立山黒部アルペンきっぷを使って

旅行記

2日目

朝は6時前に起きて、7時に食事だった。 場所は夕食と同じレストランだ。 レストランに入ると、そこには陽光が溢れきって、巨大な窓はちょうど雄山の ふもとにある感じだった。視線を下げると、そこには雪からところどころ頭を出した 露岩があり、ごつごつしていた。 レストラン内は不思議に穏やかにきらきらしていた。
洋食を選択していたので、パン、サラダ、ハム、つるっとしながら立っていたゆでたまご、 クリームシチュー、牛乳などが出た。それらもきらきらしていた。 この恐ろしくさわやかな感じのする光の中では、輝かないものはないような気がした。

9時のバスに乗る予定だった。 ホテルを出る準備を整えて、もう一度窓の外を見てみると・・・。

剣岳 剣岳と室堂乗越。

奥大日岳 奥大日岳。上の写真の左側にあたる。

ものすごい青い空にはっきりと山の背骨が浮き出ていた。

室堂にて

• 室堂ターミナル
8時30分ごろにチェックアウトして、天狗平のバス停へ向かった。 今日もとてもいい天気になりそうだった。

バス停にあった幾本ものドラム缶 バス停前のこのドラム缶の中身は、除雪車の燃料となるそうだ。

ドラム缶の前には雪がたくさんあり、固く平たい雪塊を投げて遊んでバスを待った。

バス停前の高原道路の路面のようす 砂利の粒が大きくて、ざらざらごつごつしている。

やってきたバスには15人ぐらいの人が乗っていた。 若い女性の一人旅らしき人もいて、携帯電話のカメラで景色を撮っていたりしていたが、 一方ひとりのおばさんはフィルムのカメラを持って動くバスの中を立ち回りながら まさに「バシバシ」と撮影していた。やはり室堂は特別のようである。 しかし私がまず見たいのはやはり室堂ターミナル内の様子だ。 早くあの青と緑の電灯の案内板を見たい…。

9時10分、バスはターミナル内に入り、私たちは降りてとうとう建物の中へ入った。 そのとき、12年前の記憶と合致した風景、雰囲気が目の前にあった。 どうやら自分が覚えていた映像は、バスを降りて建物の中に入ったときに見える ターミナル内の風景だったらしい。「ああ、これこれ!」と内心手を叩いた。 少し薄暗い感じの中に浮かび上がる青色の方向案内板。 これがなぜかアルプスという雰囲気に感じられる。

室堂ターミナルは室堂駅とも呼ばれるように、 私にはこのターミナルが鉄道の駅のように感じられ、 鉄道の駅がもたらす興味、旅の感覚がここでも自然に引き起こされる。 例えば十和田湖駅はJRバスのみが発着する「駅」であるが、 そのJRバスを「みずうみ1号」と呼んだりして、 バスターミナルなのに鉄道の駅のように扱われても、 なんだか奇妙な感じがするのだが、 この室堂ターミナルは、室堂駅と呼んでも少しも差し支えない気がいつもする。 日本語の「駅」は今はほぼ鉄道駅を指し示す一方、 英語の"station"の方が指し示す意味は広いようなので、 乗り物や食事などのサービスを提供するという意味において、 大掛かりなバス発着場も、日本語の「駅」という言葉で表現してもいいのだろう。
しかし、これを否定したとしても、 室堂ターミナルは鉄道の駅の雰囲気があり、駅と呼びたい。 たぶんそれは、ここが鉄道では到達不可能であることがわかっていることや、 高原道路は分岐が全くなく、高原道路を走るバスはすべて、 室堂ターミナルに来なければならないということ、 そして立山トロリーバスのように正式には鉄道の一種であること、 ホテルや食事処が一体となった建物であることも 関係していそうだ。

室堂まで来てなんか関係のないことを考えはじめたが、 駅という概念はおもしろいものだ。室堂ターミナルは、不思議な駅。 そういうわけで、今回の旅行は"室堂駅"探訪も兼ねている。

荷物をホテルに預ける前に、ひとまず外へ出てみようと展望台へ向かった。 その通路にはたくさんの電灯の案内板があり、 外へ出られることもあって興奮は絶頂に…。

ホテル立山入口前の青色電灯式方向案内板 感動の再開。青色の案内板。ホテル立山の入口前。

屋上展望台への通路の曲がり角の青と緑の案内板 屋上展望台への通路の曲がり角。コインロッカーが写っているが、大型のものも含めかなりたくさん設置されていた。

屋上展望台へ出た。恐ろしいぐらいの快晴で、一面が銀世界、 一面が太陽に輝ききっていて、まぶしくて目が駄目になりそうで、 写真どころではなく、少し外へ出ただけですぐさま退却した。

とりあえずホテルに荷物を預けに行くと、 その時点では部屋には入らないチェックインとなるようで、 長い説明を受けたのち、荷物を預かってもらった。 その説明があまりに流暢で、タブレットに線を入れながらなされたので、 いかにも業界人のなせる業という感じだった。

預けた後、帽子とサングラスを買おうということになったが、 結局、お茶だけを買った。

coffee shop前 Coffee shop前にて。バスが着くと人がなだれ込んできたが、ほとんどの人が室堂平へと繰り出し、お店にはまだ人が入っていない。

高原バス団体用入り口 高原バスの団体用の入り口。消えている電灯案内板も要チェックだ。

• 散策

展望台から外へ出ると人はまだ少ない方で、まぶしいのは相変わらでこの上なかった。 しかしいかにも立山にやって来たという気持にさせてくれるすばらしい快晴で、意気軒昂、歩くぞ、という気持になっていた…が、固い雪を踏みしめながら進み玉殿湧水の近くの案内地図を見ると、やはり長くて3,40分のコースで、今の心意気は空振りするし、間も持たない。それで、雷鳥平まで下って一ノ越への道を途中まで歩いてみようかということを考えていたが、まだ決定はできなかった。しかし考えて時間をつぶすことはもったいなくてできず、とにかく地獄谷のよく見える雷鳥荘の近くまで行くことにした。

最初はまぶしくてどうしようもなかったが、 歩いて15分ぐらい経つと慣れた。 ハイマツもところどころ緑を出しているだけで、 あとは雪に埋もれている。積もってから人が多く歩いたせいか 道の雪は固かった。みくりが池の東側を歩いていると、 小さな子を連れた家族連れにであった。 子どもは立山の雪道を歩くのが 楽しそうで、気持良さそうだった。 閻魔様の黒たまごを売っているみくりが池温泉前までやってきた。 近くには地獄谷への道が分岐している。

赤と黄色と水色を用いた逆三角形の「これよりさき有毒ガス滞留地帯」の警告看板 バーのかけられた地獄谷への入り口
地獄谷のへ道には警告が出ていた。しかしなぜかバーの向こうには無数の足跡が…。

硫化水素の滞留する雪も積もった褐色の谷 冬の地獄谷。みくりが池温泉の近くから。

雪の立山と静かに水をたたえた青のみくりが池 みくりが池。

階段上に立つ白い建物 みくりが池温泉。山荘で、日帰り入浴もできる。

みくりが池温泉の方らしき人が周りの散策路の除雪をされていた。 それで、除雪車が入りやすいように階段にセメントでスロープがつけてあるのに 気づいた。
みくりが池温泉を過ぎるとミドリガ池、室堂山荘に行く道と、 血の池、リンドウ池に行く道に分かれてあって、 その近くにはならされた見晴らしの良い休憩所があり、 圏谷がゆっくり見られるようになっていた。 そこは雪が深くふかふかで、ちょっと遊んだ。

血の池とリンドウ池の間の道は 固い雪がこびりついた急な階段の連続で、 何度も足を滑らせた。 やがて座りながら進むようになった…。

雪が深くこびりついた階段 青空に突き刺さる石段。

雷鳥荘と室堂乗越、新室堂乗越 途中雷鳥荘が見えた。雷鳥荘の向こうにはだいたい標高2380mぐらいの室堂乗越、新室堂乗越が見える。この撮影地点もほぼ同じ標高だ。

周りが凍った大窪地のリンドウ池を見下ろしていると、 人のものと思われる足跡が池のそばの露岩まで続いていた。 あれは何が起こった跡なんだろう。

リンドウ池の堤の足跡 リンドウ池を周って西側から見ると、その足跡はなんとこっちへ向かってきている。あそこから落ちて、ここへ戻ってきたのだろうか。

リンドウ池の近くから一ノ越、浄土山 振り返って浄土山と一ノ越を望む。右手の山が浄土山で、その左に広くえぐれている真ん中あたりが一ノ越。 左手の雄山に至るまで、二の越、三の越とある。

歩き始めてから約50分、疲れたので無意識に雷鳥荘の近くの小屋の陰に座り込んで 数十分休んだ。眼下には雪の雷鳥沢が広がり、足元には枯れた高山植物群があった。 雷鳥荘でトイレを貸してもらい、地獄谷のよく見えるところまで行って、 そこにあった長椅子に腰掛けて、本格的に休んだ。 一応ここが目標地点だったし、それに地獄谷へ入れないこの時期は ここへ来たらキャンプ場へ下るか、引き返すしかなかった。 手袋をはずすともうずぶ濡れだったので椅子に平干しして乾かそうとした。 きっと手をつきながら階段を下りてきたからだ。 地獄谷を見ながら、地図を手に、詰め合わせのチロルチョコ、 パン風味のスナック「コパン」、レモン味のグミなどを食べ、 茶を飲みすっかり散策気分を満喫していた。

雷鳥沢ヒュッテとロッジ立山連峰 地獄谷のよく見えるベンチの北側。手前が雷鳥沢ヒュッテ、奥がロッジ立山連峰。

煙りあがる地獄谷のようす ベンチから見た地獄谷。左側に遊歩道が見える。 ベンチに座っていても硫黄のにおいはしなかった。

煙のない地獄谷 上の写真の右側にあたる風景。見えている川は称名川の源流の一つ。

雪の雷鳥沢キャンプ場を見下ろす 休んでいた小屋より少し先で。雷鳥沢キャンプ場の様子。

また、このあとどうするかを一緒に来たもう一人とで話し合った。 今は11時15分を回ったところで、 このままホテルへ戻るのもつまらないし…さてどうしようか。
時間があるから、雷鳥沢キャンプ場まで下って、 一ノ越の道を途中まで行ってみることになった。 ということで、15分ほどの休憩ののち、長い長い階段下りはじめた。 帰りことも考えずに…室堂ターミナルからキャンプ場の標高差は約130m. 手袋は意外なことに濡れが少しましになっていた。

雷鳥沢キャンプ場へ下る階段を見上げて 下りてきた階段を見上げた。目の前には雷鳥の足跡かな。

分岐点と地図 雷鳥沢ヒュッテ近くの分岐点までやって来た。

橋のない小川 小川には橋が掛けられず詰められるはずの木が抜かれているだけだった。ここまでくればもう水平道だった。標高は約2770m.

雷鳥沢キャンプ場に到着。幕営は一幕だけだった。

雪原にあるキャンプ管理所 雷鳥沢キャンプ場のようす。正面の稜線から下ってきた。

ここで地図をいくら見ても道が見出せない事態に陥った。 といっても、ここでは別に迷う心配はないのだが。 地図が古かったせいか、キャンプ管理所と橋の位置が違う。 それに橋も見つからない。管理所のほうへ歩いたり、 橋を探し回ったりしたが、浄土川を固定して地図を見るとわかった。 橋がすでに取り外されていたのでわかりにくかったのだ。

分岐点 キャンプ場の分岐点。T字路になっていて、右に折れると管理所で行き止まり、左手が大走り、一ノ越方面。

上の写真のT字路を左に折れると、桁の取り外された橋梁が見えた。 しかし川の水際へと下りていくと、そこには薄い鉄板の橋が掛けられていた。 幅は足の横幅ぐらいで15cmほど。雪害を避けるため、 木製の橋は取り外されるのだろう。ばらしたものが対岸にまとめておいてあった。 橋を渡ると左と右に道は別れ、右を進んだ、左は雷鳥坂、新室堂乗越への道だろう。 転々と赤のポールについた三角旗がはためいていた。 河原に出て、今までと違って急に道がわかりにくくなり、雪の中でも映える赤いペンキの印を頼った。

サイのかわら 「サイのかわら」と地図に書かれてあった。赤色の丸印が一本の線を描いている。緊張しながら先人の案内を次々と目で探していた。

サイのかわらから見る雷鳥沢ヒュッテとロッジ立山連峰 サイのかわらを渡る前に振り返って。真ん中より左に細く写っている階段の上にあるエンマ台からここまでの標高差は約100m.

サイのかわらのあたりは雪のない明るい山肌を見せる別山、 きょうは暗く陰鬱な真砂岳に囲まれて雄大な自然を感じられた。

まったく雪のない黄土色の山肌にハイマツの濃緑やこげ茶の枯れ草が目立つ 頂上付近ほど雪が多くなっている 別山の山肌はひときわ明るい。
暗く陰鬱な真砂乗越 サイの河原と真砂乗越。

サイのかわらの中ほどでは、道を見失いやすいためか、 赤いポールや、赤い旗、道標が頻繁に目に付いた。

赤いラッカーが吹き付けられた桃色のポール 目印のポール。

途中、そうは見えない三叉路に出た。大走り、テント場(橋)、一ノ越の三叉路だ。

三叉路のようす 三叉路のようす。道標が二つ見える。写真はかなり暗くなってしまった。

黄色の手作りの道標 2つある道標のうちの1つ。「1の越」なんてなんか山屋の隠語的表記みたいだ。

エスケープルートとして大走りを下る話はよく聞く。 上りでも使われるはずだが、道の先のほうを見ると恐ろしく大変そうな道だった。 積雪期や残雪期は上りも下りも難しい道になるという。

桃色の三角形の旗 こうして桃色の三角形の旗が現れ続ける。旗は寂しく風になびいている。 雪のない砂利道が続いている。

サイのかわらの中ほどの道は雪がなく、 ところどころ石垣を積まれ、セメントで補強されていた。 やがて小さな浄土川の支流を飛び石伝いに渡り、今度は雪深い平原が続く。 少し前にこちらに向かって歩いてきた人があるようだ。ワカンの跡がついている。

富士ノ折立、大汝山、雄山 富士ノ折立、大汝山、雄山の様子。写真中央奥に見えている、 左斜めの谷は小走り谷だと思う。

ごつごつした浄土山 続いて浄土山。雲が現れ始めた。このまま進んで中央左に見えている ハイマツに覆われた小さな山を登ることになる。

水平道に唐突にハイマツの尾根が現れ、それを上っていく。 これで標高差約60mを登り返す。今まで平坦だっただけにかなり急に感じられて、 スピードを落とさずどんどん登っていったら息が切れ、胸が冷たくなった。 この尾根の道はハイマツのトンネルになっていて、小さく屈んでの窮屈な上りだった。 大きな岩や積雪もあるためトンネルの中は覆いのハイマツから 地面までだいたい1.5m~1.6mの箇所が続くこともあり、 途中、閉塞感で怖く感じ、またハイマツの枝が目に刺さらぬよう 注意しなければならなかった。

ハイマツのトンネルを振り返って ハイマツのトンネルが一旦終わったところで振り返って。出口付近は開放的で閉塞感はましだった。

トンネルが終わると平らな道が続いたが、またハイマツのトンネルが現れた。 嫌だったのだが少し慣れていたためか短く感じたが、 さっきよりも屈まなければ進めなかった。
2つのハイマツのトンネルを抜けてたどり着いたのは、のびやかな雪原の稜線だった。 雪がほわほわのふかふかで、ライチョウの足跡らしきものが縦横無尽に走っていた。 もはや足跡を見かけずに進むことはありえなかった。

ライチョウの足跡

そして何と気持ちいいことか。左手には雪の山塊の立山が迫り、 右手は深い谷の浄土川、その谷の向こうは室堂平の遊歩道がついていて、 雷鳥荘そして次には立山室堂山荘が近づいてきた。標高約2360mで室堂平の散策路の 標高とほぼ同じ。雷鳥平から上ってきたのだ。
まさに天国という感じだった。

浄土山 歩いていると浄土山がかなりの迫力で迫ってくる。

厚いしつこそうな雲に覆われ始めた。天気が崩れるのではないかと不安になっていた。

雄山 ここまで近づくと、いつもの雄山の形は見られない。

雪原の稜線を振り返って 雪原の稜線を振り返って。

ただやはりライチョウを見つけることはできなかった。 真っ白のな中に真っ白の鳥なんてよほど鍛えられていないと 見つけられないだろうか。

右手に立山室堂山荘を見る 右手に立山室堂山荘を見る。東から雲が流れてきている。

少し晴れ間が覗く東に再び室堂山荘を見る さらに進んで立山室堂山荘を。これが約7分後の雲のようすでもあります。

室堂山荘は現在位置を把握するのに好都合だった。 ところが、このあたりで辿ってきたワカンの跡が消えてしまう。 まるで忽然と姿を消したみたいだった。 もしかして先人が、誤った道を正しく取り直したところを自分たちが 見失ったのではないかと思い怖くなった。 いままでの散策ムードは吹き飛び、頭の中がしいんと収縮し、 嫌な汗が流れそうなのを感じた。
足跡が消えたあたりから先も、今歩いてきた地形が続き、 それが道だと思っていたので、 とにかく、このような状況が信じられないという思いを抱きながら、 深雪を踏みしみて図らずも小走りに進んでみた

さらに進んで室堂山を見る この写真は少し落ち着いてから撮影。奥に見えている山は室堂山だろうか。

その先はガレ沢になっていて、浄土川の源流の谷へと沈み込んでいた。 これは絶対進む道ではないと思った。 一ノ越は標高約2600mでこのあたりは標高約2400mであり、 一ノ越へ行く道が下るわけがない。
ついさっきまではすばらしい天国だと思っていたのに、 急に自然の怖い部分が見えてきて、人に対して冷たく、 無表情に感じられるのだから不思議だ。 こんなことは初めてだったから余計に怖い。

また室堂山荘 ガレ沢をさらに進んでみて撮影。右手の小いさな丘が切れて、沢になっている。だんだん晴れてきたのはいいのだが・・・。

足跡のあるところまで戻り、山岳地図と地形をかなり真剣に見比べながら、 続きの道を探した。緊張と焦りの中だいたい20分ぐらいたって、 地図からして道があるはずの方向を進んでみると、ペンキの印と足跡を発見。 今までずっと左手に浄土川の支流の谷を見ながら進んできたが、 ちょうどその谷間が道と同じ高さになり谷ではなくなるころ、 右手に室堂山荘を見ながら左折して登っていかなければならなかったらしい。 積雪も深く、道には見えなかった。なお最新の山岳地図によると、 まさにちょうどこのあたりに迷うことを示す印がつけられてあった。 やはりわかりにくいらしい。夏ならもう少しわかりやすかったかもしれない。 低いペンキ印はだいたい雪に埋もれてしまっている。
こうして迷い始めて、最初に予定していたようにやはり引き返しかな、と思った。 しかし見出した道をもう少し進んでみた。

2つの大きな四角い岩に赤い丸印と矢印が書かれてある足跡のついた道 見出した道。2つの大きな四角い岩に赤い丸印と矢印が書かれてある。このあたりから次々とペンキ印が現れる。

この後、巨大な岩石にはさまれた急な登攀を要求する道に変わり、 かなり急な斜面の道には固く雪がこびりついていた。 もはやここまで、ここで引き返そうと思った。 ここからは本格的な準備が必要な道だ。 帰ろうと決めたその地点は雪でできた少し固い急斜面。 そこに腰をどっと下ろし、少し長めの休憩を取った。 迷った地点から手袋をした片手に持ち続けたユポ紙の山岳地図は、 手を雪につきながら進んだためすっかり濡れていた。 その地図を思い切りよく脇へ放って景色を眺めた。

引き返し地点から立山室堂山荘を見た
同じ地点から奥大日岳と室堂乗越付近

緊張と、そして登らないといけない意識から解き放たれて、少し安堵した。 私なりの最高地点だと思うと、ちょっと見栄えしない風景もいとおしくなった。
脇へ放った地図は、きっと自身の解放を意味し、 地図に少し風に吹かれさせたいと思ったのは、 地図を手持たなくて良い安心できる状況に仕立てたかったからかもしれない。
さて帰ろうというとき、脇に放っておいた地図が本当に風と氷でちょっとつるつると 滑った。するとあのときの焦りが蘇り、また、焦燥を救った地図への愛着が芽生え始めていたことに気づいた。私はそのユポ紙の地図をしっかりと手に取って、丁寧にかばんの中に入れ、ここをあとにした。
帰りは幅広く緩やかな尾根を思いっきりスキップして帰った。 ふかふかの雪は鋭いリズムで地に着く足をすっぽり包み込み、 そのたびにあたりに雪を撒き散らした。 左には深い浄土川の谷を挟んで室堂平がほぼ水平に見え、 右は別山と真砂岳の稜線に遠巻きに囲まれ、 奥には茶色くごつごつした奥大日岳が望まれる。 すっかり山々に抱かれた雰囲気だった。
一つ目のハイマツのトンネルまではあっという間だった。 だいたい18分だった。

ハイマツのトンネルの薄暗い入り口 トンネルの入り口。

雪の坂道はトンネル内へと続く 2つ目のトンネルを抜けたあと、振り返って。

2つのトンネルを抜けると、広々として穏やかな雷鳥沢を浄土川に沿って歩いていく。 途中の小さな祠堂の中には真っ黒に変色した五円玉がたくさん投げ入れてあった。 雪の中からはときどき赤いペンキ印のついた小さな石が顕れている。

雪のない新室堂乗越の稜線 新室堂乗越を望む。

雪原を見ながら目印となる「橋」の手前まで戻ってきた。

新室堂乗越への道 橋を渡らず直進すると新室堂乗越へ。赤い印とポールが見える。

橋脚だけの橋 橋脚だけになった「橋」。その手前に細長い鉄板が写っている。
橋脚のたもとにかかっている細長い鉄板の橋 これが例の鉄板橋。

いくつもの山小屋の最終営業日が書かれた赤枠の立て札 橋を渡った所にある山小屋の最終営業日案内。この橋を渡る人に再度確認を促しているようだ。なお、右側が黒くなっているのは、黒のテープが貼られてあったため。

そして橋を渡った先にあるキャンプ場で再び休憩。木製のテーブルについて チョコレートを食べて茶を飲んだ。いまはちょうど午後2時で、日の光の色が もう寂しい色に変わり始めていたが、こうしてお茶をしていると、 あたたかい光にも思える。だがこんなところでくつろいでいるのは なんだか妙に思われた。誰一人いない山々に囲まれた雪原だから…。

平地にある雪の三叉路 向かうときに紹介したキャンプ場内の分岐点。左に折れれば剣岳、大日岳方面。右に行けば管理所へ。

室堂平を見上げて 室堂平を見上げて。昼下がりの雷鳥平。雪が随分緩くなっていた。

雷鳥平から台形の立山を 最後に立山を眺めた。湧き出した雲はとっくに流れ去っていた。

このテント場もきっと夏季はにぎやかになるのだろう。 それぞれの幕営には、それぞれの生活があり、 炊爨している人たちや、寝転びながら星を見ている人、食事しているテントや、 ぶらぶら歩いてテントのあかりを楽しんでいる人。 今はその面影もない。爽快と緊張の雷鳥沢である。
ここで休憩しているときは、このあとどれだけ歩くことになるかを知らず、 ゆっくり散策気分で歩いて行こうと思っていた。しかし、また室堂平へ 登り返して室堂ターミナルまで行くには、自分の体力が持たないということに気がつかなかった。

休憩を終えて、室堂平への階段の始まりまで行く間に足がだるくなって、 階段を目の前にしたときになってはじめて、帰り着くのは一苦労だと気づいた。 なんとか登り終えて雷鳥荘前に到着。

雷鳥荘のようす 雷鳥荘の様子。室堂の建物の写真を収集中。

行きと同じように雷鳥沢を見下ろして ほぼ同じ場所から雷鳥沢を見下ろす。よく見ると剣御前小屋がうっすら写っている。

ここから血の池まで20分あまり、だらけながらひたすら短い階段を クリアしていくことに専念した。 もはや景色が目に入らない。とにかくホテルで安らぐことばかりを考えて。

冬の血の池 冬の血の池は単に氷った水溜りであった。

遊歩道脇にあった金属製の高圧ケーブル接続点を示すプレート モルタルの遊歩道を作ったときに高圧ケーブルも敷設したようだ。

ここからさらに30分ほど足を完全に棒にしながら惰性でホテルまで歩いた。 みくりが池周辺には、立山への来訪者がどっと現れていた。 きっと少し前に着いたのだろう。 その中の多くの人が三脚を据えて鏡のみくりが池のシャッターチャンスを狙っていた。 人が多くて、雷鳥沢との差が大きい。

4時過ぎになった室堂に差し込む日光はもはや弱々しい。 気温も少しずつ下がってきているようだ。 ちょうとホテル立山まであと80mあまりということろで、同行者が雪で転んだ。
雷鳥沢から約1時間20分、やっとのことで室堂ターミナルの建物になだれ込んだ。

ホテル立山の裏側の外観

とにかく何か食べたいと思い、バス乗り場の階まで行き、 はじめに目に飛び込んできたのがCoffee Shopとい名の店の 「ソフトクリーム」と書かれた大きなのぼり。 体が冷え切っていることも忘れて、何も考えず買っていすに座って食べた。 店にはツアー客がたむろしていたて、その視線を感じたが もうそんなことはどうでもよくなっていた。

食べ終えた後、ひどい悪寒を感じる。あんな気温の低い中歩きとおして ソフトクリームなんか食べたからだ。チェックインする前に 何でもいいから適当に食料を買出ししようかと同行者は言ったが、 私はもはやとにかく部屋で休みたい気持になっていたので、 いったんとにかく部屋へ入ろうと言い、チェックインして ベッドへ倒れこんだ。

Home |  > >3 >4 (次のページ:ホテル立山宿泊、そして3日目は下山し、黒部平へ。)