立山黒部アルペンきっぷを使って

はじめに

きっぷについて

このきっぷの目的

このきっぷは、立山黒部アルペンルートを最大8日間かけて楽しめるきっぷであり、 発駅からアルペンルートの始点まで、またアルペンルートの終点から発駅まで、 新幹線指定席、特急指定席、急行指定席に乗車もできるきっぷだ。

マルス券 立山黒部アルペンきっぷ(ゆき)

マルス券 立山黒部アルペンきっぷ(かえり)

ちょっとここで立山黒部アルペンルートを紹介したい。

富山地方鉄道地鉄富山駅1時間
立山駅
立山ケーブルカー立山駅7分
美女平駅
立山高原バス美女平駅50分
室堂駅
立山トンネルトロリーバス室堂駅10分
大観峰駅
立山ロープウェイ大観峰駅7分
黒部平駅
黒部ケーブルカー黒部平駅5分
黒部湖駅
関電トロリーバス黒部ダム駅16分
扇沢駅
乗合バス扇沢40分
信濃大町駅前バス停

これだけのいろいろな種類の乗り物を一枚のきっぷで乗り通せるというのも珍しい。 上記の乗り物だけではなく、JR線にも乗ることができるのだ。 なお、ケーブルカーの立山駅から信濃大町駅前まで乗り通せる1枚のきっぷも発売されている。

このきっぷについてさらに詳しく

出発地域や出発駅は定められていて、 それごとにアルペンルート始点に至るまでのルートがいくつかあり、 選択したルートによってきっぷの値段が変わるなどややこしいが、 JRの公式サイトで調べられるようになっている。

今回の私の旅行の概要と予定

今回の旅行は鉄道の旅と立山の自然を再び味わうことにあり、 11月1日から2泊3日で2人で行った。 私も今回はほとんど運良く機会を捉えた感じで、 この2人で行くことが決まったのは1か月ちょっと前だった。 そのときから少しずつ準備をしはじめて、 出発日が近づくにつれて計画の綿密さや準備の忙しさが増していったという感じだった。 立山行きが決まったと同時に「立山黒部アルペンきっぷ」を用いることに決まった。 このきっぷを用いると、鉄道の旅と立山を楽めるように計画を立てることができる。 きっぷの詳細はだいたい上で述べたとおりで、8日間有効だから、 幕営をする本格的な登山者にとっても便利なきっぷかもしれない。

今回の旅行の予定を簡単に。

1日目富山駅まで特急で行って、アルペンルート途中の弥陀ヶ原散策ののち、天狗平で宿泊
2日目室堂散策、室堂で宿泊
3日目黒部ダムを見て、信濃大町駅へ、そして中央本線経由で帰宅

私が今回使ったきっぷは京都市内発のもので、 アルペンルートの終点を信濃大町駅前バス停にすると、 帰りは大糸線経由で北陸本線に出て帰るか、 中央本線で松本、名古屋と進み、新幹線で京都へ帰ることもできた。 今回は、後者を選択した。

雷殿駅について-12年前の思い出-

今回の旅行は11月初旬だが、私が初めて立山に行ったのは12年前の7月下旬で、 そのときの室堂でのトレッキングの内容を、乗り物の移動も含めて書くと、

室堂-一ノ越-東一ノ越-雷殿-(立山トロリーバス)-大観峰-(立山トロリーバス)-室堂

だった。この雷殿歩道は現在落石により道がつぶれ、通行不可能であり、立山トロリーバス も全便雷殿駅を通過することになっている。実は私たちが12年前に雷殿歩道を通ったときも、ちょうどタンボ平へ下る道が分岐している手前を歩いていたとき、その十数メートル先で巨石の落石があった。そのときは、その驚異的な力に驚かされたが、その後、落石が起こりそうになかったことから、右手が険しい断崖になっている道を慎重に進み、雪渓を越えてさらに進んだ。途中メンバーの一人が断崖を滑落しかけて道にしがみついたり、左横の高い崖の低い位置から、つけもの石程度の石が落ちてきたりでたいへん印象的だった。途中右手遥か下方には黒部湖が感じ取れた。やがて不気味で古いコンクリートの巨大なトンネルの入口が立ち現れた。はじめこれは関係なく巻くのかと思ったが、ほかに道がない。覗いてみると中は真夏の昼でも涼しくて暗くて、こんなところを進むのかと恐れたが、ここしか道がないので、暗闇の中へと入っていった。途中こうもりにびっくりさせられた。こわごわ進み続けると、駅務室らしい小さな小屋の明かりが見えた。そこではなんとストーブが焚かれていた。そこで立山トロリーバスのきっぷを買い、大観峰駅へ向かったのだ。この駅には駅名標などはなかったように思う。ところて、そのとき買ったきっぷが残っていた。

上半分は立山ロープウェイの写真になっている縦長のきっぷ。乗車月日のはんこが押されている。雷殿から大観峰行き。 上と同じタイプのきっぷで、こちらは大観峰から室堂行きのきっぷ。 1枚目のきっぷ:雷殿から大観峰行きのきっぷ。
2枚目のきっぷ:大観峰から室堂行きのきっぷ。

以上が雷殿駅、雷殿歩道の思い出だ。この道のおかげで気軽に少し本格的な散策を 楽しめただけに、現在の通行不能は残念でならない。かといって、室堂から東一ノ越、 タンボ平を下って黒部平へ行くには約4時間20分もかかるというし、ためらってしまう。 しかし一度はタンボ平を歩いてみたいと思っている。

今回の室堂での散策の実際

今回の旅行でも3日間のうち2日間にわたって天気に恵まれ、存分に散策を楽しめた。 ただしこの2005年の立山はだいたい1か月雪が遅れており、11月2日であるにもかかわらず、 雪は例年に比べ異常に少ないらしかった。なお、私は登山をしないので、 今回も散策、トレッキングに終始した。今回は弥陀ヶ原、天狗平、室堂と、場所を変えて散策した。室堂での散策の内容は、

室堂駅、みくりが池、地獄谷展望台、雷鳥平、の順に進み、 一ノ越への道中、室堂山荘を見下ろしたところで、来た道をそのまま引き返し、 室堂駅へ戻る

という妙な行程になってしまった。のちに詳しく書きたいと思う。

旅行記

出発の数日前から

計画-指定券を取るためにも-

時刻表を見ながら乗り継ぐ列車を決め、立山黒部アルペンきっぷを近くの緑の窓口へ 買いに行った。

特急「ゆふいんの森」が表紙になった小型の時刻表

その窓口の人にとってそのきっぷは初めてらしく、 「初めて・・・(さあどんなきっぷかしら)」とささやきながら大きなバインダーを開き始めた。 だいたいは旅行代理店などで買うのだろうか。こうして「このきっぷは珍しい部類だ」 と私は分類してしまい、富山駅でこの考えの元にすこし行き違いが生じることになってしまう。

1日目に富山へ向かうため、大阪発富山行きのサンダーバード1号の指定券を取った。 約2週間前だったが簡単に取れてよかった。

京都から富山までの指定券 京都から富山までの指定券。指定券は無料なので金額の部分はアスタリスクで表されている。

2日目は室堂にいるから列車には乗らないしあとは3日目の分だけだ。 しかしここで欲しい指定が取れなかった。

信濃大町から乗る特急でちょどいいのは、白馬発新宿行きのスーパーあずさ28号だけで、 これは取れた。

信濃大町から松本までの指定券 信濃大町から松本までの「スーパーあずさ」の指定券

しかしスーパーあずさが松本で接続するワイドビューしなの20号は、 喫煙席1席しか空いておらず、2人で行く予定だったので、 これはあきらめざるを得なかった。やはり信州の帰りにはちょうど よい列車なのだろう。しかしほかに候補がなく、ほかのしなのに乗るとしたら、 帰りの室堂から黒部ダムまでの予定を組みなおさないと いけなさそうだったので、しなの20号の自由席に乗るものと一旦決めて、 それに接続する新幹線の指定を取った。 この日はサンダーバードとあずさ、新幹線の指定を2つずつ 取って帰った。
後日、しなの20号の次のしなの22号に乗ることに決めて、 再びみどりの窓口へ行って、22号の指定と名古屋で接続するのぞみの指定を取り直した。 こうして松本で2時間弱のブランクができてしまったが、 松本観光は以前に済ませていたので、食事などを取って 時間を埋めようと思った。

1日目

富山へ

今年の夏も富山駅へ降り立った。そして、わずか2か月後に再び旅行で降り立とうとは思いにもよらなかった。今回の旅行は、前回のような青春18きっぷを使う、ときには哲人の考え方の必要になるかもしれない旅とは違い、いいところに泊まって食べて、散策して、土産買って帰る、という旅行だ。こういうのもまたいい。そもそも立山は、アルペンルートを通過するだけなら一人旅にはあまり向いていないのかもしれない。一般的な観光旅行ができるようにきちんと整備してあるから、まっとうにそれを楽しむのもまたよさそうだ。

京都駅へ向かう普通列車を一本逃してしまい、京都駅で朝食を買う時間が 短くなってしまった。京都駅まで来るために乗ったきた新快速は 相変わらずの混みようで、私も周りの人と同じように黙りこくって下を向いて 京都駅への到着を待った。着いたら人ごみを掻き分けようやく0番ホームへ。 旅の第一歩である。0番ホームは出張らしき人や旅人などが特急を待ちわびていた。 むろん私もその一人、車内でとることになる朝食のサンドイッチを確保して列に並んだ。

列車に乗り込んで座席を探しだし、左側の窓側に座る。 ドアのあるデッキが端にある特急仕様のため、ホームの発車案内が聞こえず、 知らぬうちに出発した感覚に捉われる。 自分の座った窓側の座席は、窓枠が前の座席と近いため、 後ろの席よりも車窓を損した感じだ。 べつにこれでも十分なので特に文句があるわけではない。 でもこれからは奇数番号の座席を頼むということもしてみたくなった。

特急サンダーバードの次の停車駅は武生で、堅田も敦賀も停車しない。 琵琶湖と反対側の車窓を飽きることなく眺め続けた。 比良山系の一部が迫ってくる滋賀の辺りを通過し、 セイタカアワダチソウにより荒れるままになっている湖西の棚田を見たあと、 高島市に入った。

高島あたりの車窓

近江塩津駅も見たし、長い北陸トンネルに入ったので朝食をとることにした。

サンドイッチと茶

敦賀を出たら、山々に囲まれながら、北陸街道と並走した。 武生駅に停車ののち、福井駅に到着。ここで大部分の人が入れ替わった。

福井のビル群

福井駅を出た後、車窓を眺めていると、 ヨットハーバーのある大きな川に出会った。

車窓から見た手取川

近くの看板によるとこれは手取川で、あとで調べてみると、ここは美川の近く、 海にかなり近いところだった。

福井から41分後、金沢に着き、5分間の停車で向かいの「はくたか9号」と接続。 ほとんどの人はここで降りていき、我が車両は随分すいた。高岡に到着ののちは、 終点富山へ。高岡から富山の間はかなり速度を上げていた。

富山に到着。

富山駅前バスターミナル

富山駅に自動改札はない。その改札口で、2枚あるうちの1枚「ゆき」の立山黒部アルペンルートのきっぷを見せると、回収されてしまいとても慌てた。というのは、私たちはこの「ゆき」のきっぷで、室堂か扇沢まで行くのであって、もう1枚の「かえり」のきっぷは、立山から帰るときに使うもの、と根底から思い込んでいたのだ。その駅員のとなりの改札口には次々と人が流れ、私たちの切符を回収した駅員も機械的に次々と切符を回収している。 このきっぷ回収してしまうんですか、と慌てて訊くと、これは富山までのきっぷですので、と言われ、それでも分けがわからない様子をしていると、何度も同じ言葉を繰り返されてしまった。このとき既に乗り流してはならない地鉄の急行の接続時間が10分であることを忘れている。回収されてしまった不安感いっぱいの心境の中、じゃあどのきっぷを使って地鉄にのればいいんでしょうか…、との質問を、必死になってすると、もう一枚の「かえり」のきっぷを使うのだという。「かえり」のきっぷを見てみると、確かに
「アルペンルート区間内、富山→信濃大町||京都市内」
と書いてある。その駅員さんもまだ急がしそうだったので、あっけにとられた私はそのまま地鉄乗り場へ行ったのだった。きっぷをちゃんと見ていなかった自分が悪い。足手まといになって申し訳なかったと思う。しかし、さあ富山に着いた、さあこれから、というときに「かえり」のきっぷを使い始めるとは思いにもよらなかった。あと、このきっぷを買ったときに、あまり広くは知られていないきっぷ、と認識してしまったため、この駅員もきっと知らないのでは、と思ってしまったことにも原因があったかもしれない。しかし、ここは富山駅。この人だって一体どれだけの黒部立山アルペンルートきっぷを集札したことだろう。このきっぷを知らないわけはないのだ。この代償として「ゆき」のきっぷを記念にもらうのを忘れてしまった。

ようやく改札を出て、のんびり地鉄乗り場へ向かっていると、 急行があと2,3分足らずで出ようとしていて、 "かえり"のきっぷで急いで改札をくぐった。

急行立山

改札近くの売店でお菓子でも買おうかと思っていたのだが…。

立山駅へ

電鉄富山駅を車窓から 車窓より。あわただしい中なんとか席に着き落ち着いた。

いよいよ立山へ向かう。この電鉄富山駅から立山駅まではもっとも列車旅の興奮を感じた。 雲のない素晴らしい秋晴れで、暖かい陽光に包まれながら、地鉄は富山平野の端まで走り、しだいに山を登り立山の麓へと向かっていくのだ。この路線はいつ来ても夢中になりそうだった。
2両編成ながら車内はかなりすいていて、シーズン時の混雑は想像ができない。 私たちの座ったのは2両目の半ばで、自分たちの後ろにはもう誰もいなかった。

急行立山の車内

車窓は山岳を配しながら輝く平野を横たえ、 またそこに木造駅舎が次々と現れるという、 きわめて伸びやかなで和やかなものだった。

寺田駅の古い駅舎 寺田駅へ到着。木造の立派な駅舎。

車窓から立山を 車窓から立山連峰を望む。さわやかな湧き水を連想させる。

岩峅寺駅駅名標 岩峅寺駅を車窓から。

横江駅駅名標 車窓から横江駅を。徐々に山を登ってていて、周りは森に囲まれている。

ここで座席を離れて、最後尾へ移動してみた。 いくつかの大きな窓から広角な車窓を味わえた。 また列車もじっくり観察することができた。

車両内の様子 車両内の様子。補助席のある元京阪の列車だ。

列車最後尾のようす 平成3年にワンマン用に改造されたことを示すプレートがあった。 成田山のお守りも健在だった。

すでに周りの風景は街中とは異なり、 森のすぐそばを走り、見下ろす渓谷も青い。 そのような立山に近づいてきたのだと感じさせるいくつかの風景 に出会うと興奮を抑えられなかった。 12年前の私の目に焼き付いたとぎれとぎれのいくつかの風景が 間違いないか確認したいという気持ちがさらに沸き起こり、 そしてそれらを再び味わえつつある喜びがあった。

運転席を窓越しに 運転席を窓越しに。登山列車みたいだ。

青い水が流れる峡谷  

ある光景に心を揺り動かされたとき、そのときの映像の記憶は、 心を動かされた瞬間の映像だけでなく、その直前直後の映像とともに記憶されることが あるかもしれない。たとえば、次のバスの改札の時間の 迫っている室堂駅を、そのバスに乗るために駅構内を少し足早に歩いていて、 片隅の電灯の駅案内表示がふと目に入り、その光の具合が一瞬「いいな」と感じたものの 再び前を向いて歩いた、という一連の行動があったとすると、記憶された その一瞬の光景は一枚写真のようではなく、その光景を良いと感じた前後、 様子も一緒に記憶され、その光景を思い出すと常に思い出した瞬間、 そこから視点をずらし前を見るまでの1秒ほどの動画として再現され、 そのため私の記憶にある電灯の案内表示の光は、 思い出した瞬間すぐに揺れ動いてしまい、幻想的だ。

列車は登坂を続けていた。周りはすっかり人工林に囲まれているが、 そのうち自然林を越えて森林そのものに懐かしさを覚えることだろう。

人工林に囲まれた本宮駅付近 すっかり林に囲まれた本宮駅付近を列車後尾の車窓から。

車窓から河原を見る 本宮駅を過ぎるとざらざらの河原が左手に見えた。このあたりは千寿が原という地名になっている。

雪渓のあるアルプスを垣間見る 雪渓のアルプスへ・・・

立山駅に到着する旨の放送がなされ、私の興奮はさらに高まった。 いよいよ立山の入り口に近づき、緊張した。

立山駅から弥陀ヶ原へ

やはりこれから入る中部山岳国立公園の立山一帯は異空間のようだ。緊張する。肌に当たる冷たい風や、自身がかつて見上げたあのような山々に囲まれることを想像すると、いま、そこへ進む一歩一歩がうれしい。いや、たいそうだけど、今はそのように進まざるを得ないことがうれしかった。 今回の旅行は、ちょうど自分が立山にもう一度行ってみたいと何度も思っていたそのときに、突然日程の都合もつき同行者も同じ想いだったから、計画中は、本当にもう一度行くことになるのだろうか、と本心から疑問を抱いていた。しかし、今はもう行くしかない、行かなければならないのだから、喜びは抑えきれなかった。一方、行くことができるよう最大限の努力を払おうと、旅をつまらなくする風邪を引くことや、こんなときに限ってというような事故を避けるよう慎重になってまで生活し、はてには旅のために興奮することを取っておこうと、過度の興奮を避けるようにまでしてきたのだから、この一歩一歩は必然だ、と喜びを減衰させたりした。むろん後者は興奮を抑える平衡をとっていたのだろう。とにかくそれぐらいに心待ちで、しようがなかった。

立山駅駅名標 立山駅に到着

立山駅はガレージのような掘り込みようの駅で、昼でも薄暗かった。 改札を出ると、待機されていた職員の方が、 私たちにケーブルカーに乗るかどうか尋ねられた。 どうやら私たちはこの人を少し待たせてしまったらしい。 というのは私たちは列車からホームまで少しゆっくり移動し、 残り最後の地鉄の降車客になっていたからだ。

ケーブルカーに乗るなら乗車整理券が必要とのことで、 発行してもらう場所をその人に教えてもらったのだが、 途中で改札を見てみると、そこには団体客が待っていた。 いちおう、しいて時季をはずしたこともあるので、これは思いがけなかった。 これまでで、とてもすいているという印象を持たされたせいもあったようだった。 しかし夏場は4~6時間待ちという日もあるのだという。つまり一日つぶれてしまうわけだ。

橙色で模様の書かれた背景に「立山駅⇔扇沢」と記された乗車整理票 アルペーンルートの乗車整理票。立山駅⇔扇沢(フリー)と示されているが、右上の四角いはんこには「立山~黒部湖間フリー」と示されている。というのは、関電トロリーバスは1回しか乗車できないからだ。

窓口に行って立山駅から扇沢までの乗車整理券を受けたとき、 次のケーブルカー(11:40発)に乗ってもひとつずらしても(12:20発)、 ケーブルカーから乗り継ぐ高原バス(12:40美女平発)は同じですよ、と言われ、 (ケーブルカーに乗るっている時間は7分間。) 11:40発のケーブルカーに乗ることにしたが、 一瞬団体客のことを忘れしてしまっていたのだった。 これを考慮すれば、やはり一本遅らせただろう。 乗るバスが同じになっても、少なくとも手狭なケーブルカーでゆっくりできるのだから。 また、計画では立山駅の外へ出て、周辺を見てみたいと思っていたのだが、 そのこともすっかり忘れていた。 今は11:33分。改札が始まるのは発車5分前の35分で、もうあと2分しかない。 ちょうど地鉄の改札口にいた職員を待たせてしまったと思ったときに忘れたのだと思う。 しかしのちにわかることだが、このケーブルカーの決定が大きなミスになることを知らされる。

立山駅駅舎内 こんなにいい雰囲気の駅舎内さえもじっくり堪能できなかった。

慌しく改札を抜けて、ケーブルカーの駅構内へ向かった。

立山ケーブル・立山駅  

こうして写真を撮っているうちに、団体が先へ進んで乗り込んでいくのだが、 乗車整理券があるため、座れると思っていて、とくに気にかけなかった。 しかし実際はその券に座席整理券(指定ではなく座席の数だけ考慮して発行されるもの) の意味はないわけで、立つことになった。といっても、7分間だからよかったが、 酔うような道を走る高原バスでも同じようなことになったらたいへんだと思い、 そろそろ策を考えはじめた。

運転士がやってきて、ケーブルカーは発車。ちょうど7分間ある放送の案内を聞きながら、 材木坂を通過、しかし人が多くて見られない…。本によると、立山駅から徒歩で美女平駅へ向かう登山道は上級者コースだそうだ。坂が急で道に迷いやすいという。ケーブルカーができて人が通らなくなったのかもしれない。
美女平駅に着いた。そのまま団体に揉まれながら、高原バス乗り場へ。 ところで、ケーブルカーを降りると、高原バスはすぐに接続するような雰囲気だった。 高原バスの改札口には係員の方が2,3人いたし、例の一団体もケーブルカーを降りて高原バスの改札口に集合していた。この団体さんはたいへん無口で静かで、男性だけで構成されていた。個人客は我々を含めてたったの3人。これら全員の足が高原バスの改札口に自然と向かっていた。
なんとなく、次の高原バスに必ず乗らなければならないような雰囲気だった。
私は、高原バスはすぐに来るのだろう、と思いはじめた。
もちろん、先ほど立山駅の窓口でされた説明からすると、すぐに高原バスが来るはずがないのだが、じつは先ほど受けた立山駅の窓口による説明は、ただ単に「次のケーブルカーに乗っても後のに乗っても、乗ることになる高原バスは同じ」という簡単な説明で、発車時刻や待ち時間まで聞かされていなかったため、すぐに高原バス接続しても別におかしいとは気づかなかったのだ。それゆえ、すぐに高原バスが来るのだろう、と私は簡単に思ってしまった。全員が改札口に集まった。団体はほんと静かなため、改札口は人の多い割りに異様にしいんと静まり返っている。一本遅らせたいと言いにくい、と感じるほどの静けさだった。<
しかし、妙だなこの団体さん、会話がまったくない…。
そして、改札の時刻もなんだかおかしい…。

そしてようやく、このとき待っていた高原バスは、ありえるはずのものではないことに気づかされる。団体と改札口を異にして並んで待っていると、ある一般客が職員に、このバスは何時の便かと訊いたところ、返ってきた答えは「臨時便」だった。なんと私たちが乗るはずの定期便のバスの手前に、この臨時便がやって来て、通常よりも早く高原バスに接続し、しかもそれに乗るために私たちは並んでいたのだ。実は私たちもまさにその人が質問する直前、このいかにも自然な状況を覆して疑い、今並ばされていることが、時間的におかしいことに独力で気づき始めていて、ちょうどアルペンルートの時刻表と、駅や腕の時計を戸惑いながら交互に見ていたところだった。とっさに一本遅らせなければならない、と思ったが、すぐ間近に団体がいる中、さきほどの一般客がした、これは何時の便かとの質問を考えると、その質問のあった直後に、この次の定期便に乗ります、とは言い出せなかった。団体男性がみな揃って、こちらを見るのではないかと思った。だが、美女平を散策したいと言えばそれでよかったのに。というより、美女平に着いてから決めるという程度の心積もりで、実際に散策を予定していたのだった。なお、ほどなくして、団体さんの行き先も、我々と同じ弥陀ヶ原だということが、職員の方によって我々に知らされた………………。
しかし改めて振り返ってみると、途中、駅で滞在するかどうか迷ったりすることもなく、スムーズな乗継によって予定より早い時間に弥陀ヶ原に着けたのだから、それはそれでよかった。

改札が始まった。今度はケーブルカーのときのように後れを取りたくないと思い、 そのまま並んでさっさとバスに乗った。この臨時便バスはたぶんこの団体のためのものだと思うのだが、改札は一般客が優先され、どちらにせよそうせざるをえなかったようだ。 アルペンルートの踏破が一日がかりであろう夏の日々を思えばとても贅沢だ。 ほどなくして、バスは出発。ブナの森を抜けて、徐々に木々の高さが低まってくる。 団体が全員男性なのを確信したのは、このバスに乗っているときだった。やがて高原になり、弥陀ヶ原に到着。前回のことを考えて、バスに乗っている間は酔わないように気をつけた。

弥陀ヶ原にて

• バスを降りて-弥陀ヶ原駅-
12年前立山に行ったときは、ほとんど室堂志向で、それより標高の低い弥陀ヶ原には 注意を払っていなかった。ゆえに今回の目的地にはまず弥陀ヶ原が入った。 何かとバスで通過してしまいそうで心残りがあったので、ここを訪れたい気持ちは 高かったと思う。

弥陀ヶ原駅 12時24分弥陀ヶ原駅に到着。

弥陀ヶ原駅はログハウス風の建物で、中には自動販売機やコインロッカー、 スタンプなどがあった。写真にあるように建物の周りに木の長い棒が立っているのは、 駅舎を"除雪"してしまわないためにある。そういえば北海道には、四季に関わらず 赤白棒が備え付けてある道路もあったが、このアルペンルートの棒は夏には姿を消す。 気になる団体さんは弥陀ヶ原ホテルで休憩を取られるそうだ。 たぶん昼ごはんを食べるのだろう。

弥陀ヶ原ホテル 弥陀ヶ原ホテルは最近改築された。

次のバスの予約もほったらかしてしばし弥陀ヶ原からの展望にみとれた。

弥陀ヶ原の遊歩道 弥陀ヶ原の遊歩道は少し雪があった。雲が下方にあり、まさに天上の高原だ。

遊歩道の案内板 バス停付近の遊歩道起点。早く楽しみたい。

この日のこれからの予定は、この弥陀ヶ原での散策のあと天狗平に向かい、 そこでの短い散策ののちに立山高原ホテルにチェックイン、である。 この弥陀ヶ原駅を離れる前に次に乗るバスの予約をしなければならないのだが、 ここから歩いて天狗平まで行く予定だったので、予約なしにした、が、 本をここで再度読むと、片道3時間で登山道と書いてあるのが急に負担に思えてきて、 やめにして、15時のバスを予約することにした。 というわけで、これからはのんびりと平坦な道を楽しげに散策だ。
• 昼食を立山展望山荘で
しかし、もうお昼なので、昼食をとることにした。 駅員によると、弥陀ヶ原ホテルとは反対の立山展望山荘でも食事ができる というのでそこへ向かった。

立山展望山荘全景 県営の立山展望山荘。外観が雷鳥沢ヒュッテに似ている。

弥陀ヶ原 展望山荘の前から見下ろした弥陀ヶ原。

立山展望山荘入り口 展望山荘の入り口。

山荘前のデッキの木の柵の上には固い雪があり、手袋をした手に取り遊んだ。 風にはまだ鋭い冷たさはなく、少しつんとしている感じで顔の周りをそよいでいた。 山荘の中はぬくもりを感じる明るい木材が多用された造りで、新しかった。 客は誰もおらず、数人の従業員を見かけただけだった。 フロントもしんとしている。お昼時の静かな山荘であった。 レストランへの通路を歩いていくと、まったく関係のない内容の看板が 立ちはだかり、そこからレストランを覗くと電気も消されて閉まっている様子。 やめようかということになったが、一応尋ねてみることになったので、 フロントの呼び鈴をならして出てきた方にここでいま食事はできますか、 と尋ねてみると、かなり驚いた感じで、できますけど、何にいたしましょうと、 言われメニュー外のものを言ってしまったらどうするんだろう、と慌ててしまったが、 だいたいのメニューを聞いて"温かいそば"に決めた。 いまはもうレストランを閉めちゃったので、と言いながらさきほどの看板をどけて、 照明をつけ、開店してくれた。レストランが閉まっていたのだから、 あんなことを尋ねたのはおかしかったかもしれない。 でも詳しいはずの駅員がここでも食事できると言ったから…。 どこにも営業時間は示されていなかったので、人を呼んで 営業時間を確認するぐらいのつもりだった。 たぶん、シーズンオフということもあって、営業時間内でも、人が少なかったら 閉めてしまうのだろう。そういうわけで、このレストランは貸切状態になってしまった。 席に着くと、展望山荘の名にふさわしく窓からの展望はすばらしく、 壁には連峰の形とそれぞれの山の名前を描いたものが掲げられていた。

立山展望山荘のレストラン レストラン内の様子。

厨房からさっきのフロントの人の声で「しょうゆどこぉ」 と聞こえてきた。なんとその方が作っているらしい。 ほどなくして、そばが運ばれてきた。 関東風のだしで、あげと山菜、かき揚が入っていてボリュームがあっておしいかった。

水ももらって食事を終えたので、ここを出ることにした。

立山展望山荘のフロント フロントの様子。ごちそうさまでした…。

この先はトイレがないのでここで済ませておいた。
• まずは立山カルデラ展望台へ

ちょうど良い室温の山荘から外へ出るとやはりここは空気が違うことを思い出した。 これからは所々に薄く積もった固い雪を見ながら、 手袋の暖かさを感じ、ときどき茶を飲んでの散策だ。 まずは、山荘のすぐ横に入り口がある立山カルデラ展望台へ行くことにした。 本によると行きが20分、下りが15分となっている。 気楽なはずの散策だったが、少し緊張し始めたため、黙りこくって歩いた。 緊張していたのは、何かを捜し求めていたからかもしれない。 石とモルタルの道は所々苔むして、日陰では雪が氷になっていて滑りやすかった。 道の脇には雪をのせた笹が茂っていて、進むたびに動物が中を逃げて行ったような ガサガサ、という音がした。しかしこれは、風に揺られた笹が雪を落とした音だった。

笹の音を聞きながら緩い坂を登り続けて約16分、 立山カルデラ展望台の一つ手前の広場に着いた。 展望台はというと、もう目の前に見えている階段の先である。

階段先にある立山カルデラ展望台の様子

しかし、先客が3人ほどいたので、一旦この広場で展望を楽しむことにした。 カルデラ内にはたくさんの砂防ダムが作られている。

立山カルデラ展望台手前の広場より湯川谷を望む 立山カルデラ展望台手前の広場より湯川谷を望む

ザラ峠のある稜線 

鋭い雪渓と雲ひとつない厳しい青空の見えるこの広場は、 静かで、風の音しか聞こえない。人工的な音がまったく存在せず、 風で冷たい耳のあたりはただ小さくつうんと鳴っていた。

展望台から先客が降りてきた。 話によると、この広場とはまた風景が違うという。 さっそく登りに行った。

湯煙の上がる「新湯」とその右隣の刈込池 湯煙の上がっているところが「新湯」でその隣の池が刈込池。 新湯の手前に見えている谷を登るとザラ峠に辿りつく。 ザラ峠から新湯への下りは、新湯に至るルートの一つとしてときどき利用されている。 新湯は簡単には訪れることのできない秘湯とされている。

ザラ峠 写真中央の稜線は凹んでいるが、そこがザラ峠。 1584年冬に佐々木成政が越えたとされている。 その左側の緩やかな山が獅子岳、その隣に突出しているのは鬼岳。 その左には龍王岳が見えかけている。 ザラ峠の右側の大きな山が鷲山で、その向こう側は 天上の散歩ができる五色ヶ原が広がっているはず。

鷲山 左下隅に新湯が見えているが、新湯から登っていった所にある山が たぶん鷲岳。鷲岳の奥に鳶岳があるはずだが、たぶん隠れて見えない。 目の前に迫っている尾根は鳶岳の分稜で、それが立山カルデラまで下りてきている。 そのため、鳶岳から薬師岳の主要な稜線はわずかにギザギサ状になって 現れているだけだった。

鷲山 眼前の美しい山が薬師岳で、その隣は太郎山。 冬の薬師岳の東南稜で13人が亡くなる愛知大学遭難事件があった。 現在その稜には行かないようにという目印としてケルンが建てられている。

鷲山 薬師岳と立山カルデラ全景。 手前にくびれて見える部分に立山温泉があった。 かつての登拝者や修研者が立山登山の行き帰りに利用したそうだ。 噴火により廃墟となり、現在も宿泊施設はない。

やはりさきほどの広場とはまったく展望が違い、 北アルプスに来たんだなあ、と思った。 しばらくすがすがしい山々と空気と風を堪能したのち、引き返した。 なお、この展望台はかなり狭い。さっきの3人を下で待っていてよかったと思った。

立山カルデラ展望台の狭さ 展望台の先はこんな感じ。

帰り道 頂上からの帰り道。

日陰は凍っている道 帰りに振り返って撮影した道。このように日陰は雪が凍りついていた。

帰りは一組のペアとすれ違った。シーズン中ならこの道もごった返すのかもしれない。 最盛期には移した視線の先には必ず人が見つかるぐらいなのだから。

• 弥陀ヶ原を散策

展望山荘まで降りあとは再び弥陀ヶ原駅を横切って、弥陀ヶ原の散策道入口へ向かった。

茶色の四角い建物 六甲学院ヒュッテ

遊歩道の入り口 遊歩道の入り口。

ここからのびのびとした散策が始まる。遊歩道と言えば木道、木道は歩いて楽しい。

結構標高差のある木道 上の写真に写っている木道の低い部分 割と高低差のある遊歩道の始まり。左の写真は木の階段の上から撮ったもので、 右の写真は下ったところ。

心地よい程度の緩い上り坂や下り坂が続き、散策は快調だった。 そしてこの高原の空気は忘れがたい。

弥陀ヶ原の木道

分岐点の道標 ほどなくして分岐点に到着。弥陀ヶ原駅の方向へ。

弥陀ヶ原とはるか下方に続く稜線 見えている稜線は大日平の稜線だろうか。

草原の少し向こうにある白い建物 振り返って弥陀ヶ原ホテルを。まだそれほど離れていない。

延々と続く弥陀ヶ原の木道 木道は延々と続く、しかし歩き続けるのは気持いいの一言に尽きた。なんの疲れも感じないのだから不思議だ。

途中ガキの田に遭遇。よく写真で見るように青々とした草原の中の 稲のような植物の生えた瑞々しい池塘の様子は見られるはずもなく、 すでに夏はおろか秋すら終わって、冬支度に入っている様子だった。

ガキの田 これらがたぶんガキの田。ガキ田とも呼ばれる。

木道の分岐点 また分岐点に出た。

天狗平へ行く道の出る分岐点ですこし休憩を取った。 ベンチと机があり、お菓子を食べ茶を飲んだ。 今までには3,4組の人たちに出会ったぐらいで、今もこの休憩所は静かだ。 高原をわたる風が耳元をそよいでいた。風は吹くものだけではなく、 わたったり、そよいだりするものでもあるんだと改めて知った。 街中に住んでいると、こういうことは忘れてしまう。 良い風がやって来ても、空気が悪ければ気をとめるはずはない。

休憩を終えて、ちょっと一の谷の方向へ進み、道はどんな感じかを見る程度で 再び分岐点へ引き返し、弥陀ヶ原駅へ向かった。 一の谷の方向へ進むと、いきなり腐って崩れた木の橋に遭遇した。 きっと年に何回も補修が必要なのだろう。何よりも11月半ば以降は 雪に埋もれてしまうわけだから、来春は多くが使用できないのかもしれない。

弥陀ヶ原駅への途中、中大日岳を望む 帰り道に。このあたりはもう道路が近く、ときどき自動車やバスの音が聞こえる。

遊歩道途中の大きな休憩所 割と規模の大きな休憩所。動植物の解説パネルが多すぎる。

弥陀ヶ原ホテルの裏を回り、駅へ到着。約1時間だった。

弥陀ヶ原バス停 弥陀ヶ原バス停。このバス停の写真を集めようと思った。

駅付近では三組がバスを待っているらしかった。

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