Blotter

2022年7月3日 2022_07_03

勃興する参政党―反グローバリズムは本当に是なのか?

 UKのEU離脱、ロシアによる対ウクライナ戦争、タボス会議におけるブラジルの動向と選択、日本の参政党の勃興、これらはすべて同一線上にある。要は反グローバリズムで、国民国家を支配する国際金融資本に反旗を翻した一連の動向だ。
 参政党は最近あまり言わなくなったが、彼らは天皇崇尊、神社崇拝、先祖崇拝、八紘一宇と教育勅語の再認識、これらが思想的な根幹となっている。むろん政治、政策には基盤となる理念なしには不可能である。それは実際参加してみればわかる。何を軸にして政策を決めていくか、党の方針を決めていくか、思想的基盤がなければどうにもならないのだ。(だからこそ公明党も幸福実現党も、それぞれ宗教を持っている。もっともそれが税金を逃れる機関としても機能しているわけだが…)しかしだからといって参政党が侵略戦争しようといっているわけではない。自信を失って自虐にまみれた日本人に喝を入れ、国際金融資本(最近ではイーロン・マスクとか、古くはビル・ゲイツとか、各国の予算を凌駕する資産を持ち合わせて、その国の政治家を聞き従わせている人々、自分たちが陰で牛耳っていることを仄めかし、崇尊させるようにしむけているユダヤ人、並びにそれらに翼賛する人々、例えばわが国にもいるように、国益よりも個人の利益を優先させる拝金主義的なインフルエンサーなど)を排し、日本人に利のある所となる政策を推し進めるべきだという考えの基盤として用いられているようだ。

 参政党は、侵略戦争などなかった、という。つまりはその当時日本のまわりの欧米の植民地しかなかったのだから、というわけだ。しかしその一方、少なくとも侵略された北東アジアの国々ではそうした受け取られ方はしていないのは誰でも知ってる―たとえそれがその国々で必要とされる史観に合わせたものであるにしても― 要は、日本もまた列強と同じことをしたに過ぎない、というものだ。  そして参政党は日本人の自虐史観はGHQによる教育改革の賜物だ、という。しかし本当にそうだろうか? その前に軍国少年を大量に排出して、日本は負けるなどといった輩をぶん殴っていたことには目をつむるのだろうか? そのときに洗脳はなかったのか? 日本人が国民国家として、果たして自分たちをきちんと公平に扱え、統率ができて機能させることができるのか? もしできるのなら、今も官僚は日米合同委員会の言いなりにならず、国益を守れる人が一人くらいいてもいいんじゃないか?
 国の根幹を考えずに浮世に流されて六本木のクラブで踊りほうけていたのはどこの誰なんだろう? 楽しくておいしくてかわいくて踊れるものだけを求め続けたのは、どこの都市だ?
もっとも、そうでもなければ彼らは生きていけなかったのはわかる。なぜって? 彼らはアイデンティティーを根こそぎ破壊されているのだから。東京なんて存在しない。あそこは横田基地と横須賀基地の領土である。国がどのようにして守られているか、政策の裏で何が推し進められているか、考えたくもないし、考えるだけで自殺したくなるくらい憂鬱になるからである。  けれど、それを解消する方法があった。それは、
 「いいじやん、支配されれば! どんどん土地も会社も、海外に買ってもらおう! だって金になるのだから」

 参政党の作り上げるような本当は日本人は優れた資質を持つんだというイメージと現実的な解釈による日本人には、かなりに乖離があるように思うし、むしろ我が国の人々は、公平に扱ったりきちんと政治したりすることを最も苦手とする人々なのではないかとさえ思う。反グローバリズムの行先は閉鎖的な国家で、参政党のように天皇なんか持ちだした暁には、先の大戦みたいな皇国史観とか洗脳とか、日本人のお家芸である全体主義に染まって、行きつく先はさしずめ北朝鮮みたいな国家か、ろくでもない何かゆがんだものしか見えてこない。
 つまりどういうことかというと、グローバル全体主義も、反グローバリズムも、特に日本においては、行きつく先はみじめで無様なものにしかならないのではないか、ということだ。両方向とも、日本にとってはマイナスである。正直言ってこんな国さっさと滅ぼされればいいと思うし、どんどん外資に買われればいい。全部捨てて、なくなってしまえよ。我々など、いなくなったってかまいやしない。何ら問題はない。どうせ反グローバリズムになったって、日本人は新たな既得権益にしがみつくだろうし、学校でのいじめはなくならないだろうし、陰湿極まりない民族である。さっさと、滅びよ。一言の文句も言わず、言い訳もせず、消えろ!!

2022年7月21日 2022_07_21

親しき人の身まかりにあたり詠める

 せみのねは かしましくあれど あるじなき あばらやかくも むなしからん

(蝉の鳴き声はこんなにもやかましいぐらいなのに、その家の主人が死んでもういない粗末な家というのは、 こんなにも心にぽっかりと穴が開いたような感じになるものなのだなあ)

いさなとり もゆるすなはま さらさらと かくれし人の ほねのなるなり

(大海原の見えるような砂浜は天気が良くて燃えるように熱い、その砂をすくってみると、 亡くなった人を荼毘に付した後の骨が、まるでさらさらと鳴るようだ)

ささなみの 膳所の山辺は けむるらん 親しき人も あまにのぼりつ

(みずうみの見える膳所の山辺はきょうも野辺送りらしく煙っているようだ。私の親しい人も、あそこから煙となって上の方に上って行った。)