新堂駅

(関西本線・しんどう) 2008年12月

  狭い河畔の土を踏みしめ笠置渓谷を抜け、月ヶ瀬口あたりでどちらともつかない三國の境を感じさせられつつ 伊賀に入り、この新堂に至った暁にはいつも、「あ、もう伊勢地方に下ったんだな」と錯覚してしまう。それくらい平明で、安定感があるところだった。でもそういう、街の濃くなりそうな風景を窓から見ていると、「あれ、まだ加太越え下ってない」。
  でもその賑やかになっていきそうな、というのは裏手のことで、それもそのはず、寄り添ってきたのは大動脈の一つ国道25号だった。しかし非名阪と呼ばれているように、このあたりについてもカントリーロードの趣きだった。

 

 

雑木林の丘陵がまだ残っている。

伊賀上野・木津方面を望む。伊賀国の境の山が見えている。

電化促進の啓発看板だが、島ヶ原や大河原ではJR西の車両だったのに、 ここではJR東海の車両になっている。「急行かすが」がこの車両だったので不思議ではないけど。しかし褪色が著しい。

ホームから見た駅裏の様子。

こういうホームの端にある植え込みがよい。

 

こっち側の方が頑張ってた。

 

見ての通りあちら側の乗り場は廃止されている。 剥がす際に2番線でなかったのは、 これも裏側からの利用者を考えてのことだろう。

なんかこの駅名標プレート一枚。 車窓を眺めていたらこれが一番目立っていた。

 

簡素な待合所。

かなり湾曲して入ってくる。

 

 

  駅名らしく、以前の駅舎を表象のみに退役させ切符売りの小屋を新たにプラットホームにしつらえてあった。簡単でまっ白な青空跨線橋が国道、のりば、駅舎を 張り切って結んでいるのもまた明るく鋭かった。25号側から来る人が多く、利用者数も少なくないのだろう。そうでもないとここまで改良しないもので。とくに、切符売場。この裏口からほどないところに三重の駅を旅するならしょっちゅう遭遇するスーパー オークワがあり、紫の気動車の道中では買い出しにもよさそうだった。それにしても、駅裏のパーキングエリアみたいにしたところでトラックが休んでいるなんて、いかにも東海道を輔弼するルート。この新堂駅はよそにも見らそうなこの木造駅舎で測られるよりも規模がある方だったようで、かつての構内の広い外形が窺われたが、この新堂・下柘植界隈は旧伊賀町の中心部と至近だというのを後ほど知った。街と思っていたのはそれだったのか。しかし鉄道からすると、やはり伊賀市のもう一つの街という趣向で位置している感じだった。すると一連の改良は町からの働きかけだったのかもしれない。

こちらが…

現在の主な駅施設。

こんな感じで特に何もない。

 

 

柘植・亀山方面を望む。

 

 

伊賀らしい風景。

表側には変わった山があった。

佐那具でも見えた山がよりはっきりと。 おそらく左手は油日岳(693.0m).

 

あのホームだけの駅となっていたら寂しいことになっていたところだった。

駅前を垣間見て。

 

 

  旧駅舎でも売れるようにしてお色直しもしてあったが あるじが転出したような形になってもったいなさげだった。けれども庭園と外観はそのままに、無くしてしまって駅らしさを捨てさせるようなことは地の人が許さなかったようだった。この表のあたりは古来からの居住地で、なんか佐奈駅前に似てる。要するに駅から出るとまず左右にどんと元鉄道用地の空き地があって、目の前は先細りで、民家があるという。そしてとくに、小さな山が果樹畑になっているのも。重用されたらしい道の、どっしりした家並みも今となっては一集落であっても、こうして複数の時代が同居しているのは多様さの現れているものだった。

 

 

ここでも待てるようにされていた。

駅を出て。

新堂駅駅舎その1.

その2.

これも維持されている。

伊賀と信楽は近い。商売繁盛などをこめて置かれることが多い。

実は駅舎を通らなくても出入りできるようになっている。

3.

 

左手駅。駐車場、駐輪所あり。

4. 左の塞がれた車寄せみたいなのは気になる。

5.

6.

 

 

柘植方。

 

国道側へ。

あの丘陵地の手前を名阪国道が走っている。

 

 

こちらから見て駅らしく見えるようにしてある。

 

 

 

右手トイレ。

 

新堂駅 7.

駐輪所には待合スペースも併設。

この季節の芭蕉の句。きちんと管理されているのがよくわかる。

あちらはバス停。

 

そしてさらにもう一つ待合施設がある。

 

 

上野方。

このあたりは工場が多い。

 

道の駅にはならなかった…。

全体に和の雰囲気があり風土と合っていた。

  前後からするともっとも頼もしげな新堂駅で、冬光に座って待ち、車の行き交うのを眺め、早くも晴れやかな東海の乾いた冷たい風を感じていると、取り残された区間で汽車を謳歌したり、困難なルートの自然に我を忘れて見つめてきたことよりも、柘植や加茂で乗り継ぐ、この鉄の道がなくては困るときっぱり言える人の姿が、思い浮かんできました。

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