北宇智駅 ─ スイッチバックを再び訪ねて
(和歌山線・きたうち) 2007年3月
あれからひと月と経たずしてまた北宇智駅にやってきた。2月のあの日は大きな雲がゆっくり暗く流れ、あたりはうっすら雪を被っていたのだが、この日は晴天、あたりはもう春がやってきていた。北宇智駅の印象もまったく違う。
スイッチバック撤去の報はすでに膾炙し、私もそれに釣りだされて2回も来てしまったのだが、2回目のきょうは廃止17日前だというのに駅にそれらしい人が誰もいないのである。もうほとんど朝9時だし、青春18きっぷの期間も始まっているからもっと多くの人が訪れているだろうと思っていたのだが、冬晴れの鋭さを残した空の下、緑とあらばそれを日が必ず輝かしているばかりだった。
しかしそんな春先の風景の中、駅前に限って人声でどこか騒がしく、たまに鉄パイプの音などがする。駅舎を抜けてみると、数十人もの工事関係者が群がり、口々にしゃべって賑やかになっていた。段取りを話しているのだろうか。とりあえず私はひとり駅前を離れ、近くに店がある少しはなれた踏切まで歩いた。前回はいやな警備員がいて駅前から出歩くことさえできなかった。あのときもここまでは歩いてみたかったんだ。
五条・橋本・和歌山方面ホームにて。
かさ上げによりスロープになっていた。
跨線橋の階段途中より。テクノパークならがよく見える。
斜面の植え込みは何かかたどろうとしているのだろうか。
王寺方面の様子。新プラットホームの基礎が右手に見えた。
五条方面。坂を下りる線路のバラストが新調されていた。
中央にはすでにショベルカーの轍が刻まれている。
左手の山並みがちょっとすごい。
北宇智駅駅舎と周りの民家。
王寺方面ホームにて、王寺方面を望む。金剛山地の山並みがすがすがしい。
運転台を変えるため、ATS確認の表示が目立っていた。
左奥が上り線、右奥が行き止まり。
スイッチバックらしい風景。
レンガ積みの暗渠があった。この施設を造ったころのものだろうか。
五条方面ホーム終端付近の様子。
のどかなちょっとした台地なのかもしれない。
駅名標。
高田・王寺方面ホームにて王寺方に駅構内を望む。
下り線ホームから見た駅舎。
軒下の風景。
改札口。
注目。
付け替え日の対策は、列車を一部運休、駅通過をするため、代行バスで行われた。
登山届けのポスト。金剛山(1125m)をはじめとする金剛山地に登られるのに使われる。
しかしロープウェイのある大阪側から登るのが一般的。
手作りの「沿線交通機関案内図」。
恒例の運転休止区間が赤線、そうでない路線が緑線で表されている。
北宇智駅駅舎。前来たときと変わったところはない。
駅前の道を進んで。右手ではもう派手に工事が行われている。
でもこの場所が何に使われるかわからなかった。
さて、今回はスイッチバックのある町を見る、というつもりでやって来た。身近にこんな鉄道設備がある町はどんな町なのか、見てみたい。山の中ならそうでもないが、町中にあるとなると気になって仕方なかった。次に、心惹かれる地名、北宇智、と書かれたものを町中に探す。北方の想像を喚起して、なかなかいい、美しい地名だ。といっても、北国のむやみな連想だけが起こるのではなく、冬の奈良というものの寒さや、金剛山地の標高などの想起を助けられているのだった。ひいては西日本にあっても十分寒く感じる内陸の厳寒と、高標高の降雪を。ただ高緯度ではない深慮にある寒冷感覚を、その地名がいたずらに知性的に向かうのを押さえ込んでいて、素直なものに思われていた。
それはともかく、スイッチバックとともに歩んできた町、みたいな感じで見歩きたかったが、別にそこまで何かあるわけではないだろうと何なとなく思えていたから、地名にこだわっていた。
踏切と反対の方向は集落がありつつも緩やかな裾野が広がっていて、これが宇智野というものだろうか。そっちは坂になっているし街もなさそうなので、踏切の方を越えることにした。
踏切はポイントの途中にできているため、レールの溝がいっぱい。しばらく遮断機が下りるという注意文もあり、ここの人はこれに引っかかるのが嫌そうだ。今ちょうど遮断機が下りているが、停止している軽自動車の運転者は、まあまあ平気そうだ。慣れているのだろう。しかし踏切は列車を使わない人には特に怨まれやすい。
踏切にいると、こっちに向かって坂を下ってくるレールと、水平に進むレールが見て取れた。後者の線路に入り込んで運転台を変えるわけだ。ちょっと脇道に入って、その線路の行き止まりを覗きに行ったのだが、いかにも覗きやすそうなところに限って線路内立入禁止の注意書きが立っていて、よほどいろいろあったのだろうと想像した。こんなところ列車の来る来ないがいちばんわかりやすいところではあるのだけど。
その線にて運転台を変えるため、線路の脇にはバラストの中、コンクリートの板を敷いて運転士が行き来しやすいようになっていた。実際乗って観察すると、車高あるゆえ、窓からは運転士の頭が少し見えるぐらい。しかしこういう整備をしたのも、最近のことで、それまでは運転台を変えずに後退することで済んでいたようだ。
あまりうろうろすると遠くに見える駅のほうからでも例の警備員が来そうなので、ほどほどにして退いた。みんなはどこで列車を撮るのだろう? ポイントを探すのも愉しみの一つなのだろうけど。
振り返って。
踏切前にて。
すぐ近くにある和菓子屋松月堂。
金剛山地側の道の様子。たまに店がある。
突き当たりに五條道路の高架が目立っていた。
踏切方向。下り坂になっているのがよくわかる。
スイッチバックの手前にあるが、
特に変わった踏切には見えない。
「しゃ断機が時分が少々長くなります」とのこと。
この看板は向こう側にはなかった。
路面の様子。
吉野口・高田・王寺方面。
同方向。さっそく二線は段差になっている。
踏切を振り返って。左手に酒食料品店。
脇道に入って。向かう線路内には立入禁止の看板が
まぶしく立っていた。
折り返し線の様子。突き当りを見たかった…。
駅のある方向。運転台から下りるための階段が設置されている。
元の道に戻って。踏切より先の風景。
今日の主な予定はほぼこの北宇智駅だけで、のんびりと古い通りを歩いた。さっそく北宇智郵便局というのを発見。ここの消印は北宇智なのだろうなあ。風景印はあるかしら。昔はちょっとそんな収集もしていたけど、今はさっぱり足を洗った、というのも変な言い方かな。そういうわけで入ることもなかった。
国道24号の信号に出た。左手は新しそうな道で坂を上っていくが、これは五條市と御所市を越えるにあたって、鉄道線と違い風の森峠を越えるコースとなっている。右手は古い国道の風景だった。毎度のことながら交通量が多く、いっそう道の古さが強調されるようだった。民家が主体だが、歩くと昔の飲食店がいくらかある。北宇智運輸なるものを見つけた。運輸業の中では印象に残りやすい個性的な会社名になっていそうだ。
道は古いが、五條市住川町との表示や北宇智駅への案内板が新しくて、自動車やトラックがひっきりなしに走る風景に合っていた。さびれてしまった駅と、交通量の多い道路とは相反するものだが、道路にある駅への案内板には、それはそれと通過ばかりしていく自動車の列が似合っている。しかしそれにしてもこんな風景は駅からは想像がつかないな。駅にいただけで、その辺の活況というものがわかるという時代ではおよそないが、駅構内からの視点だけに絞るのは、そういう愉しみとして成立したものではあるようだった。ひとつの積極的な錯覚だろうか。
北宇智郵便局。
遠くに信号が見えた。
電柱にあったキタウチとかかれたプレート。
また北宇智の名を見つけた。
今田新聞舗。名前が傾いている。
国道24号の交差点に出て。
左手の道の風景。
さらに先の様子。いい道が上り坂になっていた。風の森峠を越え、御所市に入る。
向こうに見える信号はエルベタウン五條の信号。
交差点の方を振り返って。歩道はいったんここで切れて、ここから少し道が狭くなる。
駅から出てきたところは住川町の交差点だという。右手に入ると駅。
右折ラインがあるが、駅への案内板はなかった。
北宇智運輸株式会社。これで北宇智の名を関するものは3つめ。
さらに歩いて。湧本食堂。手前は住川のバス停。
下のほうに新宿行のりばとも書いてあって驚いた。
たばこ販売の窓口の跡に販売機を置いたような感じ。
振り返って。左手に寿司うどん、柿の葉寿司の店。
そういうわけで駅に近いところに飲食店がいくつかある。
たぶんやってると思う…。
あらためて国道を和歌山方面に見て。
さきほどの運輸会社の社名を冠した車庫。
住川交番。
五條市住川町の表示と北宇智駅への案内表示。
0.3kmとなっていた。
住川南の交差点。テクノパークならの台地が見える。
ローソン。列車撮影のついでに訪れた人もいるだろう。
交差点を振り返って。
飲食店がまたあった。
別の信号まで来るとしまいにはローソンやお好み焼き屋まであって、これが北宇智という地の実態だった。工業団地の台地が聳え、すっかり開けているが、その信号からの道は下り坂になっていて、ここは地形が複雑で急のようだった。その道が県道127号線で、御所市に向かうのに、鉄道と同じく重阪峠を越えるコースだ。吉野口駅に行くにはこの道を選ぶ。
ところでやはりスイッチバックの文化の根付いたものは見当たらず、探しあぐねたかのようにあたりの住宅地に潜り込んだ。しかし何かあるわけもなく、ただの集落だった。でも歩いていくと駅構内の裏に行き当たり、坂を下っていく線路を間近に見られるところに来た。こうして五条方向を覗き込むと案外急な勾配で、この設備の必要だったのがわかるようだった。しかし今の電車の馬力からすると、べつに何ともないのだそうだ。穏やかなものの確かに山塊である金剛山地を背景に、この辺はなだらかな地形で、跨線橋だけがそこに駅構内のあるのを示していた。ここはかつては美しい土地だったようだった。
線路に囲まれるようにして一軒家があるが、その家人のために線路を挟んで複数の通路ができていた。もちろん、線路内立入禁止という表示とともに。もはや立ててあるだけだ。でもほんとここの人の暮らしはどんなだろうと思った。よほど鉄道好きで利用者でもないと、こんなところは不便を感じそうだ。バラストも新しく撒き直され、見上げると新しく張られた架線に円滑に移行できるよう、新旧の架線が段違いで設置されていて、銅色が明るく空に光っていた。春光の中、この家を取り巻く一大変化は刻一刻と迫りつつあるようだった。スイッチバックがなくなるとともに、この家は線路に囲まれなくなり、特徴を失い、ただの一軒家になる。でも、この家の行方はほんとうはどうなっていくのかなと、とても気がかりだった。
ほどなくして、誰かが向こう側でズボンを脱いで制服に着替えているのが見えた。まさかJRの社員か、と見ていると、どうもこの撤去前に際して雇われた警備員らしい。きょうはこの春の空気の中、気持ちよく帰ってみせる。
新しいホームになるような基礎はでき、ショベルカーは入りで、もはや前回来たときの落ち着きはもうない。見るものももうなさそうなので、ぐるっと構内を迂回して駅舎へと戻った。
住宅地に入って。古いカーブミラーだ。
駅の裏側に出てきた。人が立っていて、工事の最中。
この跨線橋もやがては役目を終えると思うと、
住宅地に立つ不思議な建造物に見えた。
王寺側。山並みが美しい。
こんなふうに立ち入らないでくださいとの立て札が並ぶ。
本線と駅舎の風景。
五条方面に向かう線路。明らかに下り坂になっている。
構内を王寺方面に見て。跨線橋と離れて走っている本線のある風景。
レンガ造りの暗渠。上のほうで駅名標がその裏側を見せている。
架線も新しいものに替えるらしく、
新しいものと古いものとで二重になっていた。
銅色がまぶしい。
線路と線路にはさまれた畑に行く道。
スイッチバック突き当りと本線。
これが例の民家。
またレンガ積みの暗渠があった。
片持ち架線柱のアームもぴかぴか。
五条方端では防護要員が列車の到来を見張っていた。
線路に挟まれた畑は案外広かった。
畑への道があるが、もちろん踏切はない。暗黙の了解。
王寺方面に見返して。
本線と土手と、折り返し線の駅名標。
駅への道。工事の人が出ている。
新聞の販売機。表面はぼろぼろだが、新しい新聞が入っていて、現役。
ここで買って列車に乗る人もいるかな。
振り返って。
駅前。
駅から見た駅前の風景。特に何も変わらず、昔のまま。
心に残った一風景。
駅舎の奥の土地はさっそく売物件となっていた。
駅舎の右脇を通って少し歩いたところに北宇智駅駐輪所がある。
ぱらぱらとしか置かれていない。
右手、駅構内。
駅舎のない方のホームで待とうとしていると、フェンスの向こうに、もう70過ぎぐらいの方がいて、なぁ。どこから来た? どこから来たんや? と親しみやすく声を掛けてきた。
「うわぁ、それは遠いなぁ。ようそんなところ来たなぁ。へぇ。でも、そんな遠いと、旅費もなかなかのもんでっしゃろ。」
爺さんはまっすぐこっちを見て微笑みながらそう言った。
しかしそうでもなかった。実際ここは同じ近郊区間内だったし、まず始発に乗って、それから次々と乗り継いできただけだった。それでも約3時間、120kmもあったけれども。
「まぁ、そやけどえらい時間掛かりましたやろ。そやけど遠いなぁ。運賃もかかりましたやろ。」
数度にわたって運賃の話をし、知りたいようだと思って、青春18きっぷで来たと本懐すると、
「え! あんた、JRの職員さんか何か?」
と言われ、とにかく私は瞠目してびっくりして、いや違いますけど、となんとか即答すると、
「あかんでそんなん。な。」
何のことだかわからない。この人が聞き違えたのだろうけど、どう聞き違えたらあんな反応になるのかさっぱりわからず、あっけにとられて立ち尽くしていた。
「まぁ、ここももうすぐですわ。私もこうして畑いじってるけど、もう夏物は作らんといてくれ、言われてますんや。」
その人は表情をやや柔らかなものに戻し、とりあえず会話は続けたいようだった。しかしおもしろいことに、この人は疑っていたようだ。そしてそれが確かだと思ったにもかかわらず、あんな流し方。鷹揚なのかと思った。それにしても、今回のこの変化が波及するものの一つに、スイッチバックに挟まれるこんなささやかな生活があり、にもかかわらず老人は諦観していて、軽やかな哀愁で済ましていることに惹かれながらも、ここで畑を管理しているという事実は意外だと思って、ここにお住まいなんですか、と訊くと、明るく拍子抜けしたような顔をして、そうです、と言う。私は、へぇ、とまでは言ったが、こんなところに、と言いかけてやめた。危ない。
ちょっと会話が切れそうになった。和歌山線にはよく乗るんですか、と、とりあえず尋ねた。しかし、尋ねている最中から、まずいと思った。明らかに趣味で来た私に、乗らないとは言いにくいかもしれない。
「ええっ? あっ…。」
ああ、慌てている。しかし、そうしてずいぶん狼狽したあと、
「いや、私は昔、国鉄職員やったんですわ。」
と、穏やかに言った。ただの畑仕事のお爺さんだと思っていたため、あまりに思いがけず、驚いて声が出た。偶然だなと思えたが、すぐになんとなく察しが付いた。このスイッチバックに挟まれる土地、鉄道の縁でここに住まうことになったのではないかな、と。でもまったく違うかもしれない。そこまでは深く訊くことはなかった。
しかしこの人が国鉄職員だったと言ったその言い方には、やはり含蓄が感じられた。遠い過去を振り返り、かつてはどこでも、なくてはならなかった鉄道輸送に関わってきたという思いのこもった言い方であった。ゆがませて言えば、過去の栄光にひたったかのようといなるのかもしれないが、そうやってこの感情吐露に後ろから釘を刺しておくべきような様態は少しも垣間見えなかったし、仮に刺されても寂しく笑うような、自分の何に栄光を感じても許されるかのようだった。そしてこの趣味で来た私が、国鉄職員であったことに対してたぶん関心をもってくれたり敬意のようなものも感じてくれるのではないかなという期待と信頼がちょっと感じられもして、私はうれしかった。何もしゃべらなければ、ただ畑いじっている人でしかなかったが、今はこの関係がもっと大きな関係の一端を形成しつつあるように感じさえもした。静かな自信のこもったひとことは、二人だけの間のみに価値を持つものではないのだった。
ともかく私はその期待を知らないうちに受け取って、それは失礼しました、とちょっと微笑みながらうろたえて言ったらしかった。だって元鉄道員にする質問にしては、ちょっと的が外れている。
「まあ。和歌山線も昔に比べたらずいぶん人減りましたけど、五条と玉出に高校があって、まあ、それで持ってますんやわ。」
渋い顔を真正面向けてそう言う。何か知っていそうに思えて、改めて、どうして廃止になるんでしょうと訊くと、
「うーん。スイッチバックの踏切の待ち時間も長くて、苦情もきてるんやわ。」
え、そうだったんですか、と応じると、
「え、そうなんじゃないの?」
と自信なさげに返すので、おかしかった。
「ほんで、ほらこの前、おっきな事故起こしよったやろ。」
ああ、あの尼崎の、と思い返した。
「あれが起きるまではそのままバックしてたんやわ。今はそんなことしてたら危ないやろ、言われて、一旦降りて運転台を変えるようになったんやわ。」
「じゃあ雨のときは大変でしょうね。朝は6両のときもありますから。」
「そうそう。いや。…さすがにそのときは運転士2名乗せてますわ。」
と、途中で思い出したかのように笑ってそう言った。また、ここはどんな駅になるのかと聞いてみると、ここに来るまでに玉出という駅がありましたやろ、ああいうかんじでホームだけの駅になると思う、と予想を話してくれた。そして跡地や駅舎はというと、渋く微笑みながら、やっぱり更地になって売られるやろうけど、いまどき買い手はつかへんのちゃうかな、ということだった。
それにしても例の事故のことをあっさり、起こしよった、と言ったところに、元仲間のやらかしたことのどうしようもなさが漂っていた。しかし一般の人の言い方としても不自然ではない、なのに、この言い方、もしかしたら、鉄道趣味で来た人にだったから、言えたのかもしれないとさえ感じたのは、ふだん遠方で人慣れないこともあって異様に親近感が高まっていたからだろうか。
尋ねたことはどれも予想のつかないわけではないことではあったけど、直接訊いて話して、自分の予想と照らしあわすことができて、楽しかった。それにこの人はここに住んでいるのだと思うと、当然のことでも確かめたくなった。しかしそういえば自分からスイッチバックやこの駅に来たことの感想を語ることはなかった。というのも、その場ではありのまましか見えずぜんぜん纏まらないもので、つまらないことしか思い浮かばなかった。それでつい訊いてばかりになったようだ。今思えば汽車時代の話をすればよかったと思う。
あたりを見回したら、春になって生えてきた草々の向こうに、レンガでできた遺構が見えた。お爺さんはあれは水路だと言う。私が暗渠ですか、というと、そうそう暗渠ですと応じた。あれもきっとこの設備ができたころのものだろうけど、もう尋ねすぎたように思え、またあまり期待に添えないことを感じさせてしまったかもしれないと思い、もうここでやめておこうと思った。ちょうどそのとき、列車がやってきた。私は俄然慌てる。撮影したかったからではなく、ほかのことに気をとられて列車を乗り逃すのが私はしばしばだからだった。入って来つつある列車を背中にして、あれって五条行きですか、と、自分の乗りたい行き先とは逆のをまたもや訊いて、決して話をすぐ打ち切りたいわけではないことを示し、取り乱した感じを解消しようとしたが、何行きに乗るつもりか言っていなかったがためにそんなことは伝わるわけもなく、その人は、だから違うの、というふうに「あれは奈良行き。」と悠長にちょっと笑って、説明しなおしてくれた。「列車があっち行きましたやろ、あれが向こうで止まって、方向を変えて、こぉっちに、入ってくるんや。」 ここは勘違いしやすい。車止めより先が本線だったら、このホームが私の乗らない下り五条方面行きになるはずなのだが、五条方面行きの列車というのは奈良方の本線からそのまま下ってきてそのまま隣りの駅舎のあるホームに入るので、今いるホームが奈良行きのホームになり、この駅では乗り場の上り下りが、ほかの駅と違い逆になるのだった。
入ってくる列車が奈良行きと知り、ここと、この人との別れが、あっけなく訪れたようだった。改めての説明を聞きながらも、ちょっと上の空でいると、
つい長話して自らが支障になっていると気づいたあの感覚をかき消すかのように、「写真撮るんやったら撮りや。」と、からりと言って、別れを暗示した。そんなふうに思わせてしまって、私はたいそう悔しがった。いつものことながら、私は別れ方がへただ。別に撮影するつもりはなかったのだが、1枚撮ると、その人は、軽く、じゃ、といい、どこからともなく来た男に、おう、と荒っぽく声を掛けて、二人で畑のほうに向かっていった。
今となってはとてもいい思い出になっている。あれっきり来なかったら、雪雲の薄暗い中、ただ行っただけになっていた。二回目に来るだけでこんなに違うことがあるとは思いにもよらなかった。でも私はもう一度行くだろう。新しくなった設備を見に行く。でもそれより、あの家がどうなったか、あの人は住んでいるのか、畑はどうなったのか。
乗った列車は春になってにわかに力を持った光に包まれた踏切をカンカンカンという音の中ゆっくり抜けて行き、宇智野を少し見渡しながら坂を上っていく。やがて掘割を抜け、林の中に入ったが、木漏れ日が強く、少しも暗くない。吉野口駅に着く。ここで近鉄に乗り換えて、薬水駅に行くことにしていた。そこで今年の春探しをしよう。
春、北宇智駅にて。
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薬水駅
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