうやら、その三文字は「鶴の瀧」を意味しているようだとわかり、しだいに微笑が漏れ出した。 はじめの部分は文字に見えそうな感じなものの実は絵になっていて、鶴を描いてあったのだった。こんなふうな楽しいゲートはとても好きだ。
  駅先の国道交差点へと出た。この付近は、昔に整備された国道、 という感じだった。歩道はかなり狭く、路肩もほとんどなく、追い越し禁止を示すオレンジの中央線が引かれ、大型トラックや自家用車が、かなりのスピードを出して走っていた。

信号のある小さな十字路。交差点に出る直前に簡易なゲートがある。脇に自販機のある民家。 駅を背にして交差点を。冬の夏、の風景。

2車線の国道の、信号のある小さな交差点。 駅前から延びる道を歩いて国道に出て。
国道24号妙寺駅前交差点。

植物溢れる民家の軒下から2車線の国道を望む。歩道は非常に狭く、ガードレールがすぐ近くに迫っている。。 粉河・和歌山方面を望む。

沿道に民家の並ぶ2車線の追い越し禁止の国道。 駅前交差点を離れたところから見た風景。 妙寺駅への案内板が出ていた。

平屋の民家の軒下に並べられた自販機。 交差点に出るまでにある自販機群のある民家。 右5台はすべてたばこの自販機。よく売れるのだろうか。左手に駅舎。

駅舎。 2月、妙寺駅にて。

  妙寺駅は、深く印象に残る駅だった。 もしかすると和歌山線の中では、私にとっていちばん忘れられない駅かもしれない。 今と昔、光と影の交錯する場所。しかしそれを思わさず、いろんな工夫で、冬でもめいいっぱい輝いていた。そういう工夫は、鉄道の力からではなく、この町そのものが持つ大切なものから来ている。
  駅舎の中は壁の汚れがひどかったが、まったく座れないということはないから、 ゆっくり列車を待つこともでなくはない、でも、外のほうに遊び場や、テーブルとベンチなどがあり、天気がよければ外で待てるような駅前にされている。
  そういえば、外の天気は、大和二見に降りたときには雲が多かったのに、 いつの間にか炎天下のときに見られるような快晴に変貌している。 冬らしい、すがすがしい高い空とは違っていた。 とにかく、この空模様からすると、夕方まで晴れが続きそうだ。
  妙寺駅に来て1時間が経ち、列車のやってくる時間になった。 一人、二人と駅にやって来て、ホームへと進んでいった。 私がホームに出ず、一人で駅舎内で休んでいると、 話すことのおかしい、十代後半の人が二人入ってきて、居ずらくなったが、 和歌山行きがやってくると、私たちは一緒に乗り込んだ。乗ったのは計5人ぐらいだった。 降りた人は、乗った人と同じぐらいの人数で、小さな駅を、人の動きが一瞬にぎやかにした。運転台からは単線のレールが、冷たい快晴のもと、 のどかで、やわらかい風景の中を走りぬいていた。

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