北宇智駅 - 和歌山線─冬編 その1 -
(和歌山線・きたうちえき) 2007年2月
吉野口駅を過ぎ、左に狭い谷地の冬畑を見ながら走ってゆくと、
近鉄の薬水駅がちらっと見えた。山肌の低い所に造られた駅だった。
駅名も場所も、興味深い駅だった。
心を掴まれながらも、その薬水駅に別れを告げると、
列車はやがて林の中を走り始めた。
すると、雪がちらちら視界に入るようになった。
まさか、と思っていると、右手すぐ近くの山裾のふもとに、
なんとか拵えたような田畑のあちこちに雪が積もっていて、
ドアの近くに立っていた私は、急にひんやり感じ始めた。
「まさか、雪の北宇智駅に行くことになるとは。」
ついに、深くて古いコンクリートの掘割を削るかのように走り始めた。峠だ。
掘割を抜けると、右手にゆるい斜面につくられた田畑が見えるようになり、
すこし遠くに新しいコンクリートでできた未完成の自動車道が見えた。
それは、将来「京奈和自動車道」の一部になる五條道路の五條北インターチェンジだった。
ところで、峠を越えたことで、水系も変わった。
腋上駅を出たあと、大和川水系の葛城川をさかのぼっていた和歌山線は、
吉野口駅を出て掘割を抜けると、すでに90度方向を南に変えていて、
紀ノ川水系の宇智川の流れに平行しはじめる。
国道42号にも並行しはじめるが、
国道は和歌山線とは違い、風の森峠を越えて宇智川の源流からそのまま南へやって来ている。
蒸気機関車は風の森峠を越えられなかったのだろうか。
掘割を抜けて沿線の水系をかえた和歌山線は快調に下っていったが、
北宇智駅構内に近づいたため、速度を緩めた。
田舎家が案外近くて、車窓からその家の広い庭が見えたりした。
「すべてのドアが開きます」との女声の自動放送が流れた。
無人駅なのにワンマン列車のすべてのドアが開くのは、
こちらの運転台で開けた扉を、
向こうの運転台で閉められないからだと聞いたことがある。
スイッチバックの駅だから、このまま構内を直進すると行き止まりになっている。
後退するため、駅に着いた運転士は後ろの運転台に移動するのだ。
後退していって、引込線に入り、また停まる。
そこで運転台をまた変えて、駅構内から外れる別の線へと入り五条へと向かう。
つまり運転士はこの構内を去るに当たって、二回、運転台を変えることになる。
しかし、あの事故が起こるまでは、運転台を変えることなく、後退していた。
ドアの窓の下の方に、ホームの床がゆっくりと流れていた。
そのホームに木造駅舎の間口があるのが見えた。車内は人々の興味が充満し、
ドア一枚向こうのほんとうの静けさを惜しみたくなった。
もう止まりそうな速度のころ、がたりと停車した。車内の緊張が一気に高まった。
ちょっと間をおいて6ドアすべてが開くと、いっせいに多くの人が立ちあがったり、
窓から覗き込んだりし、わっとざわめきが広がった。下車した人も多かった。
先頭のドアからホームに降りて、後ろの方を眺めると、
一瞬だけホームに出て写真を撮り、またすぐ車内へ戻った人もいた。
もっと下車してくるだろうと思ったら、降車は初めに集中し、その20人ぐらいだけだった。
スイッチバックの撤去が明らかになっただけあって、
降りた人は撮影機材を手にした男性ばかりだった。
登山をする恰好の人が少しいたが、何か怪訝な顔をしていた。
しばらくはざわめいていたホームも、
数分経つと二三人しか残らなくなった。
一緒に降りた人たちはどこへ行ったのだろうかと思ったが、
きっと撮影地点に行ってカメラを設置しに行ったのだろう、と片付けてしまった。
地図から知ってはいたが、跨線橋に上ると駅構内の周りは少し古い住宅地で、
山あいの、というイメージはいったん自分から消えてしまった。
生駒山地と反対側を眺めると丘陵地にできた団地や新しい企業団があった。
見通しがよく気持ちよかった。戦前はこの丘の地形を利用した飛行場があったという。
山側を見るとやはり住宅が近いが、よく見るとその背後は雑木林で、
しっかり雪を被っているのだった。
上り線ホームから薄く雪のかかった標高の高い生駒山地を見たり、
竹林に突き当たって行き止まりになった線路や、
妻面に出入口を取った駅舎正面をじっと眺めていると、
住宅のことを忘れ、山ばかりのところにいる錯覚に陥った。
行き止まりの方向を望んで。
駅名標。すでにJRサイズに変わっていた。
背後に雪雲が垂れ込めている。
このあたりまで進むと、ホームはかさ上げもなく、舗装もない。
吉野口・奈良方面を望む。
上り線ホームの待合所。
駅舎正面を過ぎ、跨線橋をくぐって吉野口・奈良方面を望む。
すぐ近くに民家が見えている。
跨線橋に上って、行き止まりの方を望む。
跨線橋。スイッチバックの設備のある左手、吉野口方面は、
トラス架線柱があって見にくくなっていた。
跨線橋を進んで、木材工業団地のある丘陵地を望む。
跨線橋上から見た北宇智駅駅舎。上屋が不思議で、ホームの縁まで延びていない。
上り線ホームに降り立って。生駒山地の一部が見える。
下り線ホームにある駅舎入口前。
改札口。
改札口を左手に。駅舎内には生け花が置かれてあった。
プラットホームから、白と灰緑の、のけぞるように高い山肌を眺めて、
寒々とした無人の改札口をくぐろうとすると、
その向こうは冷え切った暗い室内で、窓ガラスの雪明りが入っていた。
ここは山の駅であると痛感した。
駅舎内は、少しだけ荒れていて、
木製の厚い引き戸が汚れていた。和歌山線らしい荒廃だった。
しかし、大型の飾り箱に入れられた生け花が心休まる置物として受け取れたのは、
駅舎内が暗く、人の意思の表れが少なかったこともあるだろう。
駅を出ると素朴な一本道で、遠くの方で別の道にぶつかっていて、
そこには一件の商店が見え、やはり里なのだと知らされた。
上の写真の右手のようす。出札口のシャッターは閉じられて久しい。
出札口右脇には人権啓発のホーロー板が設置されてあった。
出入口のようす。現役の引き戸付き。
駅前の光景。
北宇智駅駅舎?
駅舎の奥にはすでにショベルカーなどが待機している。
北宇智駅駅舎?
駅舎出入口付近のようす。
駅舎正面の右手にある祠。光玉大明神。
すっかり払い雪を被っていた。
駅舎の後ろの様子。
再び駅構内にて吉野口方面を望む。
王寺行きの列車が折り返そうとしている。
列車がやって来た。
駅舎の裏手に回ると、建物は長かったが、
ほとんどの窓が板で打ち付けられていた。旧駅務室だった。
駅舎の後ろに回りきると、工事車輌が入っていて、
もうスイッチパックの撤去が始まりかけるらしかった。
こうなる前は芝生と牧歌的な柵のある敷地で、
宿直人の生活が窺い知れそうなところだった。
この駅務室も誰に使われることもなく、取り壊しとなるようだ。
ここに来たらあらかじめ1時間後の列車に乗ることにしていた。
しかしすでに混乱に備えて警備員が配されていたため、
長居しにくく、一本早い列車でここを去ることにした。
それは残念なことだったが、このことが幾日か経った後、
もう一度行きたいという燃え上がるような意思を育てることになってしまった。
北宇智駅のある町がどんな町か、
スイッチバックとともにあり続けた町はどんな町か、
日ごとに気になって仕方なくなってしまい、
ひと月と経たないうちに、私は再びこの北宇智駅を訪れ、
駅界隈を歩き回ることになった。