伊勢地方への旅─冬編 その2

暗闇の乗換駅

  列車が栃原駅を出ようとする前、私は終点まで下車することはないので、 あまり乗ったことのない2両目に乗ろう、と思い、2両目の扉を開けた。 その瞬間、しまった、と思った。 その車両に座っているのはすべて高校生で、 彼らのけだるそうで鋭い視線が一気に突き刺さってきたのだ。 しかも、ひざを抱えながら毛布をかぶり、 床に座り込んで眠りこけている女子生徒がいくらでもいた。 列車は交換待ちのためまだ動いていない。 戻ろうかと思ったが、すぐ手前のロングシートに一般の人が座っていたので、 その横へと座った。やがて列車は動き出した。 その車両はやたら眠たく生暖かい空気を運んでいた。 ふと三人の男子高校生がこちらにやって来て、 ロングシートの近くにあるトイレに次々入り込んで引き戸を強く閉め立てた。 その直後に煙草のにおい。「ああ、これはもうだめだわ。」そう思ったのだろう、 私の隣のおじさんは腰を上げて、1両目に移動し始めた。 そして、もちろん私も。
  1両目は対照的に整然としていた。 なんで2両目なんかに乗ったんだろうかと思った。 それにしてもあそこまでひどいとは。 ワンマン列車だから車掌はいなかった。 見た感じでは、いつもそんなことをやっているような感じだった。

  多気に着いて、すべての扉が開いた。 そのとき、トイレから出た二人が1両目の後ろになぜかやってきて、 ロングシートに座って眠りこけているさっきとは別のおじさん の顔を指差しながら声を立てずに笑い始めた。 おじさんはすぐにそれに気づいて目を開いたが、 寝ているときの同じ体勢のまま、眉をハのにして笑みを浮かべただけだった。
  ほとんどの人が亀山行きに乗換えとなった。 高校生たちはやはり2両目に集中して乗るようだ。 今度は間違いなく1両目に乗車。 列車が動き出してから、その車内にありありと立ち現れてきたものは、 マナー、ルール、そして社会というものだった。 それらがなくなると、あんなふうになるのだと知らされた。 やがてこの日最初に下車した六軒駅に着いた。 闇の中、簡易駅舎にぽつんと蛍光灯が灯っており、 午前に降り立ったときの情感とは程遠いものだった。

  明るい光を放つ津駅を過ぎて、 列車の走る紀勢本線はいつしか亀山駅構内に収斂され始めた。 亀山駅も乗換駅だが、明かりが少なく、結構暗かった。 ホームの端の方はどす黒く、そんなところで、 たくさんの仕事帰りの人たちが加茂行きを待ちわびていた。 寒さのために体をわずかに動かしながら。 やってきたのはいつものキハ120系で、2両だった。全員乗れるのか、と思ったが、 誰も立つことなく、わずかに席を残して全員着席できたようだった。 車両数はやはり計算してのことなのだろうか。 加太駅でひとり女性の降りたのが印象的だった。 きっと駅前にお迎えの自動車が待っていることだろう。

  山を登って柘植駅に着いた。大阪近郊区間の端である。時刻は7時を回っていた。 列車の到着したホームに改札口があったが、すでに営業を終えているようで、 きっぷ箱の前では、ほうきを持ったままのメンテックの社員が棒立ちしていた。 しかし私を含め降りた人のほとんどが、改札口を通らず、 跨線橋をどたどた渡って草津線ホームへと移っていった。 草津線の列車は入線していたが扉が閉じており、開けようとしても開かなかった。 ホームは寒がじいんと染み渡り、外で待つには寒い。 ホームにある広くて明るい待合室で待とうと、引き戸を引いて、中へ入った。 別に新しい待合室ではなかったが、 明るい色の木目の壁がこうこうと光る蛍光灯の照明を反射し、 ほかに余計なものもなく、すっきりとしていた。 すでに何人かの人は、そこで温かいコーヒーを飲んだり、 読書したりして待っている。 ふと外を見て、停車している列車が湘南色だけでなく、 小浜線カラーとの併結だと気付いた。なんでこれがこんなところに…。 連結部から小浜色の車両をみて。
  車両を見に再び冷たいホームに出ると、 まるでホームに木立やブロンズ像があるかのように、 ところどころに立って待っている人たちが背景に溶け込んでいた。 待合室で待つ人もいれば、ホームで待つ人もいて、人それぞれでおもしろい。 待っている人たちは、ホームと待合室にいる人たちを合わせて20人ぐらいだった。 しかしそれきりで、ほかのホームに人はおらず、 さっきほうきを持っていた人もいつしか消えていて、駅員もいない、 列車が頻繁に到着する気配もない夜の山あいの乗換駅は、 列車が来なければどうしようもないという駅だった。
 ふと改札の向こう側の人影が視界に入った。 駅舎内の明るさの中に、一人の男性が改札内をうろうろしながら、 携帯電話で会話をしていた。 その光景を見て、こんな駅で最終の乗り換えを逃したらどうなるのだろう、 と考えたりした。

  草津線の列車の扉が開いた。 ここから草津駅までの乗車がいちばんのびのびできる。 人は少ないし、ほとんどボックスシートだから。 したたかに揺られながら、草津駅へ。 草津駅は滋賀県内で最も利用者が多く、駅前にはボストンホテルもある駅だ。 時刻は夜8時を過ぎ、そこで私はすっかり都市の放つ光の溶媒に溶かし込まれた。

伊勢地方への旅─冬編 その2 : おわり

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