(北陸本線・つるが) 2006年8月
2006年8月15日に敦賀駅を訪れ、それから真夏の敦賀市を歩いた。 敦賀駅から徒歩で敦賀港駅へ、そして金ヶ崎宮へ登り、敦賀湾を見渡した。 終戦記念日で、お盆も真っ盛りの日だった。
列車が新疋田駅に停車すると、 ステップを登るようにして父と子が乗ってきた。 ホームが曲がっているから隙間と高さができているのだ。 ふたりは近場に行くような軽装で荷物があまりなかった。 父の方はたいそう体が大きく、 生の脚は長い毛だらけの頑丈な丸太みたいで、 サンダルの先からも、手の指の何倍もあるような足指が長い毛を伴って突き出していた。 子は10歳ぐらいの、小さい男の子で同じような夏の恰好をしている。 2人は私の前のロングシートに掛けたが、 私の後ろに見下ろすような車窓が写ったのを子供が見たがって、 2人でこっちに座ってきた。 首を捻って車窓を見下ろし、楽しそうに会話している。 きっと遊びに行くのだろう。次の敦賀駅で降りて、海水浴場へでも行くのだろうか。 しかし、そういえば車掌は切符を売りに来なかった。
列車は新疋田駅から山裾を走り、 右手の窓に谷の町を見下ろすようにして下っていった。 市街地が見えかけると、車窓からも川の名を書いた看板がよく見える「笙の川」を渡り、 緩やかに大きくカーブしたかと思うと、もうそこは敦賀駅構内だった。 419系の大きな冷房音とモーター音から開放されて、暑いホームに降り立つと、 山々を抜けてようやっと北陸にやって来たという感慨が沸いてきたため、 海のあることを思うとなおさら、さわやかでのびのびした気持ちになった。 空は雲がほとんどないに等しく、なんともすっかりと晴れきっていて夏らしかった。
多くの人にとって夏の旅の一刹那である、 列車の冷房音の響く蒸しかえるホームに立っていると、 列車を降りた人たちはあっという間に引けていった。 だが到着した列車は枯山水の前でまだ轟音を立てている。 広い視界を求めて見回すと、すぐに隣の小浜線のホームが目に飛び込んできた。 ホームの向こうの乗り場に、 青緑の太い線の入ったステンレスの列車が2両で待機している。 ドアが1両に3つあるから、円滑な乗降を図った車両だが、 そのような車両が2両で小浜線を走るのは意外だった。 もっとも、中央のドアは普段は開かず、そこは座席となっているようだ。 ホームの上屋を支える柱のカラーロープが、 このエメラルドのラインの入った列車に彩りを添えているように見えた。
乗ってきた列車は4番線に入線。入線後、
この419系を撮影者している人が何人かいた。
ホームにはなんと枯山水が。
小浜線のホーム。
敦賀駅の中でもここだけは最新の普通列車が停車する。
4番線に停車している乗ってきた列車。
上のほぼ同じ位置から、反対側である新疋田方面を望む。
構内の大きなカーブがみごとだ。切り欠き式の5番線も見える。
5番線の手前。広告がなくて国鉄風の風景。きれいに清掃されている。
このあたりに1,8,11号車などの先頭車両がやってくるようだ。
降り立った3・4番線ホームを新疋田側へ歩いた。昔風に広く幅を取った詰所の脇は細くなっていて、そこを通り抜けると、上屋のがらんどうだった。いくつかの柱にノリホ入れが掛けられ、号車案内の吊り下げ札は無風で揺れもしない。そこを歩き過ぎると、新しいホームだった。ここが5番線ホーム、湖西線専用乗り場になる。ホームを幅を削って乗り場をこしらえたから、ずいぶんと狭い。敦賀から長浜、永原から近江塩津の直流化のあかつきにはここに新快速が停まるらしい。直流化開業の宣伝看板もひときわ大きかった。
新しい5番線から山側を眺めると、夏草の繁茂する操車場が見渡せた。おそらく現在はもう使われていないのだろう。昔なら子供の遊び場になりそうな風景だ。その向こうにはいくつか工場が見えたが、それらは笙の川を挟んだすぐ向こうにあることになっている。その川までが駅構内。川は見えないが工場は遠いから、駅構内はよほど広いらしかった。地図には川を跨いで工場への引込み線が描かれていて、貨物列車の活躍も想像された。
構内に突き出している切り欠き式5番線ホーム。
緩くかさ上げされたため地面は真新しい。
直流化開業の宣伝看板。
5番線の駅名標。もちろん矢印は新疋田駅のみに入っている。
5番線から4,6,7番線を望む。
緑の生い茂る留置線の風景その1
留置線の風景その2
架線が終わっている。
5番線終端付近。構内進入のカーブがよく見える。
5番線乗り場の上屋が切れると、ついにかさ上げはなくなり、建設当時のコンクリートの床が、白い点線が引かれるままとなった。隣の小浜線ホームもここまで長いく続いていたが、もう屋根もなくて、低く赤茶けたホームが伸びているだけ。使われていない部分なのだろう。でもそうして上屋がないおかげで、街の風景がよく見渡せた。広い駐輪所と駐車場で、その向こうにこの街のビルがあるのだが、駐車場のあたりはゆくゆく再整備されそうな雰囲気だった。
小浜線ホーム端にあった、JR貨物の建物。
1,2番線と駅前駐輪場、駐車場を望む。
構内から見える天筒山。
5番線のあるこの新しく細いホームの、敦賀市街側は、乗り場番号を与えられず、ステンレスのポールがずらりと立て並べられていた。この乗り場の市街側を使わないからなのだけど、そこに近寄るようにして福井側を見ると、敦賀の人に親しまれている天筒山がよく見えた。ごくふつうの里山に見えるが、山頂に公園、展望台がある。今日行ってみるのは、あの尾根が海に突き出すところだ。
こうして小浜線ホームと敦賀市街側を眺めていると、しらさぎ3号が進入して来てタイフォンを一発投擲した。近江今津行きの列車も到着していないのに、その停車ホームに私がいたからだろうか。
小浜線ホームを望む。
3番線を示す電照式番線表示。ステンレスの枠の角が丸いもので、
枠も既に白錆を浮き出させている。すべり込んで来たしらさぎと共に。
となりのホームの風除け。
しらさぎのテールライトについていくように階段のほうへと戻ると、隣の小浜線ホーム
に結構古いものが見つかって、風除けが木枠に入ったガラスだったりした。上屋も山型で木造だ。そしてそのホームでしらさぎの後尾にカメラを向けている男の子の姿が目に入った。
11歳ぐらいで、カメラを両手で構え、ケースを手から紐でぶら下げていて、荷物はそれだけで、風貌もさっぱりしていた。私が改札を通るとき、駅員の手元の回収箱をふと覗くと、入場券が2,3枚見えた。この子もこれを使って、駅へ来たのかもしれない。
その子は撮り終えるとすぐにカメラをケースにしまって、子供っぽい足どりで去っていった。ケースにしまわないと怒られるのかな。
駅では何人かの大人たちも撮影をしていた。
駅が代々鉄道を撮る人を育むようで、微笑ましかった。現実はそうとばかりいえないらしいけれども、この日の敦賀駅構内は、そんな思いに更けさせてくれるようないい雰囲気だった。
5番線ホームから3・4番線ホームに入るころ、上に古めかしい「出口」という黄色い内照式案内板が吊られていた。しかしそのすぐ先には新しいプレハブ小屋がでんと控えていて、表示の威厳をすっかり損なってしまっておかしかった。この黄色い電灯がホームの中央で堂々と出口を案内していた国鉄時代からずいぶんと時が経ったが、こうしてところどころそのころのかけらが駅に残っている。
ところでこの3・4番線ホームは、特急は下りしか停車しないが、ホームの造りも、ホームの設備も、3つあるホームのうち、いちばん充実していた。山側の上り特急の停車する6・7番線ホームを見てみると、駅弁屋は新しくなっているものの、おとなしい居室型で、
こっちの昔のままの開放式は、活気が伝わってきやすかった。また、天井の枠に巡らされた駅弁屋の表示もこっちのは内照式だった。どちらとも塩荘 (しおそう) というお店で、小鯛を使った元祖たいずしや越前かにずしの弁当、お菓子、飲み物を売っている。これが古里の味となっているのかな。売店の近くには中学生ぐらいの男子3人組がいた。これから3人で電車に乗って、どこへ行くのだろうか。忘れがたい記憶がまたこの駅から作られるのかもしれない。また、下り雷鳥がこのホームに停車したとき、片引きの扉から1人の若い女性がキャリーを持ち上げて、疲れたように、とんとホームに足を降ろし、階段へ向かっていった。
間違いなく里帰りで、大阪からでもやっぱり特急を使うんだと思った。
「出口」の表示。電照式番線表示と同時期のものだろう。
左手はさきほどのしらさぎ。
上の写真のプレハブ小屋を右に回って4番線と6・7番線ホームを見る。
先ほどまでここには乗ってきた列車が停まっていたが、すでに発車している。
作業員用の通路。向こう側のホームのへりに「左よし、列車接近、指差確認、右よし」と
蛍光塗料で書かれていた。駅員や乗務員は使わないようだった。
3・4番線ホームの駅弁屋「お弁当・お茶の塩荘」。
駅弁屋を越えて階段の下り口へ。
階段を反対側に回りこんで。
駅名標。
1つしかない階段を下りず、その先へ入り込むと、そのあたりは主に喫煙コーナーになっていて、風除けが遠くまで続いている少し殺風景なところだった。ここの風除けは木枠ではなくサッシが入れられている。しかし全体的にクリーム色の色調が支配していて、褪せたクリーム色の鉄骨の骨組みが、いろんなものを知っているようなやさしい色だった。
街側ははっとするぐらい街の片鱗がいろんな色に輝いていた。雲ひとつない空の下に、駅前通りに沿って建物が並んでいる。しかし建物だけ見えて、道路は見えない。敦賀駅との表示が水色でこちら側にも出ていて、海色だった。風景の突き当りのずっと向こうには、敦賀半島の付け根にあたる三内山が暑さで霞むような薄い緑色で座り込んでいた。天気が良くて、これからの市街探訪が楽しみになった。
階段のはずれ。
3番線から小浜線ホームを望む。
3番線からの一風景。水色の敦賀駅という表示は
ターミナルだけではなく、構内にも向けて設置されていた。
以前はこの表示はオレンジ色だった。
4番線に寝台特急トワイライト・エクスプレスが入線するということでホームの中央あたりが騒がしくなった。敦賀駅のイベントの一つであり、乗客にとっても楽しみの一つである、機関車の付け替えが行われるらしい。階段前まで戻ってみると、駅弁屋が一気に賑わっていた。裏側に回ると、たまたま開いていた戸口から店の人の視界を味わえた。手元もせわしく動いて、忙しそう。こういう店は忙しいころあいと、そうでないときがはっきりしているのだろう。先頭車両では降りた乗客たちが車両に片手をついてポーズを決め、次々と記念撮影をしていた。撮影が終わった人たちもまた、店に列をつなぎはじめる。
一方3番線には富山港線の運用に就いていた元急行車が来たりで、いろんなおもしろい列車がつぎつぎと滑り込んでくるものだ。素朴な石張りのホームの床に、臙脂色の車輌が溶け合って、そっくり昔の時間が再現されたようだった。その列車の後ろに行くと、列車を簡単に撮影している人がいた。たぶん旅の記録で、これからこれに乗るのだろう。いろんな人の旅が交錯する夏の敦賀駅だった。
トワイライトの乗客で賑わう駅弁屋。
いなくなった機関車の近くでは記念撮影が行われていた。
3番線に停車する列車。枯山水付近にて。
列車の後尾。同じように撮影している人がいた。
上の写真に写っているノリホ入れ。マス目に数字の書いた紙辺が何枚か入っているようだった。
3・4番線ホーム、待合室内の風景。左に元急行車。
いよいよ階段下へ。
地上へ下りる階段。
階段を見上げた光景。毎日の駅の利用者なら記憶に残りやすい風景だ。
ホームから階段を地下へと沈んでいく。北国グランドホテルの内照式広告がしだいに視界に刺し込んでゆく。
やっぱり北国に来たのかと思う。
階段を下りきると、緑色の床で、違うホームへ行くトンネルが両方向に
延びていた。少し剥げかかったこの緑色の床と、上からの光差し込むトンネルのさわやかな薄暗さとで、海水浴のことやプールの施設を思い出した。
その床の上を、そして、明かりの点る北国グランドホテルの看板の下を、旅客や乗務員が行き来したり階段を下りてきたりしている。このあたりはにはいくつか案内板が出ていて、通路の要衝みたいだ。「列車編成案内」には、編成の模式図と名前と、赤ランプが配されてあり、ランプの点っている編成が、次に来る特急列車となっている。ランプの配線はホームの吊り下げ札のランプにも繋がっていて凝っているが、案内板も吊り下げ札のランプも、ぱっと見てわかるものでもなく、特急列車の案内には苦労があるようだ。しかし確かに敦賀駅らしいものの一つで、親しみを覚えた。また、ここには5番線のりばは150m先とも出ていた。さっき歩いた、切り欠きの新しいホームだ。新快速が着くようになると留意する人が増えるだろう。
山側の6・7番線ホームへの通路はちょっと階段を下りるようになっていて、通路に複雑な造りを与えていた。その通路は後から造り足したため、こうなったようだ。
北国グランドホテルの宣伝が支配する一角。
階段の壁に取り付けられてある「列車編成のご案内」。
6・7番線への通路。ちょっと階段になっている。右手が下りてきた階段。
手前の4・5の電照式の案内は三角柱になっていて特徴的だった。
6・7番線ホームへ。
ここにも列車編成案内がある。点灯しているのは5両編成のしらさぎ。
それが6番線に停車するらしい。
いちばん端に当たる6・7番ホームに上がった。とたんにもわりとした暑気、鉄道の響き。左に特急しらさぎ、右に419系の普通列車が停車している。この階段より南今庄側はホームの外れかのようで、誰もいない。ホームは先の方で陽射しにあふれて終わっていた。反対側に向かうと、隣の3・4番線ホームと同じように、売店、待合室、いくつかの自動販売機があり、よく利用されるホームであることを物語っている。今ちょうど係りの人が手押し車に缶飲料の詰まった箱を載せて押してきた。暑い日だから、よく売れているのだろう。
このホームには、敦賀止まりと米原方面の列車が発着することになっていて、隣のホームと比べると少し華やかさにかけ、全体的にこざっぱりしていた。しかしホームが駅の中でも端にあるから、陽炎の立つ緑の生い茂る中に留置線や、シェルターのあるのがよく見え、駅の裏側の風景を楽しめた。また、駅構内の外郭を感じられ、それで規模の大きさも感じられた。ひとりジャクエツの内照式広告が暑い空気の中、屋根から下がり、遠くの緑を背景に浮かんでいる。若狭の若と越前の越だろうか。この広告を見ると北陸に入った、そして敦賀だなと思う。
このホームの上屋だけはV字型になっていて、ほかのホームの山型の上屋と違っていた。きっとこのホームは後になってから造られたのだろう。さっき通ってきた通路は、これに合わせて新造したものになるようだ。
6・7番線ホームの南今庄側。地面は臙脂色のタイル石になっている。
しかし妙な所に太い柱がある。
上の写真の反対側。左に419系、右に5両編成のしらさぎ。
一番左のプレートのランプがともっていて、
さきほどの列車編成案内と連動している。
待合室。奥に駅弁屋塩荘の入り口がある。両方とも近年新築されたようだ。
売店塩荘。店の名前の表示にはライトを当てるようになっている。
売店を過ぎて。6・7番ホームの新疋田側。こちらも閑散としていて人はいない。
右手にトワイライトが見える。どうやら付け替えの真っ最中らしい。
構内の風景とジャクエツの内照式看板。
構内のはるか向こうの高台に何件か家にあるのが見える。あれが泉ヶ丘町。
7番線に出発前の419系。こちらはもとの運転台のままだ。
階段前にて。階段上だけは光が差し込むようにしてあり、明るい。
左手は出発前のトワイライト。
改札口への通路その1
改札口への通路その2
3,4,5番線ホームへの階段口を過ぎたあたりから。
地下通路に下りて、改札口のほうへ向かった。通路の中ほどで天井が、アーチに変わる。比べてみると、地下道は四角い箱より、こうしたアーチのある方が良かった。突き当りまで歩くと光の差し込む窓ガラスで、左に折れているが、その大きなガラス窓からは鯉の泳ぐ池がよく見えて、驚かされた。そのあたりは駅庭となっていて、石灯篭や花壇があった。
この庭は駅長の肝入りなのだろうか。駅の雰囲気をとても良いものにしていて心を打たれた。通路の窓も大きいから、歩きながら見られるところがいい。この庭のあるのが当たり前の敦賀駅を使う人も、知らぬうちにこの風景に癒されているのかもしれない。
通路のうち庭のない方は白い壁で、そこには郷土色豊かな内照式広告灯がずらっと並んでいるのを見たときはちょっと胸ときめいた。やっぱり北陸の駅。しかも広告灯は見る人の側に傾斜までつけてあった。大都市の新しい駅になるとたいていは壁への埋設となるが、
そうなると雰囲気はまた違ってくる。庭と郷土の色に挟まれた、駅の通路。根本的な故郷の駅が想い起こされた。
庭に沿った幅のある通路を歩ききると、緑の床の広い、明るい三叉路に出て、左が小浜線ホーム、右が改札口。ここは、特急が着いたときには、駅の交差点、という感じになった。改札口の向こうも多く人がいて、心地よい程度の混雑を作り出していた。かつてはいつもそんな感じだったのだろうか。
足元から天井付近までの窓ガラスからは立派な鯉のいる池付きの庭園が見られた。
左:改札口への通路。
右:電照式の広告。
賑わう改札口。
「~ようこそ海の街敦賀へ~」のプレートがあるが、目に留まりにくい。
人が引けたころの改札口。
改札口前の広場。直進すると改札口、右手に折れれば3,4,5,6,7番線、
左折すればお手洗と駅事務室へ。
トイレから出てきた付近からの風景。
左に行くと3~7番線、右は小浜線ホームで1,2番線。
さきほど通ったばかりの3~7番線への廊下。
改札を出た付近からの光景。直進すると小浜線ホーム。
小浜線ホームへ。
小浜線に乗るわけではないけど、小浜線ホームに上がってみた。せっかく三叉路が明るかったのに、歩いていくと天井が低くなって、そして暗くなった。階段を上って、ホームへ。東舞鶴行きの列車が停車していた。これが出ると当分出ないから、逃したらたいへんだ。 列車の横では、10人ぐらいの人たちがホームをうろうろしている。自動販売機でも探しているのだろうか。列車の中を覗いてみると、座席はほとんど埋まっていて立ち客までいる。 駅に来てから、ときおり小浜線ホームを見ていたのだが、本線の特急が停車しては、ぱらぱらと小浜線ホームに人が行って、このワンマン列車に入るといったことが繰り返されていた。実はこの列車、1時間14分も停車していて、いよいよ発車時刻が近づいている。発車も、満を持して、というものになりそうだ。今日は8月15日でお盆真っさなか。きっと北陸本線の特急からこれに乗り継いで故郷へ帰る人や、種別普通の列車を乗り継いだ旅行者やらで混雑しているのだろう。小浜線はなにせ本数が少なく、1時間に1本ないときもあるぐらい。しかも、保線のためか区間によっては丸1日運休することもある。時刻表を見てみると、特急リレー号がおもしろい。敦賀を6時37分に出て、各駅に停車しつつ8時25分に東舞鶴着。そこで特急まいづる4号に1分接続する。なおこの特急リレー号だけは、ワンマン列車の運用とはならない、ホームの時刻表には、そういう印がしてあった。
10時44分発、東舞鶴行き、ワンマンカー。
先頭車両より先のホームの様子。
上の写真の位置よりさらに先にある、
喫煙コーナー付近の風景。
ここの風除けは木枠のままだ。
左:慎重に減速して入線する雷鳥9号。
右:停車中の雷鳥。ガラスが青い。
小浜線ホームにいると、向かいのホームの3番線に金沢行き雷鳥9号が入ってくる。この車輌ももうすぐ運用を外されるという。到着前に車内に流れるメロディーが印象に残っている。そのメロディーが、越前花堂を通過しながら聞こえてきて、福井駅の案内が出ると、特急雷鳥なんだなあと思ったものだった。
線路越しに中を覗くと、青いガラスの向こうに車販員がカートのセッティングをしているのが見えた。そろそろ弁当が売れるころだろうか。
小浜線のワンマンも出て、この雷鳥9号も出ると、怖いぐらい人影が消えた。後で調べると、その2本が出た後に、構内の端の方から10時46分の米原行き・しらさぎ56号と、
10時49分の普通・長浜行きが出ると、次に敦賀駅に入ってくる列車、11時29分の富山行き・しらさぎ5号までは列車はいっさい発着せず、40分間の空白があった。
ほんとうに、ぱたりと人のゆき交うのが絶えて、真夏のお盆。見渡すと、ホームは7番線までがらんどうになってしまった。まことに不思議の光景だったが、時の流れがすっかり緩やかになって、もうひとつの世界にある敦賀駅にいるような感じがした。
小浜線ホームの屋根を見上げると、一角にクリーム色の木組みが詰まっていた。風除けは低い壁で、小さなサッシの窓が入り、小さな家の一部分のようだった。
隣のホームには大きな詰所は脇が狭くなるほど堂々と構えている。しかし外からも中からもまったく見えないように、ガラスの透過性をなくしてあった。この沈鬱な夏のホームのただなか、あの詰所はどんな動静を宿しているのだろう。
小浜線ホームから見た3,4番線ホーム。6,7番線ホームまですっきり見通せた。
隣の3・4番線ホームにある広い詰所。
小浜線ホームの風除けと椅子。
階段に近いところにある風除けと椅子。
この広告の列車の行先表示、よく見るとちゃんと「敦賀」とLEDで表現されてある。
この小浜線ホームにも直流化宣伝の大広告が入っていた。敦賀駅の中ではいちばん凝ったものだ。しかし、ここは敦賀駅なのに、さっきからどの広告も関西向けのものになっていた。「敦賀行き、新快速」というフレーズの入った宣伝や、敦賀市・福井市の名所ばかりの組み合わせた写真の大パネル。
それはこの直流化が近畿圏から敦賀に人を呼び込むという、敦賀市による大きなイベントで、そのホストが敦賀市、ということからくるのだろう。こうやって地元のイベントの告知が、日々目に付く場所に貼られると、しだいに新快速が北陸の敦賀に来る、というわくわく感が募ってきそうだ。しかし愛知万博のポスターが名古屋駅に並んでいても何もおかしくないのに、ここで疑問を抱いたのは、交通としては双方向だからなのだろう。
均衡でないことを知らされたようだけれども、敦賀に来て、旅心地に浸れて気持ちが洗われるのなら、それはたいせつな街。しかしいやにじっとりと、暑い…。燃える天蓋には雲もたったの一つのかけらで、それすら消えかける寸前だった。ホームから見える北陸電力の広告の水色に海を想いながら、その横のデジタル温度計を見ると……32℃. ここは関西の避暑地とはなりそうにない…。だから敦賀の清冽な海の水を拝したくなった。
小浜線ホームから敦賀市街を見て。
32度。うっすら赤く表示されている。
この小浜線ホームにいると、駅舎の屋根が近く、駅舎を見下ろす感じになり、ちょっと敦賀駅のおもしろいところだ。見下ろすと駅舎の裏側だが、そこはやけに生活感溢れる風景で、鉄道員の生々しい生活が窺われた。ビール瓶ケース、酒樽、電気炊飯器、洗濯機、物干し、2,30本の傘(たぶん忘れ物)。夜間に長時間詰めている人のためのものだろうか。
小浜線ホームの出口に差し掛かったころ、2パン下げ、という標識があった。
湖西線を高速で走破してきた雷鳥は、ここで第2パンタグラフを下げる。ここが長距離列車の拠点で、何かに備えて準備をする地点、また一休みの地点であることを思わせた。しかし、この表示のある2番線に下り特急が発着したのは小浜線直流電化の前の話で、
そのころのものが残ったものかもしれない。
ホームから見た駅舎。線路が高いからもし駅を橋上化したら階段が長くなりそうだ。
市街側に付けられた小浜線No,2の木製の表示。
風雪にさらされたためか、もうぼろぼろ。
時刻表。赤い字が目立つがそれはすべて優等列車。
いつまでもこのような時刻表が見られるわけではなさそうだ。
小浜線ホームの出口。
電照式出口案内板。これに明かりの灯っているのをみたい。
右には「2パン下げ」と書かれた表示。
階段を下りて。
改札口へ。
階段を下りて石の空間に入り込むと床が深緑で光が差し込んできていた。先の方に改札口というゲートがあって、その先が砂浜か海辺のようだった。コンコースは空白の時間にあり、ひっそりとしている。特急に乗り込む人で混雑していたコンコースが嘘のようだった。改札口のボックスには誰も入っていなかったが、もぬけの殻というわけではなく、一人の駅員が改札を出たところで徘徊していた。
改札口前の三叉路広場は、左手が壁ではなく、柵や広告灯などで囲っていたから、冬はきっと寒いだろう。そこからは路盤の盛土がちらっと見えた。夏の今は、白い天井と緑の地面、そしてこの造りが開放的だった。
そういう駅の中の片隅に水槽がある。どうも魚を飼って見せるのが駅の趣向
らしい。その水槽の横に、さきほどの庭への出口があり、外に出てみると例の池をじっくり観察できた。アスファルトは日が照っているけれども、池は駅舎よりだから日陰で、たゆたう緑の水に緋鯉が遊んでいた。淡水の匂いだった。海産物や潮風から離れて、土へ帰っていくようだった。贅沢な駅だった。
上の写真の右端に写っている水槽。この水槽脇の出口を出ると…。
駅庭。石灯籠が少し傾いているが、丁寧に調えられている。
左奥には例の池がある。
改札口も、その先のコンコースも、がらがら。切符を渡すと、駅員は緑のはんこを押して回収箱に入れた。それと同時に、改札口の左の隅にある時刻表を眺めていた若い女の人が、その駅員に次の特急列車について訊ねた。駅員はすっかり覚えていて、すぐに滑らかに返答した。改札を出ると左に待合室の入口、右にみどりの窓口がある。正方形なコンコースで、まっすぐにはもう街が見えている。壁の高い所に明かりの灯るいろいろな広告が私を迎えてくれた。それから初めて、天井の高いことに気づいた。天井には簡素なシャンデリアのようなものがあって、大きな白熱灯が幾つもあったが、これがつくとしたら、このコンコースにいろいろな光が交錯することになる。
改札口を出て。
天井は高く、シャンデリアのようなものがあった。白熱灯だ。
上の写真の右手。待合室の入口がある。
待合室の中に入ってみた。中はとても冷房の利きがよかったが、人が大勢いて、椅子がすべて埋まっており、立っている人もいるほど。まさに大入りだった。コンコースが空っぽだっただけに、意外だ。こうして人々が一つの居室に詰め込んでいるのは、暖房が効いているようで、冬のようでもあった。食品、飲料、雑誌などを売る「ちゃお」という売店があり、缶とカップ式の販売機、テレビも置いてあった。ちょっと売店に入って時刻表のコーナーに行き、北海道時刻表を見たりした。びしびし冷房の効きはぜる中、人々はときおり会話したり、飲み物に手を出したりした。しかし離れるときは席を維持しようと必死になっている。 バスを待っている人もいるのだろうか。
観光案内所をコンコースの反対側に抜けて。
入ってきた扉とは違う、奥の観光案内所に近い扉を押し開けて待合室から外へ出ると、
むうっ、重たい熱気が押し寄せてきた。タクシーは相変わらずドアを開けてずらっと並んでいて、駅舎出口の方では、中年も過ぎ去りかけた女性が大きな声掛けで弁当を売っていた。
駅舎から人が出ると、また、駅舎に人が入る前に声を掛けるといったふうだった。その声がやけに印象に残っている。それは呼び込みの文言は正しくとも、どことなく投げやりで少し雑な感じで、その掛け声を聞くと、あ、売れてないな、とわかってしまい、逃げたくなるようだった。
外はとても暑かった。
その露店売りの元に偶然同業者がふと近づき、あいさつすると、一本売れただけ、と、そのおばさんが厳しそうな表情で苦笑いしながらいうのを聞いた。お盆の白昼に転げ落ちた露天売りの声と、待ちぼうけのタクシーの行列は真午の底に沈んだ、ため息みたいだった。
駅舎の入口脇に敦賀駅100周年を記念した動輪のオブジェがあるのを見つけた。それは、そのすぐそばの鉄輪 (かなわ) 町という緑の街区表示板と共に、この街がかつては鉄道の発展と共に歩んだ街であることを示していた。
待合室を出て駅舎入口まで歩いたとき、ビジネス旅館「松屋」の和風の建物が妙に目立っていたのだが、もう今、その近くまで来ている。玄関口は奥まった雰囲気で、中は隠れ家風なのではないか、と想像した。たぶん宿はこれがいちばん駅に近い、というより、いちばん改札口に近い。
正午に近づこうとする駅前は暑くて湿度が高く、ますます昇温しそうで、これから歩くことになるだろう、目の前に伸びる歩道では、アーケードが影を作り、重宝しそうだった。
回廊を歩いて、駅舎出口の前からの風景。
左のくすんだ赤色の入ったビルに「ビジネスホテル山形」の看板が出ている。
駅すぐ近くの「松屋」というビジネス旅館。
動輪のオブジェ。敦賀駅開業100年を記念しての設置だという。
200年を目指して、と書かれているが、そのときは2082年。
北陸新幹線にリニアモーターカー?
鉄輪町1丁目1番地に敦賀駅駅舎がある。
駅舎を離れて初めて現れるアーケード。「松屋」の前にて。
「小鯛のささ漬け」を売る店が見えている。
その昔、北陸本線に駅があった杉津を通るバスが停まっていた。
ずっと向こうまで続くアーケード。
アーケードの影に入って歩きはじめると、さっそく小鯛の笹漬けの広告を出した店があって、敦賀らしい感じだ。また近くに杉津 (すいづ) を経由するバスが停車して、ここから簡単に旧線へ達する手立てが残されていると知り、旅の広がりを感じた。高海抜の旧杉津駅からの海景色、そしてこの地名の響きはとても涼しい。
そのまま歩道を歩きつづける前に、ちょっと道を渡って、駅の前の中庭に入ってみた。ロータリーの中心にあたる所で、芝生があり、何本かの木が植えられ、噴水と鮮やかな花の咲く花壇が駅前を彩っている。
駅を正面に見た右手には、アーケードとは違う、鉄骨に支えられた角張った波状の屋根が延びていたが、その上に北陸新幹線や直流化や切符の宣伝広告があり、また駅舎の庇にもいろいろ吊られてあったから、ちょっと広告が多いようだ。色とりどりの広告がいくつもあるのは、冬の曇天のときの気持ちから来たのだろうか。
中庭の様子。彫刻がいくつか置かれてある。
以前はきらめきビジョンが立ち誇っていた。
中庭から港方面を見て。爽快な夏空の下に一直線。
噴水とグラジオラスと敦賀駅。
太陽の下に出ていると、肌にじわじわと染み込むような暑さだったが、お盆の真午のためか、がらんとした駅前では噴水とグラジオラスがきらきら輝いていて、 その光景はきらめきに捉えられた。海の方を振り返ると夏空の下に駅前通が伸び抜いている。周りの建物が低いから空の青い光がすっかり気持ちよく街を覆っていた。 ふっとこの先の港町に想いが飛んでいった。やや早足で中庭を出て、影のある歩道に戻り、その港を目指した。
(直流化後は、5番線は4番線に、4番線は5番線へと呼び方が変わりました。)
夏のきらめきみなとまち─敦賀駅から敦賀港駅をめぐり金ヶ崎城跡から海を望む小旅行 :
1 (敦賀駅)
> 2 (街を歩いて港町と敦賀港駅、そして海を見下ろす金ヶ崎城跡へ)
> 3 (王子保駅へ)
> 4 (今庄駅へ)
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