立山黒部アルペンきっぷを使って

旅行記

3日目の続き

黒部ダムを経て信濃大町駅へ

黒部ケーブルカーの中は数人立ち客がいたのでまあまあの混雑だった。 わずか5分で黒部湖駅に着く。立山ケーブルの所要時間は7分だ。

両端にコンクリートの階段があり坂状になったケーブルカーの駅 赤と黄色の配色のケーブルカーと黒部湖駅の駅名標
黒部湖駅。
左:のりば全景。
右:電灯の駅名標。

奥に駅務室の見えている丸型天井の細い通路 ケーブルカーを降りて通る通路から振り返って。

黒部ダムへ抜ける白壁の幅広いトンネル 黒部ダムへ抜けるトンネル。

ダム堰堤上の道路に口をあけるトンネル トンネルの出口付近。

乗り場からのトンネルを抜けると、 曇った空の下に長く幅広い堰堤がカーブして続いている。 右端の欄干に寄ってはじめて黒部湖が見渡せる。

雲がかかり陰鬱な空の下で灰白色の岩肌が均等な幅で縁取りする普通の緑の黒部湖 黒部湖の様子。

なぜか感動がない。ちょっと自分に困ってしまった。 本を読んでくるべきだったか…。 以前にNHK製作のプロジェクトXで黒部ダムを扱われたのを見て、 ダム完成に至る話を少し知った程度だった。 感動が薄かったのはたぶん、室堂ターミナルや富山側のアルペンルートのほうに 心を奪われていたからだろう。標高2400mに、 厳冬を耐え抜くあの石造りの建物を5年で建てたのか、というふうに。

岩山を背景に堰堤と湖 堰堤と岩山。

欄干は水色と銀色だが、たくさん落書きがあった。 ときどき雨は止んだかのようになった。

瀑布 瀑布。

やはり放流を見ると凄みを感じる。周りにはメンテナンス用の 梯子が幾つもあるのだが、それがおもちゃみたいに見えた。

小雨の中、淡々と歩き進む。 道行く人々も屋内を目指しているようだ。

ゲームセンターゲーム機みたいな機械 「ふぉっとダム」と呼ばれる記念撮影システム。料金を支払うと展望台からダムとともに撮影してくれる。この写真を撮ったあと、すぐ横に人が二人並んでいるのに気がついたと思ったら、いつのまにか係りの人が来ていて、これから撮影を開始するとのことだった。まったく気づかなかった。

左手にコンクリートで覆われた山肌、右手にダム湖の細い欄干に挟まれた堰堤終点脇の小広場 今日の水深を示す模式図と名古屋170km,大阪290kmなどの矢印
左:殉職者慰霊碑と今日の水深を示す模式図。171名が亡くなった。
右:この日の水深は147m. この地点は名古屋170km,大阪290kmだそうだ。

はるか下方のダム湖に幾艘かの船と岸上の大量の流木 この船は湖上観光のガルベとは違うだろう。 この大量の流木は再利用されているという。

黒部ダムレストハウスはこのあたりで唯一のお店。 地階はトイレ、一階では食券式で 「ねぎチャーシューバーガー」や「ナンドッグ」やソフトクリームを売っている。 二階には広めの食堂と充実したみやげもの売り場、 隅の方には肉まんやおやきを売る露天もあった。

白い建物 黒部ダムレストハウス。

左脇に自動販売機、上には青色の案内板のあるレストハウス二階の通路 レストハウス二階の通路のようす。

このときちょうど12時で食事したいと思っていたが、二階の食堂は満員。 仕方なく三階の黒四記念館へ入ってみた。

開業医の古い医院のような入り口 黒四記念館の入り口。

人は二人ぐらいしかおらず、 窓に沿って長いテーブルといすがあったので、 パネル見学もそこそこに、いすに座って持っていた菓子などを食べ始めた。 なんかこんなふうに書くといかにも問題意識の薄い観光客という感じだ…。 しかし空腹と雨に気が滅入って、何か食べないと活力が沸かない。 するとお二方が入ってきて同じように椅子に座り、手作りのおにぎりを食べ始めた。 私たちも何か買ってきてここで食べることにした。 実はここでものを食べていいか迷っていたのだが、 記念館といっても、気軽に入ることのできる雰囲気で簡素にしてあるし 別にいいのかと思った。

窓に沿って設置された水色の長いテーブルと椅子。窓からは黒部湖が。 窓の上付近に吊られた蝿取り紙
左:黒四記念館内のテーブルと椅子。
右:蝿取り紙が吊られてあった。


というわけで、さっそく下へ行ってナンドッグを買ってきて食べ、 同行者が既に買ってくれていた餅も食べた。 醤油味でのりが巻いてあるものだった。 食べている最中に次第にここにも人が増えて、ここで多くの人が昼食をとった。 隣の人は感じのいい容器で、 すこしグレードの高くておいしそうな幕の内弁当を食べながら おいしそうに茶を飲んでいた。

ここでの予定は展望台に行ったり、カンパつり橋を渡って遊歩道を少しだけ歩いたり する予定だった。外は雨が降っているのに、同行者は上の展望台へ行こうという。 ガスで山も見えないから行っても仕方ないので、行かないでおこうと私は勧めた。 実はもうすでにやる気がなくて、体を動かす気になれなかったのだ。

黒四記念館の中にも次発の関電トロリーバスの案内放送があり、 我々はその案内の13時5分のトロリーバスに乗ることにした。 やはり3日間晴れ続けて欲しかった。とても残念だ。

改札口手前。行列のせいで改札口は遠くにある。 関電トロリーバス改札口手前。団体もいてすご行列ができた。

電灯式の白地に濃い青で書かれたトロリーバスの小さな時刻表 関電トロリーバスの時刻表。

なお1枚目の写真にあるように、黒部ダム建設の記念展が開催されていて、 トンネルに沿って細長い机が並べられ、測量用のカメラや測量用具、特別な作業服、 ライトなどが展示されてあった。特に印象に残ったのはカメラで、 片手で撮影できるようにするためか、片側に頑丈で太い取っ手が付いてあった。

改札が始まると、意外にもよどみなく人は流れ、あっという間にバスの中へ入ることになり、 じっくりと駅を見ることができなかった。

ふつうのバスと変わらないバス内 バス内部のようす。

関電トンネルの説明を放送で聞きながら16分で扇沢へ。

背後に石垣があり回廊の屋根の柱にある「扇沢」の看板 きれいに整備された敷石の乗り場と白い鉄骨を組み合わせた屋根の下にバス4台
左:駅名標を探していたのだが、いいのが見つからず適当に撮影。雨でみな急ぎ足だった。
右:黒部ダム行きのトロリーバスの乗り場。


ところで、アルペンルートはどちらの方向が上りなのか下りなのか…。 アルペンルートは扇沢から室堂を経て立山駅そして富山駅とつながるのだから この方向が下りかもしれない。ところで、弥彦線は弥彦駅へ向かう方向が上りだという。 それは弥彦山に祀られている神を尊重してのことなのだが、立山も霊山だ。

みやげ物売り場へ下る階段上部に「アルペンルート最後の売店」と掲げられている アルペンルート最後の売店との触れ込み。

このあたりでみやげ物を買うと、なんか荷物になることばかりが意識されて 買う気になれなかった。上で買うのを忘れていたら仕方ないが。

古い石畳の向こうに黄土色の壁に穴の開いた窓口 乗合バス出札窓口。なんだかじめじめしています。

バス停二つ アルピコ・川中島の特急長野行きバスのバス停。もうここは信州だった。

みやげもの売り場の階を抜けて地上のバス乗り場へ。少しきついめに降る秋雨がうら寂しい。

雨に霞む日本らしい山々 迎えてくれた日本らしい山々は雨で霞む。

すぐにやってきた信濃大町駅行きのバスに乗り込んで出発を待った。ホテル立山前の売店で 大きな荷物は自宅へ回送したので楽だ。とくにこういう雨の日は助かる。 時刻は13時半ごろ、バスの中は薄暗く天気のせいでじめじめした感じで、 まばらな客のひそひそした会話が聞こえてくる。

座って落ち着いてから列車時刻表を取り出した。 このバスは13時51分発で、これに乗ると14時10分にJR信濃大町駅に着く。 もしかすると、松本駅の14時43分発「しなの」16号に乗ることができるか、 と思ったが、これに接続する「あずさ」24号は信濃大町駅を14時2分に出るため、 わずか8分差で不可能であった。というわけで、やはり指定を取ったとおりに 乗って帰っていくことになった。信濃大町駅で54分待ち、松本駅で1時間38分待ちだ。 大阪行きの特急「しなの」は便利だが、 確実にこれに乗りたいなら、アルペンルートを急ぎし足で下らなければならなかったため、 この指定は取らなかった。たとえ雨が降っても、この「しなの」に乗るのは早すぎる だろうと思ったのだった。乗ってきた関電トロリーバスを一本遅らせて乗れば、 信濃大町駅での「あずさ」の待ち時間は25分短くなるのだが、もうどうでもよかった。

13時51分、乗合バスは扇沢を出た。 平凡な二車線道路は樹林帯を縫い、風景も単調だ。 もし晴れていれば紅葉が見られるだろう。 そのことを思うと、室堂へ行くことはタイムスリップのようだ。 日向山高原という別荘地を過ぎた。 バス停があるが降りる人も乗る人もなかった。 そしてバスは信濃大町温泉郷へ。

温泉街らしいみやげもの屋と食事処 いかにも温泉街という感じ。

徐々に田畑が開けてきて、商店街を走るようになると、 バス停の案内放送も増えた。そして14時5分、予定より5分早く駅へ到着。

雨模様の駅前ロータリー 到着してすぐに撮影したもの。左手からバスが出ようとしているが、あれが乗ってきたバスだろう。

ここも雨なのですぐに駅舎へ入り、しばらく展示物などを見た。 さて、どうやって時間をつぶせばいいのか… とりあえず隣の待合室の椅子に根を下ろした。
待合室の床は古くて、建物全体も古い感じだった。 待合室の中には、割りと品ぞろいのいい売店とそば屋があった。 そこでおみやげとしてます寿し弁当を買った。
椅子に座って持っていた菓子などをリュックから探り出して 食べて、ぬるい茶を飲んで時間を過ごす。 あまりにも退屈になったので、外へ出たら、雨が上がっていた。

赤い屋根の平屋の駅舎。左には2階建ての食事処が連結されている。 ロータリー反対側から駅舎を見て。この駅には「JR信濃大町駅」という緑色の看板がない。

帰宅する高校生が現れ始める頃だった。 駅の周りには商店街があり、 観光地の起点ともなる駅なので屋台やみやげもの屋もあった。 しかし、一歩路地へ入れば住宅街だ。 印象に残っているのは駅前のパチンコ屋だ。 よく見かけるパチンコ屋とはまったく違う外観で、 大きな間口にもかかわらず、遠くからちょっと見かけただけでは わからないようになっていた。 外にネオンは一切なく、扉と壁は白地に森が描かれていた。 やはり規制があるのだろうか。最近は規制がなくとも、 経費節約のため、随分落ち着いた外観のパチンコ屋も現れている。
特に時間をつぶせる場所もなさそうだったので、一回りしてすぐ戻った。

チラシやポスターがたくさん張られて多少ごちゃごちゃした、上に緑の看板がある狭い入り口、 駅の入り口。緑の看板には「信濃大町駅入口」と書かれてあった。

天井の高い薄暗い駅舎の中のようす。向こうには改札口が口をあけていて外が見える 駅舎の中。列車のないときは改札口が閉じられていた。列車別改札。

待合室に戻ったあとは、考え事を思い出したのでそれを考え続けていると、 改札口が開けられるという案内があり、スーパーあずさ28号の来る 20分前に改札口は開けられた。何度も繰り返しスーパーあずさの案内を繰り返している。

石造りのホームと屋根、駅名標。向こうは住宅街 下りのホーム。

エメラルドグリーンのラインが施された跨線橋とホーム。下りのホームには銀色にラインの入った列車が停車 下りホームの新宿方面。

ホームとホームの間には3線ある 下りのホームの南小谷側。

両脇の壁の上方にはガラス戸、下にはポスターがびっしり 跨線橋の中。手すりが完備。

正方形の敷石を詰められたホーム、左側には列車が停車中。 下りホームを跨線橋の階段から見下ろして。「白馬寄り」とかいてあるのは、ホームの白馬側という意味のようだ。

赤い屋根の上りホームと2階建ての食堂 跨線橋から食事処を望む。「駅食堂」と書かれたかなり大きく立派な木製の看板がかかっているが、この看板を見られるのは下りのホームからのみ。

紫地に特急スーパーあずさが描かれている大きな特殊シール ホームの地面に貼られたスーパーあずさの乗車口を示すシール。

白いプラスチック製のプレートの駅名標。国鉄風だが矢印が緑色になっている。 電灯式駅名標。JR東日本の一般的なもの
駅名標2種。


歴史ある駅らしく、駅舎内には年表などが掲示されていた。 外観は白壁に赤屋根が基調とされ、街に溶け込んでいる。 駅舎と一体となっている食堂は、アルプスの展望が良いというのが売りで、 ラーメンや定食が食べられるそうだ。

松本駅を経て名古屋駅、そして帰宅

15時29分の「スーパーあずさ」28号の到着時間が近づくにつれて特急の案内放送が 頻繁になった。とにかく乗り遅れないように、というようなニュアンスがあった。 それはこの特急が、この駅に二十秒ぐらいしか停車しないためだ。
特急が到着して、方向表示の写真でも撮ろうかと思ったら、 あっという間に出発の警告音が鳴って、 指定した号車の入口に関係なくとにかく慌てて乗った。
車内は空いていて、左斜めには上下黒でミニスカートの女性が 足を組みアサヒスーパードライを飲んでいた。

田んぼの向こうに新興住宅 ずっと広がる田畑と曇りでうっすらとしか見えない北アルプス連峰
車窓から。松本に近づくまで田畑の中を走る。雲がなければ北アルプス連峰の側面が美しいだろう。


豊科駅ではホームの向こう側に満員の普通列車が停車していた。 松本駅では車両増結のため、駅に停車しても、数分間は扉が開かなかった。 結局検札はなく、16時03分、信濃大町駅からおよそ34分で松本駅に到着。 普通列車なら約1時間かかる。

屋根からつるされる「まつもと」の電灯式駅名標

ホームはかなり混雑していたが、「あずさ」が去ると、また閑散とした。 この当時は駅舎改築中で、つくりがややこしくなっていた。

広いコンコースの向こうに有人改札口が並ぶ 松本駅にはまだ自動改札が導入されていなかった。コンコースは相当広いが、観光シーズンにはこのぐらいがちょうどいいのかもしれない。

左に自動券売機が並び奥には緑の窓口のある明るい広場 きっぷ売り場前。

次の「しなの」は16時41分であと40分ほどだが、 これはきっぷを買ったときには指定席が満席だった列車。 いまあらためて松本駅のみどりの窓口で聞いてみると、 キャンセルは出ていない模様。自由席を狙ってもいいが、 休日のため、2時間立ちっぱなしになる可能性もあるので、 この「しなの」は予定通り逃がして、指定を取った一本あとの 「しなの」に乗ることになった。 こうして、この駅で約2時間半つぶさなければならなくなり、 ここで夕食と昼食をかねて食事することにした。 駅の上にはファッションフロアやレストラン街があり、 そのなかの杵屋で定食を食べた。 安くてボリュームがあった。
杵屋に居座って17時ごろ店を出て、ホームへ向かった。 あと40分ほどはホームをぶらぶらした。

人はいないが明るいホーム すっかり闇に包まれ、人のいないホーム。それだけに屋根の蛍光灯や弁当屋の明かりがとても明るい。

ホームを横に見て。向こうにはさらに2つのホームがある。自動販売機や駅名標の明かり LED式特急乗車口案内。ホームを横に見て。

ホームを縦に見て。ホームの端の方は暗闇に溶け込んでいる。人は誰もいない。 ホームを縦に見て。

まだ夕方5時だというのに、全体的に人が少なかった。休日のためだろう。 ただ、「しなの」の着くホームの乗車口あたりは人が集まり始めていて、 到着の時刻が近づくにつれ、一帯はかなり窮屈なぐらいになった。 それは大きな荷物を持った人が多かったためもある。 特に登山者が多く目に付いた。中にはアルペン・ポーター・サービスの袋に包まれた ボストンバックを持った人もいた。この人もアルペンルートを通って来たのだろう。

ホームから一部視界をさえぎられて駅前のネオンを見る 駅前のネオンをホームから。

17時40分になったが、列車が来ない。 周りから不平のぶつぶつ言う声が聞こえてきた。 乗車口先頭に立っていた一人のおじさんは突然振り返って、 後ろの初老の夫婦に、大丈夫です、1,2分ぐらいはいつものことです。 すぐ来ますよ、というようなことをよく通る声で愛想よく言った。
しかれども、列車は来なかった。放送もなかった。結局2,3分遅れで到着した。 皆どやどやと乗り込んで、さっさと席を探して座り込んだ。 これでやっと本当に帰途につけると思った。 多くの人がおいしそうな駅弁を食べたり、眠りこけたりした。 我々は杵屋で食べてきたからいらない、と思い買わなかったのだが、 しばらくすると食べたくなってきて、やっぱり買っておけばよかったと思った。 買っていたます寿しは面倒だった。

検札を受けてはんこの押された、松本から名古屋までの特急「しなの」の指定券。 検札を終えて。

特急「しなの」列車内を座席から前を見て。窓は鏡になり、直接照明が生硬だ すっかり沈み込んだ車内。

列車は轟然と闇の中を突き進み、カーブに差し掛かったことが少しわかるぐらいだった。 途中、中央道の自動車の明かりの群れが目に入った。 列車に乗って、1時間ぐらいすると揺れでぐったりしてきて、早く着くことを願った。 ようやく中津川駅に到着。ここでほぼ半分だ。

暗闇の中に電灯式広告と改札口とその明かり 車窓からの中津川駅改札口。電灯式広告が明るい。

ところどころうつらうつらして、約2時間7分で終点名古屋に到着した。 新幹線乗り場だけを目指して歩いた。10分で接続でよかったと思う。

青、赤、白の鮮やかなLED式行先案内板と、床がくすんだ白いタイルのホーム 新幹線の下りホーム。

おびただしい数のタクシーと駅前の屋上の広告ネオン 新幹線下りホーから外を見る。

のぞみ「広島」の方向幕 この列車に乗って帰った。

新幹線は滑らかに滑り込んできて、たくさんの人が降りてすぐそばの階段に吸い込まれていった。 自分たちの座席は、ほぼ満席の中にぽっかりとあいていた。 車内はでろーんとした雰囲気で、息苦しい空気が充満していた。
降りる駅に着き、新幹線を振り返ることもせず下車してホームの階段を下りた。
新幹線は、するめやら酒やら弁当、菓子、眠りこけている人の寝汗、体臭の空気を 広島までしっかりと運んで行っただろう。
さて、長々と書いてきた紀行文もここでおわり、 あとは、無事家に着いたことだけを書いておきたいと思う。 家に着いたときはいつものように旅先での記憶を味わえなかったが、 何日か経ったら、鬱屈の逃れ道になるだろうと思った。

乗車記念のはんこを押してもらったきっぷ 乗車記念押印。



━おわり━

後日譚

2005年秋の立山は雪が少ないと騒がれたし、 気象庁は暖冬だという宣言もしていた。 ところが、11月半ばから厳冬になり、 室堂も昨年よりかなり多く雪が積もっているとのことだ。

買ってきたます寿しは、駅弁のます寿しではないもので、 味はくせがまったくなかった。

青、赤、白の配色の四角いパッケージ

また、松本駅で駅弁を買わなかったことが、 多少悔やまれるので、次回の旅するときはその帰り、機会があれば買おうと思う。 食べられなくても持って帰ればいいのだから。
私はあまりお土産にこだわらないほうだったので、 今回もまったく買っていないのだが、やはり後日、 同行者のみやげものを見せてもらうと、何か良いもの を一つか二つ買えばよかったかなと思った。 おみやげというのはおもしろいもので、家においてあると、 話しのきっかけになることもあるし、その土地にあったものを 持ち帰ってきたという感じがする。それでつながりがあるように感じるのだ。 そういう点では、石ころでもよかったのだ。 そういえば、自分が幼い頃、旅先の梓川でおもしろい石ころを拾い持って帰った。 これらのことも、次回の旅での課題にしようと思う。

鮮やかな鱒身の色のます寿し これは近くのスーパーで売られているてのひらサイズのます寿し。旅の味。

室堂の売店で荷物を自宅に送ったものが帰宅の翌翌日とどいた。 「立山黒部アルペンルート」と青字でかかれた二重のダンボール箱に入って届いた。 早かったし、二重のダンボールは安心だ。

あと、今回は立山で変な散策をしてしまったことが心に引っかかっている。 今度はぜひ、装備の上で登山をしてみたい。

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