Blotter

2020年12月24日 2020_12_24(1)

ここに文章を書きます。

2020年12月24日 2020_12_24(9)

テスト。

2020年12月24日 2020_12_24(10)

24日ですが、特に意図はなく。やっと自分の時間が取れるようになったのでこういうスクリプトを上げたしだい。 なんというか…ネットから文章が消えて久しいなと。今はライブの時代で、それはそれで楽しいけど、見返しにくい、 まとめにくいという欠点がある、が、実はもう何もかも消えてしまっていいのかもしれない、時代なのかなと。

何よりもヤフーブログが消えたのは痛かった。割と貴重なものが上がってたので。多くの人がやる気なくしたんではなかろうか。 いやそうではなく、面倒になって放置も増えていた、という話もあるけど。

このスクリプトは自分で組んだけど、トータルで2万行ぐらい。長いのいいことではないけど、こんなものを知らない人が一から組むのはもう考えられない時代です。 はじめは結構いろいろ教えてるサイトもあったけど、もはやどう説明したらいいかわからないぐらい
webは発展し、結局スクールで習うものみたいになってるけど、それもすぐ古くなるので、やっぱ変わらないものにお金払って勉強した方がいいなと。
旅行は1年に2回ぐらいになった。さすがにこれまでに行き過ぎた。思い残すことがないくらい…

2020年12月24日 2020_12_24(11)

フレンドマート瀬田川店の小町たこ停のたこ焼き。6個入りで340円(持ち帰り税込みで367円)。値段が遠くから見えないのでなかなか注文しづらかったけど、ネットの画像で辛うじてわかったので、とうとう入って買ってきました。
期待通り冷凍ものとは違い、外はしっかり硬くて中はやわらかい。タコもしっかり入ってます。車内に漂うソースのにおいを嗅ぎながら帰ってまいりました。
タコが高いのは天然モノしかないからだそうな。ちょっとお客さんいつも少なさそうですが、値段がわかりやすいと人も近づきやすいかと。

2020年12月24日 2020_12_24(12)

別に特別に思いはありませんが、家に何もなく、ちょっとでもうまいものを探しにと車を出すとえらい目に遭った。どこから引っ張ってきたのか古いスタイルの箱型の外車が暴走したり、ふつうの車でもやたら飛ばす。横に女でも乗せているとあんなふうにかっこつけるんですかねぇ。あと、ほかの車に譲らない光景を何度も後ろから見た。客観視するとまことにキモいが、もはや性衝動に駆られてナチュラルに行動できないのだろう。
フレンドマートに入ると、アフロアメリカンの男性が一人子供を連れてカゴを持って入るところだった。入念に消毒するその様子は、外国人として生活しているゆえより慎重に行動しているのだと思えたが、ただ単にまっとうにウイルスを恐れていただけかもしれないし、彼の行動の方がごく当然のものかもしれない。たこ焼き屋の横では、母親が3人もの子供を連れて賑やかにたこ焼きを食べさせていた。店はどこもそんなにいうほど混んではいない。
というわけで、24日の過ごし方は実に様々なのがうかがいしれたお出かけであった。

2020年12月24日 2020_12_24(13)

Blotterとは…インクを吸い取る紙、という意味や、記録簿という意味があります、が、BlogとTwitterを掛け合わせて自分が作った語でもあります。Twitterでは相手のタイムラインを気にする必要がありますが、Blotterはその必要がありません。好きなときに忘れないように書けます。裏側ではTwitterへの同時投稿機能も付けていますが、画像がやたらタイムアウトしやすい…

2020年12月25日 2020_12_25

スマホの無制限ギガの契約を楽天モバイルにしようかと思いきや、微妙にエリア外でまた迷うことになった。wimaxは契約がややこしいし速度のわりに高いし、あんまり気が進まない(wimaxにするならBroad wimaxを検討してたけど)。楽天回線はいちおう自分とこのエリアは有効エリアに挟まれてて、2021年春以降開通てなってるけど、なんか開通は遅そう。たぶんこのエリアだけ電波塔が立ってないんやろうな。ほんまどこにしたらええんや?

2020年12月27日 2020_12_27

今契約してる固定はYahoo 12M. 速度は1.3Mbpsしか出てない。これで月3600円も取られてる。検討せず放置してきた結果がこれ。大損である。年末で時間に余裕ができたので、解約料を確認しようとすると、混雑しているからアクセスできないと何度も出た。そういうのはほんと感じ悪いからやめた方がいいよ、Yahoo… やっとページが表示されると、2年契約で、解約料は9500円+税。こんなADSLごときで解約料なんかとるか? どんな商売しとんねん。
ところで、こうなるとほとんどネットできないんじゃないかと思われるが、実はほぼ問題がない…動画の視聴もwebページの閲覧も。端末3台同時接続してるけど問題ない。 ただ、遠隔になった関係で増えたライブ関係は相当画質を落とさないと視聴しつづけられない。もちろん10数分の動画のアップロードも3時間くらいかかる。 そんなわけで、いろいろ検討しないといけなくなった。光回線はもう高くない。ただ困るのは引っ越しのとき。
ついでに屋外でも無制限に使いたいから、wimaxを検討。けれどこれがまた3年縛りと厳しい(解約料はbroad wimaxでキャンペーン加入で3年以内9500円+税)。楽天回線は自分のとこだけ窪地のようにエリア外。まもなく開通らしいが、待てるかどうか。楽天ひかりにして、楽天unlimitにすると、室内が楽天回線にできるが、光になってるんだから、べつに意味はないよなと。こんなもんどうしたらええねん…

2020年12月28日 2020_12_28

最近の福袋は中身を見せる傾向が強い。たとえばマクドナルドなんて金額分の券をいれて、さらにマグカップなどどんなアイテムが入っているかまで広告している。似たような手法に追随している企業は少なくない。これは各企業の人を驚かせる企画力の低さを現していよう。とりあえず金額分の券や金額分以上のアイテムを入れておけば、クレームのつけようはないという、なんとも退嬰的な考え方は、まことに昨今の我が国の情勢に似つかわしい。例えば変わったオーダーのできる券などが入っていたら、それだけでおもしろいだろうし、入れるアイテムもお金を掛けないなんらかの驚きやおもしろさが必要だ。マクドをあげつらったが、たとえば、以前に入っていたポテトの上がる音を入れたキッチンアラームなどは、なかなか遊び心があってよかったのではなかろうか。
さて、在庫処分としての機能を持つ福袋だが、どうしたって自分に似合わないものや、部屋に似合わないものが入っている。けれどこれはある意味ではチャンスだ。絶対に自分では買わないようなものが、とつぜん自分の部屋にやってくるのだ。新たな文化が入り込んでくるこの感じは、同棲に似ているかもしれない。自分というものの一部を捨てていく作業のい一環に、福袋が寄与するような気がして、そうして、他者を受け入れる余裕をつくることで、福を呼び込むのではないか、そんなふうに思える。
いらないものが増える、というのも、悪いことではないかもしれない。それをどのようにして使おうか、誰かにあげようか、と、けっこう頭を使うのである。あるいは、こんなふうに考えたら、納得がいく、とか、思考力がたいへん刺激される。もっとも、中にはほんとにどうしようもないものもある。そういうのは鬱袋だったと諦めよう。ゴミにカネを払ったのも不幸の先払いだと。自分では絶対買わないものを身に着けてみると、意外に似合うということもあるかもしれないし、違う自分になれるかもしれない。もっとも大半はそうした感じも一時的なもので、だいたいはタンスの肥やしになりそうだが。
年明けになんだか似合わないものをとつぜん身に着けはじめた人を見かけたら、福袋なんだなぁ、と思いましょう。

2020年12月30日 2020_12_30

12月あっという間やねんけど。昨日はおよばれした。よばれる、とは、誘われてよそでいいもの食べる、の、意味である。しかしその日はわけもなく苛々しており、そこに年末特有のあほみたいな走り方する車が沸いてたから道中キレ通しである。人間は、愚物どもとの争いの歴史である。これは、我々が滅亡するまでつづく。彼らを手玉に取ってキャッシュをたくさん払わせるか、そうでないかの違いしかない。要はゲームなのだから、ライトを上向きにして詰め詰めにするしかない。みんなそうして愉快に人生を送っている。
けれど、騙されないぞ、損はしないぞ、と、何もしないのもよくない。
よく、人を轢くのが怖いから運転したくない、という人がいるが、これは悪い想像力に負けて何もできない典型例みたいなものである。
実際に人を轢く可能性のあるシチュエーションは、現代の我が国の道路においてはほとんどない。だってだいたい走る道はバイパスやら歩道付き国道なのだから。たぶん免許取りたての人は毎年、一般道に出て拍子抜けしている。ほんとに危ない状況は、かなり少ないし、そういう状況の発生しうる道路には、すでにいつもだいたい別の道が付いている。交通戦争と言われた時代は遠い昔である。気を付けるのは交差点と通学時間帯の通学路、商店街くらいしかない。ほんとに退屈な、つまらない世界である。なぜ自動運転が実現されないか…それは意外に人間というのは運転において繊細なことや感情的なことをやっているからであろう。
それはつまり…運転なんて、とってもくだらない世界ということである。


こんな車ばかりの世界は早く終わって、鉄道を引きまわしてそれに乗ったら何とかなるみたいにすべきであるが、人間には欲望というものがあるので、いい車に乗って、見せつけて、走り回りたい、みたいなことを考える。要はあほなのだが、そうした欲望は欲望を産むので、止まることはないし、礼賛さえされる。ほかの国はしらんが、少なくとも日本はそんなふうにしてこれまでやってきている。別に、否定はしない、否むしろ、それでいいとさえも思える。が、車でかっこつけるのは、ほんとに、つまらない。
だってそんなことより、思考や想像力の乗り物のほうが、よほどか楽しくないか?
君らは味気ないロードサイドを眺めながら、しょぼい道交法と税制の中で、せいぜい好きなだけタイヤ転がしとけよ。

2020年12月31日 2020_12_31


今年一年ほど、刺激的で新鮮な年もなかった。何もかもが新しいことばかりだった。授業はほとんどがオンラインなり、キャンパスからは人影が消え、ものすごく過ごしやすくなった。いつもとても気楽で、楽しく、あるゆることに集中でき、まさしく夢のようだった。それも、もともと自分の業種は意外にも影響がなかったこともあるかもしれない。もっとも、この先どうなるかなんてわからない。むしろ、地獄が訪れる可能性の方が高いだろう。けれど、そうして仮に仕事がなくなったとしても、その時々の社会の要請に応じて仕事を探すしかない、僕はそんな風に割り切っていた。それで今年の3月も5月も、そして7月も、旅に出た。どこを訪れても人は少なく、僕はどこに行っても有頂天だった。太陽はまぶしく、風は心地よく、今自分が生きていることをいつでも痛切に実感できた。この世には楽しいことしかない、そう思えたほどだった。

僕は自分の暮らしを維持するためなら、僕はどんな仕事でもするという心意気だった。いや、むしろそういうスタンスしか、現代人は取りようがないんじゃないだろうか。
ヴィールスで死ぬ死ぬ、と、いわれるけれど、仮に僕が死んだとして、いったい何を思い残せばいいのだろう? 僕に何か失うものがあっただろうか。
そんなことよりも、今自分が生きていることを積極的な意味で感じつづける必要性の方が、僕には大きかった。そして、おそらく僕は正しかったろう。

僕はニュースを見なくなった。それは今年の4月ごろだっただろうか。ニュースには悪いものしかなく、人の心と脳を支配することに気づいたからだった。ニュース記事や報道をよく見聞きすると、どう考えても一つの考え方に誘導させるような書き方、話し方しかされていなかった。明確に言わず、匂わせて誘導させ、人の心に怒りや憤りを作り上げる…こんなもの、まともな人が読んでいたらおかしくならない方がおかしいよ。

ひとつだけ言えるのは…ニュースに接しないというこの行動は、僕が自分の頭で考えて出したものだということだ。いろんなニュースを観て聴いていると、なにか本当よく知った気になるけれど、よくよく思い返してみると、ひとつの偏った考え方が、間接的に醸成されているだけだった。そして、本当に自分で考えた結果に基づいて行動しているのか、まったくわからないどころか、誰かにずっと支配されつづけているような、そんな感じになってしまった。

僕はこんなことを誰かに勧めようだなんて思わない。なぜなら、これは僕が自分の頭で考えて導き出したものなのだから。それにこれはかなり強い逆療法だ。僕もニュースというものがどういうものか、とくと心にしみわたったら、またニュースを読んでみてもいいと思っている。けれどこの一年ニュースを見ないことによって余計なことを考えずに済み、僕はすこぶる生産性が上がり、ポジティブになった。そもそもニュースに接しないのだから、他国や特定の組織への悪口も思い浮かばない。もっとも、みんながこんな状態になったらたいへんだ。そうなったら国民は骨抜きにされるし、そうなると一から知る権利を国民は行使して、情報公開を要求しないといけなくなるだろう。
けれどいまのところは、相変わらず報道合戦をやっているだけのようだから、その必要も特になさそうだ。そもそも言ってることがころころ変わりすぎるし、そんなことに一喜一憂するのは本当に自分自身の不安の浪費にしかならないし、自分が何かをしないことへの言い訳を、向こうから勝手にいっぱいしてくれるような感じになる。

僕が旅行記を書くのは、こんなに愉快で豊饒な世界が、時空間があるかということを、みんなに吹聴してまわりたいからなんだ。
ともかく1年は終わった。昔の自分なら、年月に切れ目などない、そう、うそぶいて、年末年始もまったくほかの日と同じように過ごしていただろう。けれど、多くの人が切れ目だというのなら、それに従ってみるというのは、まったくわるくないな、そんなふうに素直に思えてもいる。
祝うべきときには、祝おう。それは日常において節度を要求されている話ではなく、あまりに禁欲的な生活は、人生を有意義に生きているとは言えない、そんなふうにも捉えられる。この日は祝っていいのだ、そういう考えを共有することは、大切なことだろう。ずっと引きこもって禁欲的に過ごして、それですばらしい成果が挙げられるなら、誰も何も言わない。けれどはたして自分はそうなのか? そう考えると、ここはやはり人々の考えと融和すべきだろう。
そういうわけで、1年が終わったことをねぎらい、そしてまた1年が始まることを、ここで寿ぎたい。というわけで、みなさまおつかれさまでした。
そして…