新潟駅
(信越本線・にいがた) 2009年9月 NO JS(不具合時) JS ON
新潟へ
今乗っている汽車を終点新潟まで、2時間乗ることになっている。たぶん着くのは、忙しくなくなってくる朝9時過ぎくらいになるだろう。今朝は薄雲が渡っているが、今日もそれを陽が破って、やはり晴れ、という、衰えかけた夏によくある天気になりそうだ。北国は はや盛夏の抜けるような青空を終えて久しいだろうけど、陽が出るとまだまだ真夏の暑さだで、いわゆる残暑だった。
こうして各駅を漏らさず停まり、柏崎ぐらいから越後平野を北上していると、まさに延々と続く汽車旅という感じがする。これだけ走っているとたいていは目立った峠があるが、そういうのがないだけに。
ラッシュは長岡前後で過ぎ去り、学生を含む客層は入れ替わり、人も減った。しかしながら一駅一駅停まる度に、汽車は着実に人を積み増していく。新潟に進むにつれて、いっそう確実に、少しづつではありながら、人を積み増していく。
それは見ていておもろしいくらいだった。新潟がどれほど頼りにされ、日本海沿岸北国の体格のいい都市であるのかの想像に遊ぶことができた。時間帯だけに、仕事のことだけが想われることはない。それ以外に、出会いや買い回り、予備校、求職、病院、家庭的な事務処理に行く人が乗り合わせている。
ある初老の紳士2人が途中駅からこの菜っ葉色のラインの入った旧急行に乗りこんできた。すでに座席はどのボックスも満席で、通路の中ほどまで立ち客が出ている。それや新潟までの輸送を、直江津から長距離設定することでも、担わせているんだから。同じ新潟内でも、かなりの旅になることはめずらしくない。
はじめに通路に入って来たその紳士は、もう一人の紳士が自分の隣に立って初めてそれが同僚であるのにはじめて気が付いたという感じだった。
「おっ、おはよう。 ございます。」
「あ、これは…おはようございます」
気づかれたほうは奥ゆかしかった。気づいた方はやり手そうで明るかった。でも苦笑を浮かべている。互いは会いたくはなかった気配だ。たぶん職場で知ってはいても、もともとあまり話さなかったのだろう。けれどそれだけではなく。切り出しにくそうにそして唐突に、
「あなた、週どれくらい来てんの?」
「私ですか? 私は、3日…ですね。」
「3日。 僕はね、今週は2日だったかな。それくらいだよ。」
「そ、そうですよねぇ、あっはは。」
「そう、それでいいんだよ。そうやってね、徐々に減らしていかないと、
いきなりあれするとねぇ」
「ですよねぇ」
「何したらいいかわかんなくなっちゃう」
見上げると銀の網棚にくたびれた薄い皮鞄が汽車に揺れている。その網棚はなにか剛性なトランポリンだ。
「佐山さんてどう思います?」
「あのね、彼はね、人付き合いよくないけど職人だとは思うな、でも、っていうほどでもないかなぁ。」
「なんか私が話しかけてもあんまり話しくれなくてどうしたもんかなと思ってました。同じチームなのに」
「ふーん。でも彼はね、やればできると思いますよ」
「…ですかぁ。」
二人はもう深刻に考える必要はないはずなのに、その微妙なポジションの人について、奥ゆかしい方はわりあい悩んでいた。
「でもね、しょっちゅう奥さんと子供連れて旅行してたときもありましたよ確か。だから家族思いではあるんですよ。優しいんですよきっと。」
「へぇぇ…知らなかったな…」
「どっか旅行はするの?」
「私はこの前、尾瀬の方に…」
「尾瀬! あなたもしかして山やるの?!」
「えっ! いやっ、たいしたことはしませんけど、でも、登りますよ。」
「へぇぇ、たいしたもんだねぇ。僕もね、尾瀬はね、去年だったかな行きましたよ。紅葉がきれいだっていうから、行ったんだけど、あそこは、草紅葉なんだね。」
「そうです草紅葉です。」
「それ知らなくてさ。」
「へぇぇ…」
「僕はもの足らなかったなぁ。きれいはきれいでしたよ。で、老後は、山、行くの?」
「いやっ…」
「お金もかかるしねぇ。装備とか結構かかるでしょ。」
「かかりますかかります。」
「あっそうそう、老後の資金てどうするの。なんか考えてる?」
急に小声になって話す。無論二人に不安はなく、余剰生活のことについてだろう。
「そうですねぇ株とか…」
「株かぁ…僕もやったんだけどね、あれはやっぱりいかに情報網を築くかだよね。だから人脈がものいうし、そういうのがないとねぇ、難しいよ。」
「ネットとか…」
「ネット! ネットで何とかなりゃ僕なんか大稼ぎですよ。というかね、ネットに載った時点では、もう遅い。だからそこをどうするかなんですよ。ね。ネットでなんとかなりゃ僕なんて…」
「はぁ…」
二人は終着駅まで行かず、そこで降りていった。車窓から空は陽はとっくに昇り薄雲を割って蹴散らしている。マイルドな夏に最適期を終える新潟の宙ぶらりんなモラトリアムを感じ取る。秋はまだ来ず、そは我を満足させず。そしてもうひとつの一般的トーキョーをも見た。
大都市の前のくさくさした駅からもさらにせわしく人を積み、気がつくと新幹線の高架に絡みつき、ようやく終着新潟のヤード的な構内に入る。さすがに車掌も疲れているだろう。でもその人と同じように、聞き続けている人もいると思うと、妙な一体感だ。ご乗車ありがとうございました、まもなく終点、新潟です、には、疲れた達成感と安堵が声色に隠せないでいる。
まぁどうにか、夏らしい新潟には来れたかな、と構内を眺めていると、列車はプラットホームに身を寄せながら滑る。車窓から見るに、混雑していそうでも工事していそうでもなく、今日は駅のごく日常らしい日のようだった。
新潟駅
1番線ホーム
列車を降りて。
改札前改札内コンコース。
階段前広場。たいていの人は地下道だと思うけど。
室外機がまたすごいところにあるが、いかにも裏通りの感じ。
あのシャッターは何か店でもあったんだろうか。
駅ビルのタイル張り。
階段わきを抜けて。
新型北越が終着新潟に到着。
やはり人が引けはじめるころだった。あちこちから到着した列車はほんのひと塊ほどの人群れを吐いた後、乗務員が降り、点検をする。新潟駅も昔は賑やかだったのかもしれないが、今はきれいさっぱりとして、とくにこの午前の自由な時間はとても空っぽだった。数年前に来たときはあったそば屋さえなくなっている。もともと日本海縦貫線から外れているというのはあるが、それが却って新潟に来た旅人にとっては、確かに望んで新潟にこうしてやって来たのかもしれないなという感覚がしだいしてくる。新潟といっても前述の通り広いけど、日本海側一の都市を標榜しているだけあって、こここそ本来的新潟かと思えるものだった。とくにこれから見られるだろう新潟駅なるネオン管風の表示を見つめると、ここ新潟に確かに来られた感慨も深まるだろう…。
新潟駅は、汽車の終着地だ。さらに歩を進めようとしても奇しくも新潟を循環し、本線的には、来て帰るにしても、北に過ぎ去るにしても同じ方向からの旅立ちだ。プラットホームの列車や人模様からこの、先行きの痩せる感じはそういうゆえんによるが、風景や感覚としてそう思えないところは、旅人に本線の流れにあるとつい錯覚させ、いつしか心がせいてしまう。ここ新潟ではどっしりと ゆっくりとしていくのがいいだろう。
関屋方面を望む。実は向うから先は越後線というローカル線だという実感はわきにくい。
ホームの端。この辺は乗務員が出入りするところ。
再度階段前広場にて。
1・2番線の風景。
赤とか緑とか、何かこう意図的に色が付けてある。
左:東跨線橋階段前。
右:駅そば屋の新潟庵があります。
1番線にて関屋方。
かなりの広告魂だった。
東跨線橋
エレベーターの案内広告がおもしろい。
1・2番線を見下ろして。
新発田・村上方。あの橋は改札外の東自由通路になる。
交差点。
3・4番線。東北キハの越後線内野行きが停まってる。
5・6番線。
エレベーター。けっこうこの駅も継ぎはぎというか改造が多いかもしれない。
跨線橋内にて駅前方。さっぱりとしてる。
東自由通路。
新幹線・在来東口改札方。
2・3番線ホーム
2・3番線ホーム村上方端にて村上方を望む。
村上行き。
倉庫状になってなかった。
1番線ホームを眺めて。
地下通路入口。
この不安定な感じは何だろう。
村上方。
関屋方。
内部が何ともメタリックに見える。
村上方に見た地下道入口階段。
西跨線橋階段前エリア。
同じようなホームが続いている。
西跨線橋への階段。
階段を越して。
特に何もない。
地下道へ。
地下道
鳥屋野潟の航空写真が壁画替わり。
駅裏方。
駅前方の地下改札。
右の階段を上がると1番線ホーム万代口へ。
たぶん全体的に何の飾りもなさ過ぎたゆえの施策なんだろう
膳所駅のような。
駅前方に見た地下通路。
4・5番線ホーム
右:以前は木目調の椅子だったが。
水飲み場はどこも封鎖。
6・7番線ホーム
通勤列車が排されたそのころ、端の方のホームにガラス張りの列車がゆっくり入線し、子連れの老人や単身の趣味者を惹きつけている。きらきら羽越というらしく、笹川流れなんかを眺めほうける列車だそうな。今日はすいているし天気もいいから、お出かけにはぴったりだ。車内では販売員が満を持して準備に当たっているのが濃いブルーの変形ガラス越しに影となって動いている。
6・7番線ホームにて。
きらきらうえつやSL磐越号の停車するホーム。
新幹線ホームに最も近く、それで乗りに来る人のことも考えてるのだろうか。
1番線ホーム以外では最もにぎやか。
そば屋があるのも改札内ではここと1番線ホームだけになってしまった。
改札外には2軒ある。
関屋方端エリアにて。
これが何かのホームに見えたりした。
構内は何やかやと色を付けたり広告が多いが、それがなかったらたぶん真っ白な殺風景な構内だったようだ。ちなみに謳い文句はSLばんえ号のためのもの。
東口改札内コンコース・改札内東西連絡通路
再び北跨線橋にて。駅前方。
かたや陸橋には人が多く行き交っている。窓から構内を眺めるのは、のんびりしすぎているくらいだ。これこそ新幹線のゆえなり。この裏日本に新幹線を引っ張って来るのに苦労したが以降めざましい発展を遂げた、と私が歪曲して覚えた内容が構外の石碑に残してある。いわれてみれば早くに新潟に新幹線というのも特別な感じだ。でもあの上越線の雪や、新潟の終着感を想うと当然と思えなくなかった。
そういえば来る途中、この高架に絡みついてきたのはトリッキーだった。直江津から来たのにここに入ったのは東からだったが、そこに新幹線はまだないはずだ。もしそうだったなら、それを根拠に東から入ったと自然に思えたかもしれない。ともかくそれは車両基地までもう少し長く伸びているためだった。
東口改札前コンコース。
東口改札。
ジューシーなクッキーがおいしい、ステラおばさんのクッキーの店。
けっこう駅内に店を出されている。
関西では新大阪にあった。この辺では長岡駅にもあるようだ。
右手東口改札。
これが新幹線改札への通路。
これ新幹線の高架柱そのもの。
ステラおばさん方。
けっこう無理している。
左乗換改札。
イベント列車の案内表示が大きくわかりやすく出ている、楽しい通路。
乗り換え客御用達の和食屋。
乗換改札前の駅弁屋。
上越新幹線乗換改札。
これより先は狭隘になる。これは西口改札、西口乗換改札に至る通路。
そんなには利用されない。
新潟の地平構内は新幹線の高桁と慣れ親しんで はや幾歳だ。しかし私はといえば階上の乗り場をすっぽり覆う横腹が聳え陰をつくっているのに気がつかず、なんか暗いな、何だろうと考えていたのだからとぼけてる。それほど地平の構内にはやはり伝統的な過去の自然的な風景がいまだに内在しているのだろう。自由通路の旧年の床模様や外壁の汚れはこなれた装いを呈するが、構造としては、あのときと引き換えにどこかに抱えた痛みがいまだに残ってる。それを補って余りある享利があるにしても一つのトラディションと別れるというその─。
新幹線のコンコースに渡って汽車線を見下ろすと、駅前のビルと新幹線のに挟まれてすっかり谷みたいになっていた。隣り合ったヤードと永訣し拡張性を捨てた点では、谷なのに高架に等しかった。在来線の分厚いはんぺんのような駅舎の裏壁が 暑い秋空のもとに輝き、街衝の全貌を隠しながら そこらじゅうに懸けた単眼の室外機を回している。それは街と旅と憧憬と労務と、その数珠つなぎだった。
駅前はどんななのかな。
トイレ前にて。
少しシュール。
裏から見た駅舎。
カパッとし跨線橋。型紙工作のよう。
鉄警前。
佐渡の金鉱石。新幹線開業を機にゴールデン佐渡から送られたものだとか。
すごい重そうだが石自体はそんなでもないのか。
西口改札内コンコース・西跨線橋
西口改札前改札内コンコースにて出て。
上越新幹線西口乗換改札。
在来西口改札。
西跨線橋。
駅裏方。
駅前方。この辺はひっそりしてることが多かった。
3・4番線を見下ろして。
この駅は旅慣れないうちに、フリー切符なのをいいことにへたにうろうろするとなかなか迷わせてくれる。というよりもかつての私がそうで、つまりは、陸橋が改札外2本、改札内2本、地下道もあってそれで5本、さらに東西を結ぶ狭い通路が改札内外にあり、夕闇を過ぎてから全部歩くとどこを通って何があったか、忘れてしまった。さらに悪いことに、東方向に進む列車が直江津行になるということで、昏迷は頂点に。地下道だけはわかるのでそこばかり行き来して、そのときは18きっぷだったので地下改札の年輩駅員に何度か有人改札を開けてもらうことになったな。うだるような夏の夜のことで、ただでさえ疲れていたのに延々と歩かされ、ほとんど考えることができなかった。あとで図を見ると格子状で整然とはしているだけに迷ったのが不思議だった。なお新幹線のコンコースのその東西を結ぶ通路は狭小で迷路感覚を味わえる。椅子もあり休憩できるので人ごみを避けたいときはどうぞ。ただしあたりは少し不便。別に住むわけでないけど。いずれにせよ 迷うわけもないと思って、歩かせ、何か探させ、つい回遊させるのが、いかにも迷える駅らしいところだった。それはここの鉄路の環構造もそうだが、あたかも新潟は、そこに入った以上その旅の者を巡らせ、たやすく立ち去らせぬようにしているかのようだ。
新幹線の改札から先は、明かりを落として纏めているかのようだ。スーツを翻して気さくに駅弁を買い、外に出ている駅員の声掛けの中、出張の人々が緑の改札機体を通っていく。その軽やかさは、堅い荷物や格好とは裏腹にさながら無料券での旅のようだ。そういえばなぜか新潟での出張の人群れは老年に近い人を多く見かけた印象が残っている。コンコースはシックだといえそうでありながら、安い水銀灯を吊るしていた。店はあまり置かれず、待合所は新しく直したのが別れて在り、思い思いにゆったり待てるという期待通りの光景が、いちおう展けてくれる。片隅の重厚な欠き割りのタイル貼りや、円形のモチーフは当時のアイディアかな。ところで、ここはブロンズ像や置き物がけっこうある。開業にかこつけてかなり金を掛けたとみえた。こういう官製的なものもたまには鑑賞してみようか? これらも高級な空間に寄与するものという思いを込めてずっしりと置かれたのだろうかと思いを馳せる。もともと、駅は文化に触れられるところだったから、特別らしさを味わえる旧来の手法でのようなこのブロンズ像の散在は、水銀投光のもと、人々の落ち着いた交錯を背後に聞きつつ、静かに納得する。
ここはそのままの意味で終着駅だから、人は降車と乗車に分かれ、賑わいは特殊な感触だった。東京からの日本海・港線ともいうべきだろうか。プラットホームは編成が休み、休業状態なのもある。でもこういう根本的な古くならなさや変わらなさというのが、これまでの送った時間の密度への懐疑やこれからの未来を描く難しさとなって多少重苦しくのしかかった。ブロンズ像はあんなに簡便に未来を象ったというのに。
万代口コンコース
希少にも日本海側の晴ればれとした新潟駅前にウォークインで人々を迎え入れる1階は、お持たせに一つ一つ包装されて平積みされた土産や、人に僥倖のように思わせる露店が列車を降りた人の足を引き、かたや多くの人が自働発券機に群れていた。しかし路線図や掲げられている発車案内はいずれも新潟内ばかりで妙に閉じた、ローカルな雰囲気が意外に濃い。新潟が広すぎるらしい。万代改札も気負うことはなく、人模様はすっきりしていた。
駅舎へ。万代口改札。改札はほかにもあり分散しているので、
それほど人は多くなかった。
改札前コンコース。
たいていあの出口からみんな外に出る。
東日本の駅コンビニNewdays.
和菓子を売る露店。
券売機コーナー。こういう規模の大きいのも珍しくなっていくだろう。
改築が決まっているがそれでもリフォームした友人改札。
冬季はかなり暖かいと思う。
白山・関屋・内野(各越後線)方面にみた万代口改札。
駅舎横丁。
変わって再び出札コーナー。
みどりの窓口。
村上寄り出入口。
民衆駅らしく地下街がありそれへの降り口。
今はCoCoLo万代B1として統率されている。
7:45-21:00(飲食店22:00)だそうだ。
洋菓子屋さん。お持たせに。
JRのやってる相談室。
村上方。
待合室。
定食屋。
駅そば屋。地下にもある。
右:有料でインターネットが使える。
2005年に来たときは使ってる仕事帰りの人もいたが
今はどうなんだろうな。
受付カウンター。
このように列車の発着がよく見える(一部)。
メディアステーションと銘打っただけはあるな。
村上方駅舎横丁。
コインロッカーは豊富。この外にもあるし、新幹線の方にもあり、
十分だろう。
JR東のやってる旅行代理店。
通例こういうところは飲食店や土産物屋が多いが
ここでは地下街などに移っているようだ。
左手は駅によく出ているヴィドフォーンス(パン屋。富山駅にもあった。)
新潟駅前街衝
駅前はいつものように都邑に来た爽快さを緑樹や高々と白い吹き付けビルや、湾曲したタクシー乗り場が与えてくれる。こういう都市の顔という場やその確かな感触は、街のまとまりを見失いそうな昨今はかけがえのないものに思える。それはたとえ陳腐であってもよく、あくまで都市という一つの創造に於いてのテルミネであり終着であり、また全貌に対するサムネイルないしビジュアル的レジュメだった。そしてそれは彫刻や雑踏や緑樹、文物、裏通りで想像させ、渙発せる勢いづいた序曲にも等しい。新潟駅前にもまたそれはあった。北国の夏はいいなあと思いながら、まばゆい光を手をかざして眩しがる。いいときにやって来た旅の者だった。でも北陸の夏って暑い。今日もみんな半袖を着てる。
バス発着場がケーブルコネクターの撚り線を収斂するようなもので、私の目を横に引く。バスはいちいちバックで屋根付き待合所に入った。関屋浜など海辺に出るときはここを使うのかな。でも歩いて万代橋を渡るというのもありえそうだ。ちなみに今、この辺でリクルートスタイルの女人に思いっきり人違いをされて恥ずかしかった。こんな暑いときにこんな私みたいな人と出会う用事があるんだろうか、その人の会わんとしている人は、あたかも平行世界の私を盗んだ者かのようではないか。
埠頭部分にて。
向うは業務的なスペースになっていた。
駅舎軒下新発田・村上方。
床模様も古くなってしまったが今も欠けずにきれいに残ってきている。
万代口バスターミナル。
わざわざ作ってくれたとは。
駅前には意識して花が添えられていた。
東横インが聳え立つ。
路線が複雑なため案内窓口があります。
バスターミナルを越後線方に。
あの大階段は気になって仕方ないだろう。
佐渡のことを忘れそう。
マルタケビル。
新潟駅駅舎その1.
その2.
バス発着場。
駅前通りを海方に。
拉致情報提供の看板。
来々軒ビル。
ちょっと目立たないセブンイレブン。
セブンの入っている弁天プラザ1階の様子。
関屋方。
スモーカーズエリア。
西自由通路に上がるエレベーター。
左:こういうのがあるのは大きな駅だなと思わせる。
右:レールゴーサービスの運賃表。960円から。
こんなところにひそかにクリニックが。
西自由通路の下にて。
JRの業務用建物。
替わって駅舎軒下にて。
新潟駅駅舎その3.
4.
5.
埠頭歩道。
東横の根元はコープシティ花園"ギャレッソ"という飲食店街。
新潟駅は、ネオンサインと柳の木がきれいだった。大通りの街衢は果てしなかった。裏通りのこまごまとしたひと気のない飲み屋では仕込みの時間で保冷車が横付けになった。駅舎は壁でありながら壁でなく、街の終わりであって、港的な終わり方の対極として、積極的な行き止まりだった。その壁に街の名を冠したネオン管を掲げているのはもはや何ともいいようがなかった。そしてそのビルは運行の実体の象徴ではなく幸運にも実体そのものであり、ところどころで窓を開け、目を凝らすと分厚く纂集されたバインダーファイルが並んでいる。ガラス越しでは蛍光灯管だけが点り人の動きはまったくないように思えたが、ときおり首から上のない、ワイシャツの肘だけが窓辺にすっと現れる。タクシーと自家用車のクラクションの小競り合いの起きているビルのふもとに奥まって、旅客鉄道株式会社の銘板と重たいガラス戸が冷たく控える。抽象的なトポロジーと、電算的な不存在に赤茶けた路床とクーラーの下のワイシャツで実体を与え、無理数を扱い切らずとも最後は原子と原子の圧着で鉄路の設置は鋼鉄な金属音とともに完了する。
新潟は蒸し暑かった。それでも柳の葉は萎れていなかった。部分域にときおり薄雲がかかり、空を熱く白く焼いた。明朝、北条の公衆電話で天気を聞いたのはそういえば台風が来ていたからだった。しかし新潟までは大丈夫な見立てだ。もう台風は日本海に抜け切らず、中部地方でカーブする季節なのだった。
5.
何度かローソンに見えて仕方なかった。ドラッグストア。
駅前通り。
6.
7.
時代はインターネット。
バスターミナル以外にも降車用スペースが駅至近に設けられているためロータリー入口が広い。
駅前東端の歩道にて海方。
この辺は消費者金融や歓楽街のエリアになる。
駅へ。
高さという視点で時代を見たくなる。
自動車で活況を呈する新潟駅前。
新発田方。どこを歩いても駅周辺は賑やかな感じだ。
8.
海方。
9.
新潟駅はそう、路地裏や街路にどうも長旅の感があり、県内から来た人も含め、旅の人が周辺のどこかで待っている感じの雰囲気をそこかしこに放っていたが、やはり少し大きすぎるところもあった。横から眺めるとなんか妙に大きいのだ。わいわいしていて、駅に逗留していても引き離されそうな感じだ。それで裏に回ると今度は何もなかった、けれどもこの雄渾な駐車場がさっきの賑わいと対照的で、突然の出現、遭遇が旅らしい感じだった。何もないところからと意気込んではいても、いざそうなると寂しくて、駅前のネオンの輝きに集まり懶惰に巣食ってしまう。いや、駅以外はたいてい”何もない”ところだ。そうして駅にばかり巣食って巡っているのが自分だとわかるこんなアスファルトの大地は、あらためて旅のすがすがしさがあった。何、こんなものにまで一説ぶつなんて、なんて無駄なことなんだろう? 地下改札がこっちにも口を開けていた時分そこから出て、こんなところに突然放り出されたときのずっこけた気分とその旅の純粋な気持ちが甘酸っぱい。わが国の山はどこも人手が入り、沢は登られ、巡視路が駆け巡り、覇されぬ独峰はなく、それと同様にこんな車置き場にまで解釈や思い出がつけ加されるのは、どうだろう? 寂しさと何もなさの解体。そんなふうなっているときもあるだろうか。
東自由通路入口前。
屋外のコインロッカー。コーヒーの宣伝に覆われている。
新発田方に歩いて。
左:東自由通路をさらに延長する渡り廊下。雪道に降ろさない意地?
右:東自由通路昇り口。
新潟駅は構内もそうだが結構こういう飾りのない設計になっている。
東自由通路(東側連絡通路)
東自由通路内にて。かなり昔の役所にありそうな抽象的なタイルパターンが。
コープシティ花園ギャレッソに直結する渡り廊下。
東横にも入れる。
こちら東自由通路内1階にあるCoCoLo万代の入口。
CoCoLo万代は駅舎軒下やコンコースから入れるが、
この入口は少し密かな感じだった。
右:駅舎軒下の出入口。
東自由通路内にて。
新発田方。
左:CoCoLo南館、新幹線、駅裏方。
右:駅前方。
CoCoLo本館、南館、東の交差点コンコース。
CoCoLo東はストリート的な造り。東口改札、東口新幹線改札はこちら。
最近開店したCoCoLo南館。
交差点にて駅前方。
本館はデパートだった。
CoCoLo東。鉄道利用者がよく通る。
CoCoLo東から見た交差点。本館。
飲食が何かと楽しめるようになっています。
改札方。
本館方。
大々的に広告が出ていたドラッグストアのマツモトキヨシ。
ストリートの様子。
本館方。
改札へ。
東口改札外コンコース
替わって在来線東口改札前にて本館方。
東跨線橋が目の前になる東口改札。
東口改札外コンコース。奥新幹線。
左手の小路には隠れ家的なコーヒー屋とまたしてもコインロッカー。
駅南方。
東口改札を遠巻きに。
忠犬タマ公像。待ち合わせスポット。
赤く目立つインフォメーションセンター。
左手通路を抜けると西口改札や西自由通路に行きつける。
改札外東西連絡通路
東口方。
東西連絡通路の様子。
西口改札前コンコースに出て。
駅そば屋新潟庵がここにも。
ヨドバシカメラへは西口、ビックカメラへは東口ということになりそうだ。
さらに壁際の通路は続いて、なんと西自由通路まで続いている。
右手ヨドバシ。
こんなところにもコインロッカーが。
おそらく西口利用者のもの。
この辺で迷路具合も深まってくる。
以前迷ったのも当然か。
この先再び西口コンコース。
駅裏の風景がよく見える。
再度さきほどの東口コンコースから新幹線側にて、本館方。
新幹線だけと思いきや在来線の券売機も兼ねている。
東口の出札コーナーなのだろう。
新幹線東口改札方。
右:在来改札内東口乗換改札付近にあった和食屋の表玄関はこちらのようだ。
改札内外を跨いでいた。
上越新幹線東口改札。
新幹線コンコース
新幹線構内にて。新幹線東口改札。
左手が東口乗換改札。
なぜか長岡駅駐車場の打刻スタンプがあった。
長岡700始発新潟行き(724着)を利用した人のキャンペーン用だと。
改札から燕三条方に見たコンコース。
露店やコンビニの土産物の平積みが賑やか。
この辺は客単価も違いそう。
待合所。
12・11番線ホームへの昇り口。
至東口改札。
至西口改札、燕三条方。
待合所。柔らかいシートの椅子が置いてある。
西口改札。
右:先ほど改札内の細い東西連絡通路で見かけた鉄警。
至東口改札。
古風な編成案内がある。
青い待合室内にて。
新発田・東口改札方。
13・14番線ホーム
13・14番線ホームへ。
駅構内にそば屋は何軒あるのだろうか。
燕三条・長岡・東京方。
東新潟・新発田・車両基地方。
とき東京行が右手14番線に停車中。
将来は伸びるのだろう。
シェルターみたいな運転事務室。
東京方。
基地方。新幹線客には喫煙スペースが用意されている。
NREの弁当屋。
基地寄りのKiosk.
東京方に見た基地寄りのKiosk.
車両基地方。
どこにでも うまさぎっしりデスティネーションキャンペーンの宣伝があった。
燕三条方に見た待合室。
ただのガレージのよう。
Maxとき。
俯瞰してから街に降りるのは気持ち楽かもしれない。
替わってホーム中ほどにて、長岡方。
新発田方面に見た新幹線構内。
東京方面。
長岡寄りのKiosk.
ホームが長いので駅弁屋もKioskも二つずつある。
長岡方面を望む。
11・12番線ホーム
11・12番線ホーム。
駅前の駅舎と駅前のビル群。
長岡方。
東新潟方。
再度階段降り口にて長岡方。
左:東新潟方。
右:長岡方。
運転事務室。
なんだこのポケモンは…。
長岡方。
車両基地方。
東自由通路・南館
CoCoLo東、本館、南館、東自由通路の交差点にて。
駅前方。
南館内。モスバーガーが見える。西側にはマクドナルドがある。
だいたいのテナントの傾向として参考に。
南館内駅前方。
駅裏方。
家電屋メインテナント。南館の外観の店名表示がそれを物語っている。
飲食店など。東京を含めきらびやかにするのが2010年代からの全体としての傾向。
南館の終わり。
南口・駅南・駅裏
こちらに出てきます。
東自由通路の下にはひっそりとCoCoLoの入口が。
そしてそこはビックカメラの1階だった…。誰も人いないけど。
車両基地方の道の風景。
東自由通路南側終結部の建物。
右:南側にもバス乗り場があり、跨道橋で結ばれていた。
新潟駅新幹線駅舎その1.
駅裏はPLAKA(プラーカ)という建物群が占拠している。
市がやってたビルで、テナントもお堅い感じ。
しかしいったん破綻して潰れたらしい。
それでもオフィス、ホテル、式場、本屋などが入り、
公的な機能を提供する役目を今も担っているようだ。
70年代の建築。
時期折しもの国体はキャッチフレーズにときめきと鳥のトキを掛けていて、なんか恥ずかしい。まだ準備だから、来るのは手伝いの人や関係者で、駅裏でぽつんとサインボードを掲げたり、花壇の土を掘り起こして花植えをしている人がいる。いずれも若い男の人で、ボランティアだということに、どぎまぎした。そういえば新潟では愛郷精神の垣間見えたことがあった。古い自由通路で新潟の浜辺の歌がなだらかに掛かりながら、優しくそう促されるままに浜を控えているはずの市街方に自転車を押している人の背を見るに、こちらも街で母性に包まれたような面映ゆさ、くすぐったさがあったし、また街がきれいだとそんなふうに、もしくは似た風貌や目つき、旅の者を見る視線から、そんな仮説を醸造してしまうようだった。トキめきもまんざらではなさそうで。すぐ近くに駅と直結のつやつやした電器店がひらかれ、こんな近くにはたいていないものだけに、道中助けなりそうだと、またもや日常の外貌を旅の場に捉えなおした。新装開店 間もないここでは、電気に詳しそうな黒縁眼鏡の人が通路にて威勢よく売り声をかけている。それ一つ一つが、生活感や駅それだけでなく、旅と結びついているようだった。
そんな感じで新潟駅は控える街だけでなく地下街やあっちこちのエリアに分かれた通路沿いのデパートや本館に商機が活き、人も歩きにくいこともあるほどだった。疲れる都会ではなく、わりと身近な店や薄くなりながらも郷土色が拡がり 視覚での触りや居心地はいいいほうだった。こんな充実もやはり私の恐れている雪のせいかしら。
その2.
3.
4.
5.
山方。
歩道が異様に広くなっているが何か予定がありそうだ。
6. 国体に際して何やらイベント会場が設営されるようです。
駅舎前埠頭的歩道にて山方。
2階にて。駅南の風景。
替わって西寄りにて。
8.
新幹線を引っ張って来るまでになるまでに苦労したという話。
西自由通路への道。
プラーカ3前にて。
左:西自由通路。
右:まだまだ何かできるようだ。
西自由通路入口。
西自由通路(西側連絡通路)
西自由通路内にて。
9.
こちらがパークアンドライド用の駐車場。
新幹線利用者は1日1000円。
右:途中で駐輪場のところに降りられるようになっている。
銀輪て感じ。
このように新幹線駅舎の地階にも飲食店などが入り、
もはや駅がらみの建物内の店舗数は数える気が起きない。
ファーストフードやコーヒー屋の有名どころは全部入ってそうだし、
これからも入ってきそうなくらいだ。
西自由通路の駅舎内部分にて。右折するとトイレやキャッシュ―コーナーのあった
駅裏側壁伝いの細通路に入り、西口改札、東口改札に行きつける段取り。
3次元碁盤目状に通路を走らせている駅となっていた。
駅南方。ヨドバシカメラも3つくらいに分かれている。
こちらパソコン専門館。
万代方。
駅前から入るヨドバシエリア。
こんなところにも鉄警が。
7番線と側線を見下ろして。
駅前方。
西跨線橋。
白山、関屋、内野方面を望む。
立体駐車場のスロープに見えた。
飲み屋街オセオビルにつながっている。
こちらは東急イン。東横インは真反対の東側に。
インって詩ではあるがホテルにはほんらいそんなふさわしい附称ではないと思うので、
そろそろ命名の趣向を変えた方がよさそう。
そして万代口バスターミナル。
夏も終わりかけの新潟を彩った太陽もしだいにくすみはじめ、やって来る人々は顔を焼かれ、疲れて肩を落とす人が多くなった。券売機で買うのもいかにも面倒そうだ。気温の落差に疲れを催す、冷房の入ったみどりの窓口では乳児連れの母が急行きたぐにの切符を求める。その人は、添い寝で、と申し入れて、1人分ですんだ。そういえばこういうのはバスでは抵抗がありそうだ。けんかになって急遽帰郷なんて想像したが、しかし車がなくても、夜行列車があればこんな行動が急にとれるのだなとしみじみした。
台風が近づいているが晴れているため、この日の新潟はまだ夏が元気という感じの蒸し暑さ。私もあまりにくたびれたので庶民の衣料品がもるもる溢れた地下街の隅っこの椅子のあるとこでクーリッシュっていうアイスを買い休憩した。なんかこうチュウチュウ吸いつきたかった。小さいノズルにちょっと舌先を引っ張らせるのが醍醐味だ。ビンとか口が広い場合、こういうことすると思わぬ怪我をするので ここでもほどほどに。甘いつめたい天国のようなお菓子が、口の中いっぱいに広がる。お菓子はたしかに子供の幸せだったな。そして休憩してるすぐ横にあるのは、4年前この駅でムーンライトえちごを夕方から待っていたときに食べた駅そば屋だ。そんなわけで融かし融かし店を視ながら、捕まえたと思った。想像の世界を捨てたんだ。
背後で籐の目隠しを立て易者がひとりの婦人を占っていた。ふいに易者は私が立ち聞きしてると思い首を伸ばしはじめ私はふらりと離れた。確かに知らないうちに見ていたのかもしれない。
あのご婦人は駅なんか視ていないが、それをうまく深く思い出すだろう(─その人の内に)。けれどもこうして振り返ってみると、庶民の意匠の巣窟みたいなその、わさび入り冷やし天ぷらうどん、硬く新しい本屋、鼻孔の詰まるような服屋、そして易者……そのときの情景をよく思い出すことができている。それは休憩という、場と無意識に、質実的に結びついて表される私の実体だけでなく、場を意識して視る途上とのせめぎあいでもたらされたものだった。
地下街
駅舎軒下、東よりから地下街へ。
地下街に下りて。今はCoCoLo万代B1というのだろうけど。
左:こちらは一般のうどん屋さんで
右:こちらは駅そば系の店
来た方。東新潟方。
このような通路を進んでいくと
左:越後線方
右:白新線方
地下改札。西端のマツモトキヨシが見えた。
新発田方に見た地下街の風景。
1階万代口コンコース。
地下街から地上に出たら夕方で蒸し暑っつくてかなわない。夏の旅行はこれだから…。空はほの白く、そしてお神酒を頂いた人のようにほんのり鴇色に染まり、べとついた腕を半袖から突き出した人々が慌ただしく行き交ってる。こんなふうに街は街でしかなく、その時点でとりわけ意味を持たない単なる場だけでしかないのなら、ひきずるものもなくいいこともあろうにな。
もうほかに休憩所はそこしかない旅行者の巣窟になりそうなbananaステーションにいく。空調の効いているのをいいことにまた今回も気づかないうちに長く憩ってしまいそうだ。時間が余るのでないと近場の人は使わなさそうで、荷物の大きな人に居心地のよさを感じさせそうだが、居室内の静かなのが手伝って、図らずも濃く暗げな新潟人を弁別するところでもある。ぜんたいに静かで、ここでなんか買って食べるとき気にするぐらいだ。それはそれで問題だが。スピーカーから列車案内が放声され、音の小さいスクリーンにみんなが夢中になっているさなか、目立つのを感じつつも自分の列車の近いのを悟った人はおもむろに立ち上がり、袋や靴の音をたてて 蒸し暑さと雑踏の廊下へと、自働ガラス戸に差し招かれた。待合室はその…無駄な時間が旅らしい旅となる場であり、それでも内省と背後の自意識から解放されたいなら、足蹴に、そして踏みにじらねばならないところでもある。そんな私は、暇があっても傍観と他に対する感覚だけになるスイッチを消すことがあまりできない。湧き起こる見知らぬ土地への とどめえない想像や旅情からは一旦、別れたかったのだった。けれどその冷たい旅でここでこうして居つづけて列車を遅らしても、それぞれどこかでは立場を持ち、予定を携えて立ち上がる人が、本物の旅をしているように思えるばかりだ。そのようなものを包み隠してくれるために、宿というものがあるのだろうか。「とはいえ、さすがに次のには乗らないと行き着けないよな。だって二本木だ、直江津を越して…。」 冷やされた腕を鞄に突っ込み思わず時間を調べる。「だいぶかかるだろうけど何か買っとこうか?」 でも待合室を出るとき、つまらなかった。旅を失った旅で自分を顧みて、たとえよく思い出せないことでも、そこを慮いで以て旅しはじめていたのではないか、家ある人と同じ動きをして、そう思えはじめた。
とりあえず狭い売店の棚を漁ろうと思ったが、今日は疲れたしもう早くに引けることにし、どこの食事処に入るか選定。相変わらずコンコースの立食そば屋は盛況なので、しんとして暖簾を掛けたちゃぶぜんというところに入ることにした。通路は騒がしいのに、一足踏み入れると和の造りで静かだ。外からは窺えなかったが、やはり早くも中年以降の会社帰りの人が押し黙るか気難しい顔をして3,4人座っており、その中の数人がちらっとこちらを見る。私はすっかり浮いていた。遅くなると酒も出てかなり賑わいそうだった。
今は冷房がびんと効き静かだ。女子大生らしきがホールをやり、厨房では口数の少ない渋い職人が一人のようだった。絶えず揚げ油のたぎる音がしている。千円札が足りません、ご協力くださいとレジにあった。その子がしたためたんだろうか。あとからまた摩擦で薄くなった背広の人が入ってきて、大きな声で最も手頃なアジフライ定食の注文を通す。板についていた。
今回はへんに緊張して、最後に椀物を空けたら早くに出てしまった。紙幣を渡したとき決まった言葉でも隠されたコミュニケーションがそこにはあった。そして食事を提供してお金をもらうというのがここの仕事だというのが、妙に心をしんみりさせるものがあり、そんなことすら自分は理解していないのかと思って、幼児に還ったようだった。
食事処に入って旅らしくなったはずなのに、通った自動改札の音が、もう迷いうる旅人の内の一人という感じがしてこない。ただそのように振る舞うことで、自分は純なものだと思わせようとしていた。けれどもそういう戸惑い自体が純なもので、そしてそれは、この旅情の新潟ではその全体に絡め取られたという、純なものだった。
「これから3時間位かかるかな」 ホームは夕刻の空のくぐもって溢れた光のクリームが垂れ込め、長い間止まったままの列車は、すべて扉を開け、帰宅客をずらりとシートに座らせているのを見せつけている。薄墨で地名を出した方向幕の睨み下ろすは誇らしげで、使命さえ帯びている。「いったい今日一日何があったっていうんだ。」 ところがそんな独白で、何もかもが自然なことに思われはじめ、そして自分がこの場に溶かし出されていくのを感じられた。
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